summer diary

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ワクチン接種

2023年11月08日 | Weblog
 今日はインフルエンザワクチン接種に出かける。 以前、定年前まで努めていた会社ではインフルエンザワクチン接種は、毎年ほとんど強制的に接種していた。 退職してからは、別会社で契約社員として5年間務めていたが、接種しない人も多くいて、私も一度も接種する事が無かった。 
それでも、もちろん、それ以前でも、これまで 65年間で一度もインフルエンザに掛かった事は無い。 
なので、今年はインフルエンザ感染者がこれまでより増えていて、流行と言えるレベルになっている。 なので、接種する事も良いだろう。 
ただし、私はそれほど接種する事には意欲的でもないし、出来れば接種したくない。 今日、接種する事にしたのは、バイト先の依頼で全員が接種するように要請があったからだ。 もちろん、接種費用は会社が全額負担するとのことだが、その条件が全員が接種すると言う条件を付けている。 なので、所長からは必ず接種して欲しいとの要望がある。 まっ、そうした要望がある以上は、特に接種して体調が悪くなったり、自己負担(費用は後日バイト先からの返還があるが、とりあえずは自己負担である)も市の補助などもあり、1000円で接種出来る。 
なので、自己負担は0円なので接種をする事に決めた。 仮に会社勤めの現役時代なら市なのからの補助無しでも、会社が全額負担する会社も少なくないが、そうした会社ではない場合も多々ある。 そうした人は接種を躊躇う事もあるだろうし、高齢者がこうした医療費を国からの税で補われて居る事には高齢になった私も含めて嬉しいだろうが、現役世代がこうして高齢者医療などに(介護保険料を増税する事もほぼ決定している)さらなる負担を強いられる事は、果たして本当に良いのか?? ただでさえ、現役世代の税負担は厳しくなっていて、結婚して子供を育てる事などにも不安や不信もあり、少子化は加速している。 こうした政策は正しく、逆進性であると言わざる得ない。 
高齢者へのこうした手厚い社会保障を維持する事には、根本から見直す必要がある。 インフルのワクチン接種にしても、高齢者だけに補助をする制度では無く、補助するなら国民全員に対して同等の補助をすべきだし、そうでないなら、補助など無くすべきだ。 仮に高齢者がインフル感染で死亡しても、それは高齢なんだから、人間だけでは無く、動物としての当然の末路だろう。 高齢者が医療機関に掛かる費用は現役世代に比較すると数十倍にもなる。 
これは当然のことで、高齢になれば、身体の健康維持は難しい。 いろんな病気に掛かる可能性も高く成るし、これは人間に限らず、動物である以上は当然のことだ。 昔の日本とは全く異なる人口に対する年齢層の逆転がある以上は、そうした現状に見合った制度や政策が必要で、その現実を生きる高齢者にも当然そうした現状を受け入れる事を求めることも当然だと私は思う。 
人生は常に現実を受け入れ、その現実とどのように対峙して、どの様な選択、決断、実行するのかで人生の中身が決まる。 
自分の運命をそのまま受け入れる事もある意味では、高齢者の覚悟だろう。 私も今は現役をリタイヤして、年金生活(バイトはしているが)をこの先、死ぬまで続けるのである。 年金だけでこれまでと同じレベルの生活を維持出来るかどうかは知らないが、仮にこれまでのレベルを維持出来ないなら、生活出来るレベルまで落とす必要もあるし、それでも無理なら死ぬしかないだろう。 
これは人間の当然の末路である。 どんなに社会に対して貢献したとしても、それは当然の事だし、次世代に未来を託す事は当然のことだ。 
自分の子供や、孫達が豊かに幸せに暮らす世界が保てるなら、私は望んで命を捧げたい。 今はいつでも死ねる状態でいたいと思う。 もう、これまでの人生でやりたい事や、やらないと行けない事はやってきた。 
もちろん、今でもまだまだ未来を夢見たり、望む事や、やりたい事は多々ある。 しかし、高齢になって、この先は確実に死に向かって進んでいる事を実感する。 残りの人生が後20年か、25年か、それとも、どんな病気なって、10年程度、15年程度で息を引き取るのかも知れない。 
現役を過ぎたらこうした死に対する覚悟は必須だろう。 常に死と向き合う気持ちは逆に今を大切に生きる事を望む事になるし、