もう2ヶ月近くなるが、小沢代表秘書逮捕の影響はさまざまな形でいまでも地元に深く広く広がっている。いまでも、駅頭演説はおろか、住宅地でお目にかかる支援者からも、激しくはないが確固たる不信と非難が告げられる。執行部も国会運営で足踏み感が強い。こんな中で、麻生政権に豚インフルエンザという追い風。このような事件があれば、首相、官房長官、厚生労働大臣などの会見が頻繁に開かれ、政府への注目が強まる。無論、本格的なパンデミックや日本での流行ともなれば、逆に政府の無能無策や失政が批判されることになるが....このインフルエンザが景気回復や選挙に影響を与えないことを祈るばかりだ。
横浜MMで開催されたメーデーに出席。メーデーがその名の通り5月1日に開かれなくなってどれぐらいたつのか、開催日だけでなく、その意義も次第に色あせているのではないかと気がかり。特に、選挙がずるずると延びているために、「今年こそ選挙」というスローガンが「一体いつになるのか?」という倦怠感もあって、どことなく緊張感が乏しい。まあしょうがない。
それと同時にやはり、メーデーの原点というべき労働者の権利主張という要素が時代環境の中で薄れているのではないだろうか?アメリカやヨーロッパ諸国のメーデーも見に行ってみたいものだ。
それと同時にやはり、メーデーの原点というべき労働者の権利主張という要素が時代環境の中で薄れているのではないだろうか?アメリカやヨーロッパ諸国のメーデーも見に行ってみたいものだ。
駅頭演説をしていると本当に色々な人に会う。大学のゼミの先輩やら、もといたというか大昔働いていた総合商社時代に同じフロアにいた人(全然記憶ないのだが)や、キャスターを務めていた昔(もう20年も前の話だ)CNNデイウオッチ見ていましたよ...なんて方にもめぐり合う。その中で出色は盲導犬候補の犬たちだ。候補というのは、ブリーダーから幼犬を預かって、実際にパートナーが見つかって正式の盲導犬としてのお呼びがかかるまでの間で、世話をする家族が本当に親身になって育てると同時に、いつも街中を歩いて、雑音や、車の喧騒や、散歩するほかの犬などに興奮することなく、どんな状況にも驚かないように日常訓練を受けるのだ。その一環だろうか、朝の駅頭の時に来て、スピーカーでがなっている小生の後ろで、興奮するでもなく、退屈するでもなく、駅前の雑踏の中で超然として待機している姿はまるでエジプトの神殿を守る神犬みたいだ。
今朝は妙蓮寺でそうした待機犬のウイリーにあった。来たばかりのときは、まだやんちゃで飛び跳ねていたが、しだいに落ち着き、今日会ったら、まるで人生を達観した哲学者のような風貌で、すらっとした足を伸ばして身じろぎもせず駅前で人の流れを見つめていた。世話をする方が「もうすぐお呼びがかかるのよ」と教えてくれたが、彼もまたこれから自分を待ち構えている人生のことを考えて、物思いにふけっているのだろうか?
そんなウイリー君が今日は別れを惜しんでキスしてくれた。もう二度と会えないかもしれないが、任地で幸せな生涯を遂げてほしいものだ。
今朝は妙蓮寺でそうした待機犬のウイリーにあった。来たばかりのときは、まだやんちゃで飛び跳ねていたが、しだいに落ち着き、今日会ったら、まるで人生を達観した哲学者のような風貌で、すらっとした足を伸ばして身じろぎもせず駅前で人の流れを見つめていた。世話をする方が「もうすぐお呼びがかかるのよ」と教えてくれたが、彼もまたこれから自分を待ち構えている人生のことを考えて、物思いにふけっているのだろうか?
そんなウイリー君が今日は別れを惜しんでキスしてくれた。もう二度と会えないかもしれないが、任地で幸せな生涯を遂げてほしいものだ。
突然現れ連日情報量を増やしている豚インフルエンザ。日本でもさかんに報道されるようになったが、鳥インフルエンザで周期的にインフルエンザ報道がされている日本ではそれとどこが違うのかという困惑がある。しかし、BBCなどを観ると、防疫責任者や研究者なども緊張した表情で会見していて、ことの深刻さがより強く感じられる。かつてスペイン風邪いや古くはペストなどで大量に人口を喪失した経験を持つヨーロッパならではとも思う。まさにアウトブレイク、パンデミックの世界だ。
鳥インフルエンザよりも感染の広がりと毒性の強さを案じさせるのは、人間と同じ哺乳類である豚と言うたんぱく質の類似性だが、臓器移植で人間の臓器が入手できないときに豚の内臓を使用するなど、たんぱく質の組成も近いのであろう。人間が豚を好んで食べるのは、かつて人間が共食いを習慣的に行いその味を覚えているせいだ..という気味悪い分析を読んだことがある。
ともかく、このウイルスはもはや豚を離れて人間を攻撃する新たな人ウイルスに変異しているわけだから、真剣にその展開を見守る必要がある。
鳥インフルエンザよりも感染の広がりと毒性の強さを案じさせるのは、人間と同じ哺乳類である豚と言うたんぱく質の類似性だが、臓器移植で人間の臓器が入手できないときに豚の内臓を使用するなど、たんぱく質の組成も近いのであろう。人間が豚を好んで食べるのは、かつて人間が共食いを習慣的に行いその味を覚えているせいだ..という気味悪い分析を読んだことがある。
ともかく、このウイルスはもはや豚を離れて人間を攻撃する新たな人ウイルスに変異しているわけだから、真剣にその展開を見守る必要がある。
先日の草なぎ剛の全裸事件での逮捕・家宅捜査に続いてTBS系情報番組「情報7days ニュースキャスター」でテレビ局側が大阪府道の清掃業者に番組の主張に沿った作業を依頼し、国と地方の「二重行政の無駄」の例としてヤラセ報道していたことが新聞紙面にのった。その前に出てきた障害者団体偽装のDM事件と言い、「許されることではないが、こんなことよくあるだろう」というような事件が大きく報道される現象が目に付くようになった。単なる偶然だ、と一笑にふす人もいるだろうが、最近の選挙を何回か体験した身からすると、こういう選挙に関係する諸団体、テレビ局、新聞社、芸能プロダクション、労働組合などが関係する事件が大々的に報道されるような傾向は、単なる偶然というより、誰かが、どこかで司令塔として情報操作している可能性があると思う。決してターゲットとなっている組織・団体を直撃しているわけではないが、こうした事件は確実にそうした組織の足を止めることになるからだ。
そう考えると、世間でも、永田町でも選挙はサミットが終了した8月以降みたいな時期が確実視されてるようだが、意外と早い時期の選挙も確実に準備されていると思う。こうした関係団体の「出足をくじく」ことの効果はあまり長続きしないからだ。まあ気を抜かずに、淡々と準備を進めよう。
そう考えると、世間でも、永田町でも選挙はサミットが終了した8月以降みたいな時期が確実視されてるようだが、意外と早い時期の選挙も確実に準備されていると思う。こうした関係団体の「出足をくじく」ことの効果はあまり長続きしないからだ。まあ気を抜かずに、淡々と準備を進めよう。
朝から雨、寒い一日となった。農園の共同作業も延期。せっかくの連休スタートだが、結局、行き場を失ったヤングファミリーはセンター北周辺のショッピングモールに殺到。まあ子供連れでいくところとここしかないよな。雨風にたたられて街宣も休止。政局もまったく混沌としてきた。まあ勝負は来週からだ。
指定暴力団稲川会の本部が六本木から赤坂のビルに移転するというので、住民の反対運動が起こり、今日、和解が成立して、組本部事務所は赤坂には移転しないことになった。そこで問題なのが、稲川会本部が都筑区に移転してくる可能性だ。すでに稲川会館というものができていて、地元では緊張が高まっている。むろん、古くからいる地主や旧住民はこぞって反対だが、新住民そして転勤で短期間滞在のサラリーマン家族などはあまり地域の事情にも関心をもっていないようだ。しかし、新聞やWEBで報道されると、そのショックは大きく、連日警察のほうにも問い合わせtがきたという。すでにボートピア(船券売り場)建設の打診があり、パチンコ屋も多く、新横浜のようにだんだん風俗地帯も形成されるのではないかと危惧されている。
警察情報では、今の段階では稲川会が東京本部を閉めて都筑区に進出する可能性は小さいというが、交通の便がよく、首都圏の中核地域になりつつある都筑、ゆめゆめ油断をしてはならないと思う。
警察情報では、今の段階では稲川会が東京本部を閉めて都筑区に進出する可能性は小さいというが、交通の便がよく、首都圏の中核地域になりつつある都筑、ゆめゆめ油断をしてはならないと思う。
まあ、ほかに大事件が無いのか、それともこれこそ平和な日本での最大の事件なのかはわからないが、今日はニュース/バラエティ番組は朝からSMAPの草なぎ剛氏の全裸事件一色。最初、赤坂署とテロップの付いた画面を見たときは、場所柄、永田町の問題かアメリカ大使館の問題かとも思ったが、一言で言えば要するに人気タレントが酒に酔って全裸になったという破廉恥罪の話。現行犯だから逮捕されるのは当然だ。しかし、それが反道徳的であり、他人迷惑なことは言うまでもないが、朝から晩まで報道するほどの大事件なのか?
そもそも演劇俳優やパフォマンスが売り物の演劇者などは、ある程度、世間の常識を超えた行動をとるところにも社会的な存在意義があるわけだから、詐欺、レイプや殺人でもないのに、これほど報道されるのは、人気の裏返しなのか?ひょっとして、これもまたニュースコメンテーターを多数輩出する芸能界への政治的な締め付けではないかと疑ってしまう。最近あまりにこうした事例が多いので、被害妄想になっているのかな?
日本ではいつのまにか、演劇もコントも漫才もすべて芸能会社が支配し、それこそ自分たちも体制の一翼をになっているような感じだが、海外ではこうした仕事に携わっている人は個性も個人的な主張も強く、平均的大衆を相手にしていながら、反体制的な考えと行動の人が多い。
草なぎ氏も地デジ普及の広告パーソナリティだったそうで、鳩山総務大臣が彼のことを「最低の人間」と酷評していたが、「アンタにそんなことを言う資格はあるのか...」と、かっては民主党幹部だった同氏大写しのテレビ画面につぶやいてしまった。
昼に東京で情報交換の場があったが、皆さん選挙予定が不透明で、待ち疲れ気味。いつまで待っても解決しない代表秘書逮捕の事件は民主党全体に確実に暗い影を落としている。
そもそも演劇俳優やパフォマンスが売り物の演劇者などは、ある程度、世間の常識を超えた行動をとるところにも社会的な存在意義があるわけだから、詐欺、レイプや殺人でもないのに、これほど報道されるのは、人気の裏返しなのか?ひょっとして、これもまたニュースコメンテーターを多数輩出する芸能界への政治的な締め付けではないかと疑ってしまう。最近あまりにこうした事例が多いので、被害妄想になっているのかな?
日本ではいつのまにか、演劇もコントも漫才もすべて芸能会社が支配し、それこそ自分たちも体制の一翼をになっているような感じだが、海外ではこうした仕事に携わっている人は個性も個人的な主張も強く、平均的大衆を相手にしていながら、反体制的な考えと行動の人が多い。
草なぎ氏も地デジ普及の広告パーソナリティだったそうで、鳩山総務大臣が彼のことを「最低の人間」と酷評していたが、「アンタにそんなことを言う資格はあるのか...」と、かっては民主党幹部だった同氏大写しのテレビ画面につぶやいてしまった。
昼に東京で情報交換の場があったが、皆さん選挙予定が不透明で、待ち疲れ気味。いつまで待っても解決しない代表秘書逮捕の事件は民主党全体に確実に暗い影を落としている。
河村建夫官房長官が「公明党に警告されて。。」と、選挙を公明党の都合に合わせて、都議選のあとにずらすことを表明。おいおい、どうなっているんだ、と思ってしまう。この人は正直すぎるのか、問題の本質が分からないのか?結局、自民党も選挙は公明票頼みということか...情けない話だ。この期におよんで、国の危機より、党の危機の方を優先なのかね。地域では、地元企業から政府の緊急支援策がなかなか実行されず、融資を拒否されたり減額されたりするケースの苦情が多く寄せられるようになった。その中で、融資拒否の理由として「民主党が国会で反対するから、緊急融資ができない」みたいな説明がなされた事例を聞く。本当なら、まさに政府機関自体が民主党への攻撃を行っているということになろう。ありえない説明だとは思うが、事実関係をチェックしてみよう。いやはや恐れ入った。
夜にマイカル港北で話題作ミルクを観る。本年度アカデミー主演男優賞のショーン・ペンの演技はすばらしいというより、本当の人物が画面に出てきているみたいで気味がわるい。しかし、もとはマドンナのダンナだし、前作を見たのがDead Man Walkingで、ここでは少女暴行殺人で薬物を注入されて死刑になる、その死刑テーブルに歩いていく(dead man walking)死刑囚のアンチャンを見事に演じていたわけだから、この48歳のゲイの中年の悲しげに怪しく光る目つきも首の皺もすべて演技なんだろう。つくづく俳優というものの凄さ、すばらしさに感動。こういう社会性、政治性に立ちながらそれを超えたどろどろとした人間ドラマを見ると、逆に日本作品の「おくりびと」が賞をとった理由がよくわかる。ミルクという作品の重さと、現実の社会まで引きずっている課題の打撃に映画評論家も打ちのめされてしまうのだと思う。だからこそ、あの癒し系の山形の人情物語が賞に選ばれたのだと思うな。
実際、話題作で配給会社もさかんに大宣伝していたが、シアターには観客がたった7人しかいなかった。そして映画が終わって明るくなって周りを見ましたら、小生と若い女性一人しか残っていなかった。立場を忘れて、もうちょっとで、「今の映画どうでしたか、どう思いましたか」と話しかけてしまう誘惑に駆られた。別にどうということはないが、政治家や候補者はいつも地域の人との関係を気にする傾向があって、政治活動としては誰にでも声をかけるくせに、日常会話などでは妙に萎縮したりするときがあるね。
1970年代のサンフランシスコはよく覚えている。ヒッピー文化、ベトナム戦争後遺症、ニクソン大統領の辞任など社会が騒然となるなかで、アメリカの伝統的価値観と新しい文化とサブカルチャーとの葛藤が繰り広げられた。小生はちょうど大学院の博士課程にいて、研究者の道を選ぶか、ビジネスにもどるか、苦しい心の葛藤の時代だ。日本にはこの事件(ミルクの活動と死)などはほとんど知られていなくて、何か妙なことが起こっている程度の理解だったと記憶する。
この映画とオバマ大統領登場とがオーバーラップして語られるが、映画の中でも、ミルクが「hopeを持とう」、「アメリカンドリームを実現しよう」と訴えるシーンはまるでオバマ演説のようで驚かされる。要するにそうしたアメリカの現代社会の雰囲気が一方では映画「ミルク」を生み、他方ではオバマ大統領を生みだしたということだろうか。
政治家としては、周囲の圧力、三度の落選、絶望、友人の離反、当選後もやがて自分を殺すことになる政治家との駆け引きや妥協など、身につまされ、同時に学ぶシーンも多かった。
雨の中を車で帰宅途中、整理できない想いを鎮めようとロックをガンガンかけながら、いったいなぜあの時代に公民権運動を超えて民族マイノリティ、女性、ゲイなどの少数グループがつぎつぎと立ち上がっていったかを、ワイパー越しの情景を見ながらつくづく考えた。一つのヒントはおそらく、民主主義システムそのものが多数派を基軸にするために、少数派は常に無視される傾向が生じる。、それゆえにこそ、民主主義システムの健康な展開のためには、そうした少数グループが激しくその存在価値と意義を社会にアピールしなければならないということだろう。まあ、いずれにせよ、重いテーマだった。一晩寝て明日また考えてみよう。
実際、話題作で配給会社もさかんに大宣伝していたが、シアターには観客がたった7人しかいなかった。そして映画が終わって明るくなって周りを見ましたら、小生と若い女性一人しか残っていなかった。立場を忘れて、もうちょっとで、「今の映画どうでしたか、どう思いましたか」と話しかけてしまう誘惑に駆られた。別にどうということはないが、政治家や候補者はいつも地域の人との関係を気にする傾向があって、政治活動としては誰にでも声をかけるくせに、日常会話などでは妙に萎縮したりするときがあるね。
1970年代のサンフランシスコはよく覚えている。ヒッピー文化、ベトナム戦争後遺症、ニクソン大統領の辞任など社会が騒然となるなかで、アメリカの伝統的価値観と新しい文化とサブカルチャーとの葛藤が繰り広げられた。小生はちょうど大学院の博士課程にいて、研究者の道を選ぶか、ビジネスにもどるか、苦しい心の葛藤の時代だ。日本にはこの事件(ミルクの活動と死)などはほとんど知られていなくて、何か妙なことが起こっている程度の理解だったと記憶する。
この映画とオバマ大統領登場とがオーバーラップして語られるが、映画の中でも、ミルクが「hopeを持とう」、「アメリカンドリームを実現しよう」と訴えるシーンはまるでオバマ演説のようで驚かされる。要するにそうしたアメリカの現代社会の雰囲気が一方では映画「ミルク」を生み、他方ではオバマ大統領を生みだしたということだろうか。
政治家としては、周囲の圧力、三度の落選、絶望、友人の離反、当選後もやがて自分を殺すことになる政治家との駆け引きや妥協など、身につまされ、同時に学ぶシーンも多かった。
雨の中を車で帰宅途中、整理できない想いを鎮めようとロックをガンガンかけながら、いったいなぜあの時代に公民権運動を超えて民族マイノリティ、女性、ゲイなどの少数グループがつぎつぎと立ち上がっていったかを、ワイパー越しの情景を見ながらつくづく考えた。一つのヒントはおそらく、民主主義システムそのものが多数派を基軸にするために、少数派は常に無視される傾向が生じる。、それゆえにこそ、民主主義システムの健康な展開のためには、そうした少数グループが激しくその存在価値と意義を社会にアピールしなければならないということだろう。まあ、いずれにせよ、重いテーマだった。一晩寝て明日また考えてみよう。