半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

そろそろ終い支度をしたらどうだ

2014年12月03日 18時11分22秒 | 日記
仕事柄、土木学会誌を購読している。その11月号に作家の曽野綾子が
寄稿していて、それを読んで、何とも胸糞が悪くなった。以下にその
ほんの駄文の一部を転載する。

(転載開始)
『3.11の自己で人生観が変わったようなことを言う人がいるが、私
に言わせれば東日本大震災の被害は戦争と比べものにならない。もちろ
んそれによって仕事に出られず、大きな損害を被った。家族を失うとい
うことは誰にとっても取り返しのつかない悲劇だが、東日本大震災では
1万6千人近く、戦争では約300万人の人命が失われた。悲しみは数ではあ
らわし得ないが、戦争ではあの震災の約200倍の人が生活と愛する者たち
を失い、しかも国家は被災者には弁当も一時金も、避難手当ても出さなか
った。
失った財産に対する補償など、一円もなかった。
3.11は片手の骨折のようなものだ。しかし第二次大戦の惨禍は、日本
の全身まひであった。片手の骨折は、どうやら生きられるかもしれない。
助けてくれる人も余力も残っている。しかし戦争の時は、日本全体が傷つ
き、体力を失っていた。』
(転載終わり)

齢83歳にして、カトリック教徒らしいが、これほどまでに人の気持ちに寄
り添えない博愛精神が欠如した高慢ちきな老婆なんだろう。10人だろうが
100万人だろうが、個人の悲しみは同じだろうに、そこが理解できないらし
い。何か上坂冬子と重なるところがあるが。イラク人質事件の時に、人質
に向かって死ねと言った精神構造と似ている。
しかし、土木学会誌を読んで、腹が立ったのは初めてである。
 
そう言えば、東日本大震災のショックで茫然自失としている被災者達を見
て、「自分なら援助など待たずに、釜を見つけて来て飯を炊くのに」と言
い放ったことも有名な話だ。自分で、飯も炊いたこともない深窓のお嬢様
がよく言うものだ。

いつぞや、安倍晋三の女房との対談記事を見るとも見たら、家族ぐるみの
付き合いらしい。類は友を呼ぶということか。

抹香臭い駄文を書き散らさないで、そろそろ、身辺整理をして、終い仕度
を始めたどうだ。