すとう信彦 & his band

社会起業家(チェンジメーカー)首藤信彦の日常活動とその仲間たち

これがムンバイの原発一号か?!

2015-09-05 21:33:54 | Weblog

ムンバイのインド門から舟で石窟寺院で有名なエレファンタ島に行った。石窟自体は仏教石窟からヒンドウ石窟へ変わり未完成のまま破壊されたので、エローラやアジャンタと比べれば、必ずしも高い文化的価値があるわけではない。それでも87年に世界遺産登録されており、破壊を免れた第一窟のシヴァ三面上半身像がみごとだ。
帰路、原発らしきものを遠景でとらえたので、聞いたらやはり原子力施設だ。おそらくインド最初のトロンベイ原子力施設なのだろう。これは2200万人の人口を抱えるムンバイ周縁から5キロほどのところにある。地元でも危険なので反対が多いが、原子力施設側は住宅地の間に丘があるので、大丈夫と説明しているらしい。原発と火薬庫と間違えているんじゃないか?
実はムンバイには北方100kmのところに世界一危険と言われる69年操業のタラプール原発がある。これはGEのBWRで、日本の事故を起こした一号機のマークワンの姉妹型でもっと古い。すでに何度も大事故の瀬戸際まで追い詰められた経験がある。2000年に入ってからもグジャラート地震、カシミール地震そしてインドネシア地震の津波で大きな被害を受けたインドで、反原発の運動が起こるのは当然だろう。
アベ首相がインド訪問した時に「原発のセールスマンは来るな」との垂れ幕がかかげられたが、さらなる経済的繁栄が期待さえるムンバイでぞっとするような遠景を見てしまった。

インドは世界最大の民主主義国?!

2015-09-03 20:29:28 | Weblog

「インドは世界最大の民主主義国?!」
インド関係のパーティなどで、こんなことを美辞麗句のつもりでいう人がいる。ついでにこんなことも言う「日本とインドは同じ価値観、同じ民主主義を共有するアジアの大国として。。。。」おいおい、待ってくれよ!日本の現状を含め、全部違うんじゃないの?
経済発展いちじるしいインド詣でが日本のビジネスマンや政治家の流行らしい。そんな人は地べたに犬と同じように寝そべっている人のそばを歩くのだろうか?アフリカでもアジアでも地べたに寝そべっている人はいくらでもいるが、ゴザや段ボールぐらいは下に敷いている。インドだって、ごみになっている段ボールくらいあるだろう?なぜ下に何か敷かないの?
ここで信号待ちはいやだ。どこだって発展途上国へ行けば、道路には信号ごとにどこからか少年が湧いてきて、車のフロントグラスを拭いて金をせびる。しかし、赤ん坊を抱いたお母さんが(それでもおそらく10代なのだろう)車の前から後ろからガラスをたたき続ける国はあまりない。
この人たちは貧しいのではない。貧しさを社会システムとして強要されているのだとわかる。
高級ホテルのフォーシーズンは最高のロケーションにある。その最上階からはアラビア海に沈む世界最高の夕陽が見える。。。。しかし、そのホテルの周りはビニールテントだけが頼りのスラムだ。夕陽を眺める人たちは、目を下に転じることがないのだろうか?
チャイティア・ブーミのトーラナ(塔門、鳥居の原型ともいわれる)から振り返ったら、そこにも青いアラビア海が見えた。

チャイティア・ブーミにアンベドーカル博士を偲ぶ

2015-09-02 18:52:35 | Weblog
チャイティア・ブーミにアンベドーカル博士を偲ぶ。
インド独立最初の法務大臣にして、インド各地の諸民族・国民の権利を保証した500条にのぼるインド憲法の草稿をほとんど独力で書き上げたといわれるアンベードカル博士の火葬場に建てられた小さなストウーパで博士の遺徳を偲びました。一度訪れたいとかねてから思っていた場所に、思いもかけずたどり着くことができて、無上の喜びです。
ここは本来なら、初代法務大臣そしてインド憲法の父を記念する廟としてはふさわしくないのかもしれません。彼がなくなったとき、本来そうした地位の人々と同じ場所で火葬することは、バラモン含めインドの支配階級が認めず、かれは彼の出身の被差別民(ダリット)が従事する清掃・と殺・死体処理に相当する場所で火葬されました。しかしいま、アラビア海に面したこの小さな霊廟をおとづれるとき、この場所こそインドの「国民のすべての人の自由と独立」のために身をささげた同博士にふさわしい場所だと意識を共有しました。
驚いたことに、この場所をおとづれることで、タクシーの運転手の激しい抵抗に出会いました。それまで陽気に名所を案内していたドライバーが、「あんなところは一生で一回しか行ったことない」「あんなところはただ公園の一部で、わざわざ行くところじゃない」「あそこにはタクシーが入れない」つぎからつぎへと繰り広げられる忌避の台詞に辟易としましたが、最後は「ひょっとしたら行かなかったら、この客はタクシー代を払わないかも。。。」と思ったのか、不承不承離れたところにタクシーを止めてくれました。運転手は英語も片言で、およそ中流階層の人とは思いませんでしたが、そのような職業(ジャーティ?)にいる人にも激しい反発があることは正直おどろかされました。
この件ではからずも、改めてといか、いまさらながら、現代インドにおける被差別民の扱いや政治課題の一端を知ることができました。小さな小さな思い出ですが、研究者の端くれとしてアンベドーカル博士に改めてお礼申し上げたいと思います。
ミニストウーパの中は円形の回廊になっていて、黄色の法衣を着た三人の僧侶が寝泊まりしながら、礼拝者との対話をしていました。
合掌。