すとう信彦 & his band

社会起業家(チェンジメーカー)首藤信彦の日常活動とその仲間たち

両院議員総会のマスコミ報道

2011-06-29 20:46:31 | Weblog
いざ総理退陣か?と緊張した時期がすぎて、結局だれも辞任せず、永田町はすでに冷却プロセスに入った感じ。会議かけもちの上、うっかりしてぎりぎりの時間になり、こりゃいかんと急ぎエレベーターに乗ったら、Hさんが「これからお見合いなので、今、美容院から出てきました」みたいにパリパリの光った背広にテカテカの髪といった姿で乗り込んできた。そこで、「ふーん、今日はそんな総会なのか」とちょっと奇異に思ったね。しかし、実際の会議はやはり、復興対策や自民からの議員引き抜きなど、つっこみどころ満載のはずの執行部への批判が、何かひとつよそよそしくて盛り上がらない。自分の発言を紙に書いてきて読み上げたり(政治家なんだら、自分がしゃべることぐらい記憶しておけよ!)、民主党は人気がなくて妹にも党員を断られた...みたいな発言に会場でも失笑が多かった。菅総理退出の時間は最初からアナウンスされていたのに、大して非難や抗議もなく間のびした総会だった。ところが、いざ退出になると、とたんに「逃げるな」「もう帰るのか」などと激しい声が飛んで、おどろいた。テレビカメラは一斉に声の人物の方にカメラを回す。しかし、そんなに菅総理に不満なら、最初から自分で質問すればいいのだろう。いつも発言するシーンがワイドショーに流れるKさんにいたっては、質問だけして、幹事長の回答すら待たずに、さっさと退席してしまった。要するに質疑じゃなくて、テレビカメラに映ることだけが目的だったのだろう。
ところが、夜のニュースやワイドショーを見てびっくり、失笑を買った自慢話や無責任発言が首相糾弾の質問としてとりあげられて、そのシーンが流れた。マスコミ側の映像つまみ食いもやりすぎだと思うな。まあ、これではテレビしか見ない人は民主党の学級崩壊とか、政治家の学芸会...みたいな印象を持つのもやむを得ないと思う。何とも砂を噛むような感じの雰囲気だ。どうすれば、現実の政治の姿や課題が国民に伝わるのだろうか?暗澹たる気持ちになる。

タムガの階段

2011-06-26 20:53:17 | Weblog
今朝は自然に目が覚めた。ここ3週間ばかり綱渡りのような永田町生活で、寝覚めもわるかったが、ひさしぶりに自宅にもどり、夜寝て朝起きて、庭の手入れやゴーヤのスクリーンを張った。種苗自体は少し前に購入していたのだが、まったく手がつかず、もうツルが伸びていて、かろうじて間に合った感じ。メディアを見れば、連日のごとく総理包囲体制とか、○×が引退勧告みたいな記事ばかりだが、現場はすっかり一段落感がある。このギャップは一体なんだろうか?永田町は終戦処理みたいなものだし、街中でももうあまり関心はないみたいで、結局は特定の勢力がそれぞれ子飼いのマスコミ人などを駆使して必死で盛り立てているのだろう。
先週はそれでも、かろうじてできた空白を利用して、キルギス議連を立ち上げた。超党派でやるのは難しい、準備だけで半年かかる...という悲観的意見もあったが、各会派によびかけたら、あっというまに超党派議連が設立のはこびとなった。キルギスはまさに世界史のクロスロードで、タラス河畔の戦いで紙が西洋に伝わり、遺跡はゾロアスター・仏教・キリスト教・イスラム教の影響が混在する。その中で最大のものはやはり玄奘三蔵が天山山脈を越えて西突厥の王と面談した砕葉(スイヤブ)城遺跡だろう。雪中のベデル峠(4300m)越えで従者の三分の一を失ったと記録にあるが、そこまで犠牲をはらって、タリム盆地からインドに直接向かわずに、わざわざ天山山脈を越えたのはなぜだろうか。ともかく、そのおかげで、我々はアフガニスタンのバーミヤン遺跡の存在を知ることができたし、何よりも日本仏教の基本経典はこの想像を絶する努力でもたらされたものだ。このとき持ち帰った経典のひとつが「般若心経」がら、それを持ち帰り、広く伝えられたあの名訳がなければ、日本での仏教も異なった様相になったかもしれない。
実は三蔵法師がベデル峠から神秘のイシククル湖に到達するまさに地点に、シベリア抑留者がサナトリウムを建設したタムガ村がある。宇宙飛行士ガガーリンなども治療した旧ソ連時代の極秘サナトリウムは実は日本人抑留者が建設したのだ。このサナトリウムは現在でも治療に使われているが、それ以上に土地の人々を驚かせているのは、サナトリウムから湖までの延々と続く石の階段で、66年たったいまも少しも破損することなく利用されている。
実は今日は、キルギスから戻ってきたイバラットさんと、数少ない抑留者の一人となったTさんを訪問したのだ。今年90歳になられたTさんから抑留のいきさつから帰国までを聞いた。万感の思いをはたして我々に伝えられるのか、疑問を感じられたと思う。隣のカザフスタンでは1500名が死亡した。ウズベクでも同様だ。ところがキルギスだけは抑留者全員が無事帰国したのだ!かならずや、この貴重な体験を若い世代に繋げていこうと思う。また心の底から強い気持ちが湧き上がってくるのを感じる。

無風で内閣不信任案否決

2011-06-02 17:48:38 | Weblog
菅内閣への不信任案が大差で否決。民主党で賛成したのは二人だけ..政界大騒動の前評判が、結局は何か大山鳴動してネズミ一匹みたいな話になった。前日に賛成を表明して政府の要職を職場放棄のように放り出した人たちはどうなってのだろうか?政治の世界は何でもあり...とは言うが、ちょっとひどすぎないか?民主党を解党の瀬戸際へ追い込んだ二人が、一人はさっさと反対を表明し、もう一人は議場にも出てこない...ということで、つくづく日本の政治の貧困に背筋の寒くなる思い。
国会の直前に代議士会があって、流れとしては党一体となって否決のムードが醸成されたが、いくら議場の前で待っていても、予鈴が鳴らない。民主党が割れないことがわかり、もくろみが狂った自民党が不信任案を取り下げるとのうわさが広がる。結局、30分遅れで開かれたが、自民党の大島議員の不信任案趣旨説明の内容のひどいこと。もうこれで茶番がだれの目にもあきらかになって、緊張が一挙に崩れた。石原議員にいたっては、菅直人は共産党の脅威を利用して独裁政治を作り上げたヒットラーと同じだという。ちょっと!ヨーロッパでそんなこと言ったら逮捕されますよ。
しかし、民主党の内紛に乗じた不信任案提出は完全に空振りとなった。これで通年国会となれば、もう内閣不信任案はずっと出せないということなのかな。自民党内でも、この時期での不信任案提出に反対する良識派が多かったと聞くが、執行部はどう党内を納得させるのだろうか?
しかし、震災復興の状況は問題山積、菅首相の辞任時期をめぐる思惑の違いでまたもめてくるかも知れない。もういい加減にさせなければならない。被災地の回復や再建も、原発対策も日本の総力を挙げて取り組まなければならないのだから。

どういうつもりなのか、政務役員辞任

2011-06-01 20:20:25 | Weblog
原子炉への海水注入をめぐるばかばかしい谷垣総裁の非難パーフォマンスが終息したら、今度は不信任案だそうだ。そりゃ野党はいつでも出したいから、無視されたらメンツ上、出すのが基本動作だろうが、民主党からも便乗する輩がいておどろいた。そんならそもそも政権交代などやらずに古巣の自民党にもどればいいのだと思う。管首相の危機対応能力がだめというなら、誰だったら、この事態に対処できたのか、実名と実例をあげてほしい。危機管理とはようするに「事前準備」以外にはなく、安全神話で批判をタブー視し、一切の危機対応準備をとっていなかった東電原発の事故対応など、だれがやっても失敗するか、だらだらと小刻みな対応を積み重ねるしかないだろうに...
しかし、副大臣政務官が不信任案に賛成するから辞任というのには驚いた。副大臣政務官というのは、そもそも政府そのものだろう。その政府に不信任案が突きつけられているのに、それから政府を守ろうとせず、さらに賛成したりするのは、「私は無能で、政府で悪いことをしていました」という反省なのだろうか?親分からの電話かもしれないが、もういい加減に前世紀の遺物のような古い政治をやめてほしいものだ。