すとう信彦 & his band

社会起業家(チェンジメーカー)首藤信彦の日常活動とその仲間たち

工程表改定

2011-05-17 21:32:18 | Weblog
5月17日の今日、事故原発安定化へむけての工程表が改定された。今日は朝から断続的に検討会議。一号機では津波直後の燃料棒の完全露呈とメルトダウンが明確になり、工程スケジュールの遅れが予想されたが、政府はあまり大幅な修正もなく工程表を改定した。作業員が内部に入れなず、高度の湿度のために実情不明の2号機、MOX燃料を抱えた3号機、大量の燃料をプールに貯蔵したままの4号機など、とても工程スケジュールどおりに行くとは考えられず、議論が百出した。夕刻には細野補佐官が説明にPT会合に現れたが、はしょることなく丁寧に質問に答えていた。
ただ、政府側および東電の説明を聞いていると、4月の時点と異なり、かなり自信を持っていることがうかがわれた。まあ、そうした楽観的なシナリオが合理性を持っているとしたら、一つには、我々が知らない、また知らされない情報が先行していること(我々には一歩遅れて公開されていること)たとえば仮設住宅建設には民間アパートの活用で仮設住宅必要数が半分になっていたりするような情報があること。そして、対策本部近くに技術者を送り込んで情報を正確に把握しているはずのアメリカとフランスが静観していること...などがあるかも知れない。

ともかく連日の会議の連続で、地元に帰る時間も取れない。地元事務所では状況説明してほしいとの電話が数多くかかってくるそうだが、皆さん新聞のメディアや扇情的なワイドショーの情報では不安にかられるのだろう。近々、地元でも説明会を開催する予定だ。

パール・バックの「つなみ」(Big Wave)

2011-05-13 17:20:39 | Weblog
東日本震災についての本会議質疑の最後に社民党の阿部知子議員がパールバックの「つなみ」に触れたとき、議場でどれだけの人が「アッ」と瞬間に昔を思い出したろうか?おそらくそこにいる若手議員の三分の二はパールバック女史の名前すら知らないのだろう。思えば半世紀前になる。当時の高校生は、ある者はかっこつけて英語で原書(?)を読むために、またある者は大学受験に備えて、平易な英語の小説をよく読んだものだ。この本も短編だから英語で読んだ記憶がある。しかし、まったく評価しなかった。後にノーベル文学賞をとったパールバック女史は東アジアに長く住み、中国語を話し、アジアを愛し『大地」を含め、東洋社会を題材に多くの小説を著したが、今でこそそれらを読めばすべてが良くも悪くもヒューマニズムあふれる情景ばかりだが、偏屈高校生の当時は何か西洋人の似非アジア通みたいな感じがして好きではなかった。
しかし、今そして何よりも三陸を襲った津波の惨状が脳裏に焼きついた状況のなかで、この邦訳「つなみ」径書房を読むと、1947年のこの作品がまるで未来を先取りしたかのような情景描写の中に、深い感動と新鮮な驚きをもたらす。三陸の漁村に住む少年ジャと高台に住むキノ少年との交流が淡々と描かれているのだが、それでもジャの住む漁村の家には海側に一つも窓がない...という描写に驚く。ジャはキノに、「海は俺たちの敵だから」と海向きの窓がない説明をする。だが、今回津波に襲われた地域で、窓が破れて海水が浸入した家は一瞬で崩壊している一方で、サッシがしっかりしたプレハブなどは強化ガラスが残り、周囲が完全崩壊して何もなくなっている港地域で、まるで灯台のように残っているのを見かけると、そもそも昔は沿岸の家は津波にそなえて海側に窓を開けなかったのじゃないか...とも思った。
キノの村では火山噴火にも悩まされ、津波と火山とが連動していることが暗示されている。そして高台にある長者の家にある日突然、赤い旗が掲げられると、理由も根拠もわからず皆、子どもを高台の長者の家に追いあげ、その途中でジャが浜辺を振り返ると津波が漁村を襲ってジャの一家が全滅するシーンを目にする。海を捨てて山で生きるつもりのジャも、やがて海に戻りたいという思いが募ってくる。何もない浜辺に一人また一人と漁師が戻ってきて家を建て始めると、低地に住んではならないという長者との争い。そしてジャはついに浜に降りて家を建て新生活をスタートするのだが、その家にはなんと海に開かれた大きな窓がある。「俺は海に立ち向かっていきるんだ」というジャの言葉は未来に向かって開かれているのだろう...まるでパールバック女史が今、タイムマシンに乗って時空を超え、三陸まで飛んできてこの小説を書いているような気がする。

原発事故賠償スキームで合意

2011-05-12 21:01:15 | Weblog
連日連夜の原発事故影響対策PT会議が幾多の紆余曲折を経て、ようやく先ほど党内合意にたどりついた。夕刻の会議では議論百出に加えてPT役員会への一任についても激しい反発があり、時間をおいて再度、徹底議論を行った。このPTには元通産、企業、業界、電力出身、コンサルタント、会計事務所など多くの専門的知見をもつ議員が多く駆けつけてきて、激しい議論があったが、さすがにそれなりの理解が深まり、単なるガス抜きではなく、熟議に近い議論プロセスが成立した...と同時に、皆さん疲れたかな。
ネットニュースを見ると、党内異論で今日の結論は持ち越しなんて流れているが、最終的に合意し、関連閣僚会議に結論を送ることができた。内容は明日の朝刊にでると思うが、ともかく、(1)福島原発の冷温安定化を阻害することなく、(2)農林水産・企業、避難、風評被害までを含む広範な被害者救済の一日でも早い実施をテーマに政府による新「機構」を創出して、無限賠償責任への十分な資金供給を政府が保障するもので、これによって、初めて思い切った賠償が加速化すると思う。むろんそれには第二の関門というべき新法の国会承認があり、与野党ねじれ国会ではたしてこの救援スキームでの新報が迅速に成立するかはひとえに国会での議論に依存するのだが、こればかりは被災者救済のためにも、福島原発の影響がチェルノブイリ級よりもさらに悪化するような事態を回避するにも、何が何でも実現していかなければならない。
今夜の合意成立を受けて、明日からは調査委員会創設の検討が始まる。事故後2カ月を経てもまだ原因調査委員会の成立が出来ていない。政府は政府で検討中なのだろうが、一刻も早いそして包括的な調査委員会創設を目指して明日からの行動が始まる。

原子力発電所事故影響対策プロジェクトチーム

2011-05-11 20:43:16 | Weblog
政府がなかなか原発事故に関して、冷温安定化作業や賠償スキームを早急に決められない...との危機感から、党側でこうしたプロジェクトチームをスタートさせたのだが、あっという間に最重要チームになって、連日会議に追われる身になった。
今更ながらあきれるのは、これまでの自民党政府が長年にわたって放置したり容認したりした問題が山のように積み重なっていて、どこから手をつけたらいいかわからないほどの絶望的に問題が巨大化複雑化していることだ。それと同時に、日本のいわゆる原子力研究者のレベルの低さ、意識の低さ、視野の狭さ、経験の不足など、よくまあ、これまでやっていられたな...と嘆息するような状況だ。福島第一で、これ見よがしにアメリカやフランスの専門家が乗り込んで来たり、対策費を吹っかけたりする実情がよくわかる。
こうした状況のなかで、農林水産そして企業や商店などの賠償スキームは極度の複雑な合理化合法化の操作を通じて、現実に、一刻も一瞬も早く被害者への賠償スキームを作り上げ、実行していく必要がある。連日の会議では電力会社への免責などを主張する議員も駆けつけてきて、それはそれで大部屋がいっぱいの会議となり活発な意見交換があるが...
このチームでは小生は国際社会への影響や反発などを調査する予定だったが、ともかく今は全力で賠償スキームの構築だ。これができなければ、もう現地も東電の冷温化工事もそして何よりも政府がもたないと思う。

オサマ・ビン・ラーデンの死

2011-05-02 23:35:11 | Weblog
BBCも昨日まではウイリアムとケイトの結婚式パッケージを朝から晩まで流していたが、今日は昼ごろからすべてオサマ・ビン・ラーデン特集に変わった。この米海軍特殊部隊のシールズによる襲撃・射殺事件はまだまだ謎が深い。最初はイスラマバード、イスラマバード郊外、ラワルピンジでの急襲というようなニュースだったが、しばらくしてアボタバードでの隠れ家へのヘリコプター攻撃というニュースが流され、ほぼ同時期にオバマ大統領の国民向け声明が始まった。それはかっての大統領選挙時代のオバマ大統領を思わせる名演説で、言葉の一つ一つを吟味した、計算尽くされた襲撃成功の声明で、とても緊急テーマの報告とは思えなかった。アバタバードはカシミールと北西自治州を視察した帰途に通ったと記憶するが、首都のイスラムバードからは迂回路で80kmぐらいの距離にあり、とてもイスラマバード郊外とは言えない。別件なのかね?ともかくこの地は要衝だから軍関係施設も多く点在していたと思う。こんなところで米軍のヘリ2機が強襲して、目標ほか男女3名射殺というのだが、それが本当ならパキスタンには国防軍がいないのと同じだろう。これでパキスタン政治がおかしくならないとしたら不思議だ。
さすがに、BBCは専門家に手回しよくインタビューをしていたが、彼がアメリカ軍当局から受けていた説明のなかに、目標を絞り込む要素として、高い塀(重要人物がいる)にもかかわらず極端に人の出入りが少ない(外部の人間と接触したくない)という点を挙げていたのは、なるほどねと感じいった。持病を抱えた彼がアフガニスタン・パキスタン国境の辺境自治区山岳地帯に潜伏しているはずがないはと思っていたが...それでも本当にこんな目立ちやすい豪邸に隠れるものなのだろうか?上空から衛星写真をコンピューター解析するだけでも目標に迫れそうな気がする。逮捕して法廷にさらす方が価値のある人物(フセイン大統領など)をかくも安易に射殺してしまったことも含め、アルカイダ問題暗黒史の新しい一ページが開かれた感じがする。チェゲバラの銃殺後の写真はしばらくして公開されたが、水葬された(?!)と報道される遺体の写真も公開されるのだろうか?
いずれにせよ、この事件は中東イスラム世界のみならず、欧米そして日本にも大きなそして長期の影響を与える。明日からはいろいろと断片情報がもれてくるだろう。原発事故賠償問題に加えて、また重い重い仕事が一つ加わった気がする。