すとう信彦 & his band

社会起業家(チェンジメーカー)首藤信彦の日常活動とその仲間たち

石巻から戻ってきました

2011-04-17 23:10:16 | Weblog


これまでは正式の関係役職者や地元議員以外は原則的に現地訪問が認められなかったが、福島原発の事故処理も長期化する中で,ようやく与党議員も現地に入れるようになり、さっそく四駆を駆って宮城県石巻に向かった。津波災害は2004年のスマトラ沖地震でアチェ市の惨状を視察した経験があるから、海岸から街中まで延々と続くまるで更地のような廃墟には驚かされることが少なかったが、むしろ火災跡と大量の乗用車の残骸にショックを受けた。上の門脇小学校の被災後の写真にも見られるように、津波で押し流された無数の車が壁のような校舎に突入して、まるで火炎瓶のように次々と燃え上がったと説明を受けた。また火を噴かなくても、暴れまわる漁船や、津波流の先端で浮き上がった大量の車両がちょうど魚雷のように家々に突入して家屋を破壊したようすは残骸からも見とれるであろう。漁船やマイカーのように現代生活の用具であったものが、被害を拡大させたことにを見ると、津波対策にも新たな対応が必要だと痛感した。
ところで、これは津波災害の特徴でもあるが、津波が最後に到達した地点こそ、大量の破壊された家屋や車両などが集積する場所なのだが、そのほんの数メートル先やちょっとした高台には、まるで地震や津波などなかったような静かな住宅地の姿がある。その対比を呆然と見ながら、それが現在の自分の生活そのものだと理解した。豊かで平和な我々の生活も、もう足元にはとてつもない危険や崩壊が迫っているのかもしれない...
今回、短期間に石巻の被災現場のさまざまな問題を知りえたのは、さまざまな震災現場でボランティアとして取り組んできた吉村誠司氏のおかげだ。イラクでも、新潟中越地震でも一緒することがあったが、思えばアチェ津波の時にも、一緒にヘリで震源地まで飛んだと思い出した。こうした活動は経験が何より重要だ。仲間の災害対策や復興対策のボランティア活動も本当に高度な水準にまで高まっていると思う。これをじゅうぶんに政府や自治体の対策に組み込んでいく必要があるが、残念ながら現在はまだ十分でない。しかし、今後は気を付けなければならない問題も浮かび上がってきている。
ボランティアの皆さんが、これまで手つかずだった半壊家屋の清掃や片づけに取り組んでいる。これは難しい作業だとつくづく思う。完全に破壊され廃材となっている家屋とは異なり、原型をとどめている机や、仏壇それに位牌やアルバムなど、生き残った方々の今後の心の支えとなるべき貴重なものをどう扱うのか、泥を掻き出すという肉体作業と、細やかな気遣いや被災者とのコミュニケーションなど、本当に難しい仕事に無償のボランティアが大きな役割を果たしている。しかし、早朝のブリーフィングでは新たに到着したボランティアに、指導者が被災者との摩擦や軋轢などのインストラクションを丁寧に述べていた。難しい心の痛みも伴う業務だと思う。
また、このブリーフィングで、ボランティアと行政との役割のボーダーの話もでていた。確かに経験深い災害ボランティアはきわめて重要で、かつ有効だが、本来、行政が担うべき中核的な業務がボランティアやNGOに担わされているのではないかとの疑念も話されていた。震災・津波襲来後1ヶ月を経過して、市側や被災者が報酬を支払っているプロの作業員の傍らで、より困難な作業にボランティアが自前の器具や用具を消耗しながら、無償で働いていることは美談ではあるが、長期的にはどうかとの声も聞こえるようになった。
夕暮れに、全児童の三分の二が犠牲となった大川小学校をおとずれた。手向けられた花のもとに昨年の春の桜のもとで笑っている子どもたちの写真、滔々たる北上川の流れ、遠くに見える橋、裏の山、そして決壊した堤防...現実の悲劇を思い起こしながら、何度も何度も風景を振り返り言葉もなく立ちつくした。