半農・半Xの生活

思いついたことを思いついた時に綴ります。

寛容な心は大事だが

2016年12月28日 15時23分43秒 | 日記
安倍晋三が、真珠湾攻撃の犠牲者の慰霊に出向いているらしく、
提灯マスメディア局は、朝から特番を組んでいて喧しいので、
ラジオを普段は聴かない民放FM局に替えた。
内外の膨大な数の犠牲者を出した、あの忌まわしい大戦の緒と
なった真珠湾奇襲攻撃であるが、75年経った今、政治的な都合
で慰霊の訪問だそうである。
この一連の行動に対して、アジア諸国、特に中国からは、慰霊
する所はわが国にもアル旨のコメントを出した。当然である。

安倍は、事務方が書いた原稿を読んでいるのか米国、英国の寛容
な心だ、和解な心だ、などと言っていた。何とも徳の無い彼には
似つかわしくない言葉だろうか。
日米両国の関係を“希望の同盟”だなどとも言っていた。この国
の指導者は、宗主国に全権を委任されるためには、先の政権にも
増して同盟関係を濃密にする必要があるのだろう。
だから、ノーガードのボデイブロー状態で、無条件で何でも差し
出す覚悟、つまり言いなりになり、おべんちゃらを垂れないと、
総理大臣として認めてはもらえない。
鳩山氏のように日米は対等などと口走った日には、本国は当然、
自国の既得権勢力から総スカンを食って、瞬く間にレームダック
状態になる。

だから、日本の政治家の言う同盟の深化、強化などと言う言葉が
出たときは、米国の無理難題を聞いてあげ、そのようにしたと言
うことである。
だから、逆に米国側から日米同盟の強固になったという言葉が出
るときは、自分達の思い通りに、事が運んだということである。

まさか、安倍の口から寛容の心などと言葉がでるとは思わなかった。
その寛容な心は日米両国では醸成されるが、彼が頻繁に言う法の
支配から逸脱した国とは寛容な関係は形成されないらしい。つまり、
中国のことらしいのだが。
侵略され未だに占領国家然としているこの国では、寛容な心をあり
がたがっているわけだ。

あの戦争で、侵略し(定義は定かではないそうだが)未曾有の被害
を与えた国とは寛容な心、関係を築くことはできないらしい。
さらに言えば、白人には卑下し劣等な(と思っているらしい)アジア
諸国に対して、鬼畜の如き蛮行による犠牲者に対する慰霊の気持ち
はないらしい。だから、彼の国も寛容な心など持てるはずもないのだ。