summer diary

日記らしきページ

曇り空・・・

2023年11月07日 | Weblog
 曇り空が広がって居る。 昨夜から降り続けていた雨は止んでいる。 今朝はバイトから帰宅して、早々に洗濯をして干した。 もう少し晴れ間が出るだろうと思っていたが、あまり期待出来ないような気配だ。 
妻と二人暮らしになってからは2日に1回程度の洗濯になっているが、今日は意外と多くの洗濯物があった。 外出したりすると、余所行きの服などがあるので、何時もの部屋着だけでは無く、外出用の服も溜まる。 タオル類も二人で2日分ならそれなりにある。 
以前は息子も同居していたので、洗濯は毎日する必要があるほどだが、今は2日に1回程度でもそれほど多くもない。 
バイト明けの日はアッという間に昼になる。 今もやっと落ち着けたのはこの時間(11時半)である。 昼ご飯は食べる事はあまりない。 バイトから帰宅してから9時半頃に食べるので、昼でも腹はあまり空いていない。 ただ、帰宅してから食べる量は多くないので、たまには昼ご飯を食べたりする。 
さらに、時々はのんびりとビールを飲んで、昼寝をする事もある。 バイト先では睡眠時間が8時間あるが、やはり何時ものベッドでもないし、酒を飲んで寝る習慣になっているので、酒を飲まないでしらふではなかなか寝付けない。 逆にバイト明けで、昼にビールを飲んだりすると、睡魔がすぐにやってきて、昼寝をする事になる。 
そうなると、その日は自分がやりたい事をする時間が無くなってしまうので、あまり酒を昼から飲むことは、今はほとんど無いが、それでも、疲れて居る時や、特に用事もなく、のんびりと過ごす日には昼はビールを飲んで、のんびりと過ごす事もある。 
ギターの練習や、今はピアノの練習も始めて、毎日弾く事を継続していて、出来れば少しでも早く上達したいと願ってはいるが、そうした焦りではないが、先を急ぐ気持ちを押さえて、逆に弾く事が出来る時間を限る方がより集中して練習をする事も出来たりする。 これは、最近になって感じることだが、上達は決して量では無い。 逆に限られた時間の方が集中力が増すし、練習の質を高める方法と言うか、上達の進捗は練習の質の問題だと実感している。 
プロのギタリストやピアニスト達は、観衆を喜ばす事や、魅了する事を意識して演奏する事が求められるし、人の心を捉えるのは、奏者が目的を明確にして演奏する事だと言えるかもしれない。 自分の演奏に酔いしれる事が観衆の心を捉えるのでは無く、観衆が求めている物を与える事。 それがプロだと言う意見も少なくない。 
ステージでは演奏だけでは無く、話術も必要になるだろうし、実際にこれまでギターのコンサートや、ピアノなどのコンサートなどでも、演奏の合間の話の面白さやその印象は大切だと思う事もある。 
 誰かの為に演奏する事も重要だろうし、人を魅了する演奏は人に聞いて貰う事を想定して演奏する事も必要だろう。 ただ、音楽はそれだけではない。
自分が弾いて楽しむ事。 誰のためでは無く、ひたすら自分の気持ちのままに、ギターを弾くこと、ピアノを弾くことが好きだと言うだけの理由だって、それでも音楽である。 芸術ではないかも知れないが、演奏する事、音楽を奏でる事は究極的には自分自身の為であり、音楽を奏でる事で、自分に何かを得る事だろう。 私や、趣味でギターやピアノを弾く人に取っては、誰かの為とか、聴衆に感動を与えるとか、ステージに立って演奏するとか、人前で音楽を披露するなどと思って居る人はそれほど多くないような気もする。 
もちろん、聴衆に聞いて貰い、観衆と一体になって自分も感動する事も意味もあるし、そうした経験がより上達する意欲を強くするモチベーションに成るだろうし、アンサンブルやグループとの演奏は一人で演奏する時よりも楽しさや嬉しさを共有する事でより増す事もあるだろう。 
私も人前で演奏するほどに上達し、魅了する事が出来るほどの技量や、芸術性を持てる様に成ったら、そうした事も想像するだろう。 
しかし、今は、家で一人で弾いて居ても十分に満足出来ているし、楽しい。 音楽は一人でも楽しめるし、人と一緒に楽しむ事も出来るし、決まった形などはない。 芸術はDHロレンスの言葉を借りるなら、自分自身の為の物である。 
もちろん、一人の作家、奏者、画家、彫刻家、その他の芸術を言われる作品を作る人間の結果としての作品が、他者を魅了して多くの感動や感慨や、逆に怒りや、憤慨や、不安、憎しみの感情を生み出す事も可能だ。 
なぜか? それは、芸術は人間の精神性の表現だからである。 物では無く、人間が持っている精神的な部分を刺激し、受け取る側の心を揺さぶり、共鳴するからである。 そうした共鳴、揺さぶり、心に深く染み込む力を持って居るからである。 そして、それは作品として残る物体としてある物と、音楽などのその瞬間で消え去る物も含めて、芸術と言える物になる。 
現実の世界でも人との関係や出会いや、行動に感動したり、同調したり、共鳴する事柄は多々ある。 それは芸術とは言わないが、すでにそれは作家が作り出す作品以上により真実の人間の心に刻まれる情景だろう。 
ピカソは芸術は真実の嘘である。 と言った。 私のまったく同じ考えである。 真実、現実の情景こそが真実の本物の人間の心の真実だと思う。 そうした真実を想起させる物、心に深く刻まれる物、心を揺さぶり、人間が持つ、いろんな感情を彷彿とさせる物。 そうした作品。 それが芸術であると思う。 芸術は常に時代を反映している。 それは、この時代に生きる人間が作り出すからだ。 好きとか、嫌いとか、個人の趣向や観念や信念なども、生きている時代背景を嫌が上でも心は感じて居る。 
そうした心の真実は決して消す事が出来ないのが人間なのである。 
さて、話が逸れたけど、音楽は、さらにギターやピアノを奏でる事や、人を魅了する事が出来る演奏は、プロだけの物ではない。 おぼつかない演奏ですら、人を魅了して、感動させる物が間違いなくある。 それはなぜか? それはその人間の心が嫌が上でも表現されるからである。 それを意識するか、しないかなどでは無く、さらには技術的な表現力の問題でもない。 
人は誰でも芸術家になれるのである。 自分自身の為だけであってもである。