今日は先週の活動疲れもあって、気分転換が必要だと思っていた。久しぶりにイタリア料理を作ることになり、ゴマサバのトマト煮風に今が旬のダルマイカの炒め物を前菜に、さらにゴマサバのフリット、トマトサラダにニュージーランドのクラウドベイの白ワイン...まあ一本300円のゴマサバを含め、金額的には大したことないが、どうしてどうして地中海料理にしあがった。(写真は製作途中...)
きわめつけは、ジョルジュ・ムスタキのあの低いような高い、重いような軽い、超スローのような早い展開、わかりやすいようで深い音楽とリリック...すっかり地中海・エーゲ海気分に浸り、酔った。
ムスタキなんて若い人は知らないだろうと思う。小生のCDだって今月、彼の死が新聞の片隅に載り、思い出したように、ようやく底の方から引き出してきたものだ。一曲目がMa Solitude「私の孤独」。孤独だけが真の友達、どこまでもついてきてくれる友人..この曲を40年前にアルジェのクーバの冷え切った石の部屋で、何べんも何十篇も回した。40度を超えるデング熱で一週間も寝たきりになり、詩にある世界の四隅が部屋の四隅に感じられた。ほとんど絶食で1週間をすごした時、そとにヨーグルト売りの呼び込みの声が聞こえて、ようやく起き上がってヨーグルトを買いに、アルジェリアの太陽の下に這い出しのだ...そうだ、あのときのレコードも二曲目は5月革命の時の「生きるとき」だった。
今聞けば、異邦人も、私の自由も、ヒロシマも地中海も当時の世界の縮図と人間の変わらぬ姿を歌っていたのだと気付く。もうこんな歌手は出てこないだろう。あの時代、あの国際情勢のなかで咲いた花のようなものだ。初めてムスタキという歌手を知った時も、彼はすでに老人だった。老人として多くの詩を歌いつづけて、ある日いなくなった。
きわめつけは、ジョルジュ・ムスタキのあの低いような高い、重いような軽い、超スローのような早い展開、わかりやすいようで深い音楽とリリック...すっかり地中海・エーゲ海気分に浸り、酔った。
ムスタキなんて若い人は知らないだろうと思う。小生のCDだって今月、彼の死が新聞の片隅に載り、思い出したように、ようやく底の方から引き出してきたものだ。一曲目がMa Solitude「私の孤独」。孤独だけが真の友達、どこまでもついてきてくれる友人..この曲を40年前にアルジェのクーバの冷え切った石の部屋で、何べんも何十篇も回した。40度を超えるデング熱で一週間も寝たきりになり、詩にある世界の四隅が部屋の四隅に感じられた。ほとんど絶食で1週間をすごした時、そとにヨーグルト売りの呼び込みの声が聞こえて、ようやく起き上がってヨーグルトを買いに、アルジェリアの太陽の下に這い出しのだ...そうだ、あのときのレコードも二曲目は5月革命の時の「生きるとき」だった。
今聞けば、異邦人も、私の自由も、ヒロシマも地中海も当時の世界の縮図と人間の変わらぬ姿を歌っていたのだと気付く。もうこんな歌手は出てこないだろう。あの時代、あの国際情勢のなかで咲いた花のようなものだ。初めてムスタキという歌手を知った時も、彼はすでに老人だった。老人として多くの詩を歌いつづけて、ある日いなくなった。