すとう信彦 & his band

社会起業家(チェンジメーカー)首藤信彦の日常活動とその仲間たち

どうにもこうにも体が足りない

2010-03-03 21:13:48 | Weblog
ブログに戻ってくるのも久しぶりだ。週末に地元の民主カフェでハイチ報告会とシャンソン歌手の岩井さんと仲間のラテン・ミュージシシャンがハイチ支援の演奏をやってくれた。ハイチから送られてきた瓦礫に挟まれた遺体やごみために集められた死体の映像などのあとで、岩井さんの歌う「100万本のバラ」がどんなに癒しになったかわからない。涙を浮かべるひともいたくらい感動した。
しかし、今日はもう週の半ばだ。早朝にラオス大統領を迎えての朝食会。小生は日本ラオス友好議連会長として赤坂迎賓館に大統領を迎えたのだが、ラオス元首の日本訪問は実に55年ぶりだという。荘厳華麗な迎賓館の中での朝食は日ごととは違う雰囲気があった。ところが参加議員が自分とラオスのかかわりを話しているうちにあっというまに時間がなくなり、席をはなれて国会にもどり、文教科学委員会のメンバーと高校無償化問題の視察にでかけた。
最初の訪問先がなんと、地元都筑区のドイツ学園。道すがら事務所の前を通るし、ちょっと家に立ち寄って資料でもとってきたい誘惑にかられる。そのあと、順看護師養成校、つぎに朝鮮高等学校を訪問。センシティブな問題なので、田中委員長だけがマスコミ対応。保護者からは、なぜ民族系の高校にいれるかの説明、また高校生から高校無償化から自分たちの学校を外さないように要請があった。
夕刻に沖縄基地問題でクラークさんの話を聞く、これも途中で抜け出して、ラオス大統領のレセプションへ。ホテルオークラの大会場が一杯だった。秋篠の宮殿下や横路衆議院議長それに多くの援助団体や企業関係者がつめかけていた。ある意味、ラオスは東南アジアで唯一、発展から取り残された国で、それが癒しの文化や天然資源、水力発電などで、にわかに脚光をあびているので、よけい皆さんの盛り上がりがあるのだろう。議連会長として重責を感じた。

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1 コメント

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ハイチ報告会 (三高 章)
2010-03-04 19:10:14
先日の「ハイチ報告会」では、新聞・テレビなどでは報道されない貴重な情報を伺い知ることができ、大変貴重な時間を過ごさせていただきました。
いくつか印象的な話しや映像がありましたが、とりわけ次の点は心に残っております。

①今回の災害は、確かに天災ではあるものの、一方では経済制裁の影響による人災でもある。
②イスラエル軍は、震災後48時間で現地に野戦病院を設立。しかも助産婦まで送りこんでいたとのこと。妊婦が負傷した際に妊婦の命は救う手立てをすうものの、生まれてくる子供の命は救えないのが通常であったが、イスラエル軍は助産婦により子供の命まで救う手筈を短時間で終えていた。
③その一方で、我が国の医師団は厚生省の規定により麻酔薬(麻薬の海外持ち出し禁止などの規定に触れるとのことです)の持ち込みができず、従って手術も出来ない状態であったとのこと。レントゲン機器などは他国も羨むような優れものであったが、診察だけして治療ができないという悲喜劇が繰り返されていた。また緊急車両も持ち込んでいなかったため、例えば足の骨を折って歩けない人でも、自力で日本医師団の診療施設まで行かないと診察が受けられないというこれまた悲喜劇が多くあった。
④経済大国日本の援助額は、アフリカの最貧国のひとつであるガーナよりも額が低く、国際社会からは非難のまとであった。
⑤中国は、世界で4番目に早く現地へ救援チームを送りこんでいた。これは自国で四川省の大地震を経験し、その際こうした支援活動が救援外交の場となることを学習していたことによる。

概ね、こうした内容が印象に残っています。
とりわけ①の、経済制裁による人災という部分も否定できないという話しを聞くにつけ、経済制裁は武力制裁にも劣らず残酷なものであることを思い知らされました。
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