お中元のやり取りしてるミヤ子叔母に電話した。
ミヤ子叔母はお茶が好きだからお茶を年に二回送っているが、お茶は買ったことがなくえみちゃんからもらっているので足りているとのこと。
老人性の鬱になって久しいが、その原因はもう一人の叔母、ナカ子叔母が亡くなってからである。
双子のように仲良しだった叔母たちだった。この二人の間に、私の母スイ子がいたのだった。
ナカ子叔母が亡くなってから、子供の一人が財産分与を言いだした。今住んでいて、製本業を営んでいる所を処分して分けろということだったらしい。
言いだしたのはその二男だった。
長男は銀行から借金してその二男に3千万円やり、妹にも2千万円渡した。妹は「そんなにまでして作ったお金はいらない」と断ったそうだ。
二男は叔母の生前から何かとやってきては叔母からお金をもらっていた。その額1千5百万円。
そのことを聞いて知っていたミヤ子叔母が、事実を告げると二男は「そんな証拠はどこにあるのか、訴えられても証拠はない」と開き直ったそうだ。
良く聞く、醜い財産争いだが兄弟の仲はこれでおしまいになったそうである。
子供のころ私は、優しい長男のまあちゃんが好きだった。いつも正しく平等に扱ってくれて信頼できる人だと思っていた。
しかしこの二男は信用できなかった。お天気やで、自分の得にならないと寄ってこない、計算高いところがあった。
子供のころの、私の人を見る目は当たっていたな・・・と実感しました。
そのほかの従兄弟たちとも交流をもっているが、みんな助け合って製本業を営んでいるのです。
私が病院勤務を始めたことも、話しました。
電話の向こうで、懐かしいが弱弱しい叔母の声が頼りなくさみしかったが、私はどうやって年をとろうかな・・と考えさせられた。
私は自分の子供たちには、平等にしたいと思う。うちには財産などないが、子供3人がいつも笑って付き合える姉弟でいてもらいたい。
私自身、子供を頼ることなく元気にご飯の支度もできる老婆でいよう。なるべくお金に困らないように暮らそう。
60歳過ぎて、全然職種の違う病院に勤務するようになったのって、すごくいいことだと思いました。
それまでぐうたらしていたのに、一日中動き回る仕事なんですもの。これって、今から鍛えられてるわけですよね。
さとさんのおかげと、ひょっとしたら神様のいたずらかもね。「えみこには、これが必要。将来のために・・」ってね。
このヘルパーの仕事、「もう、こなくていいよ・・」と言われるまでがんばろうっと・・・。70歳すぎても。
仕事を持っていれば、頭も使うし身体も使う。健康にもいいし若さも保てる。一石4鳥ですよね。
かっこいい仕事ではないけど、きれいな仕事ではないけど・・・ね。
そしてまた70歳になったころ、ゆっくり周りを眺めてみてそれからの生き方を進もう。
なんか、人生、考えちゃったんです。
明日はレッスンだった。
あはっ!がんばろうっと・・・。
ミヤ子叔母はお茶が好きだからお茶を年に二回送っているが、お茶は買ったことがなくえみちゃんからもらっているので足りているとのこと。
老人性の鬱になって久しいが、その原因はもう一人の叔母、ナカ子叔母が亡くなってからである。
双子のように仲良しだった叔母たちだった。この二人の間に、私の母スイ子がいたのだった。
ナカ子叔母が亡くなってから、子供の一人が財産分与を言いだした。今住んでいて、製本業を営んでいる所を処分して分けろということだったらしい。
言いだしたのはその二男だった。
長男は銀行から借金してその二男に3千万円やり、妹にも2千万円渡した。妹は「そんなにまでして作ったお金はいらない」と断ったそうだ。
二男は叔母の生前から何かとやってきては叔母からお金をもらっていた。その額1千5百万円。
そのことを聞いて知っていたミヤ子叔母が、事実を告げると二男は「そんな証拠はどこにあるのか、訴えられても証拠はない」と開き直ったそうだ。
良く聞く、醜い財産争いだが兄弟の仲はこれでおしまいになったそうである。
子供のころ私は、優しい長男のまあちゃんが好きだった。いつも正しく平等に扱ってくれて信頼できる人だと思っていた。
しかしこの二男は信用できなかった。お天気やで、自分の得にならないと寄ってこない、計算高いところがあった。
子供のころの、私の人を見る目は当たっていたな・・・と実感しました。
そのほかの従兄弟たちとも交流をもっているが、みんな助け合って製本業を営んでいるのです。
私が病院勤務を始めたことも、話しました。
電話の向こうで、懐かしいが弱弱しい叔母の声が頼りなくさみしかったが、私はどうやって年をとろうかな・・と考えさせられた。
私は自分の子供たちには、平等にしたいと思う。うちには財産などないが、子供3人がいつも笑って付き合える姉弟でいてもらいたい。
私自身、子供を頼ることなく元気にご飯の支度もできる老婆でいよう。なるべくお金に困らないように暮らそう。
60歳過ぎて、全然職種の違う病院に勤務するようになったのって、すごくいいことだと思いました。
それまでぐうたらしていたのに、一日中動き回る仕事なんですもの。これって、今から鍛えられてるわけですよね。
さとさんのおかげと、ひょっとしたら神様のいたずらかもね。「えみこには、これが必要。将来のために・・」ってね。
このヘルパーの仕事、「もう、こなくていいよ・・」と言われるまでがんばろうっと・・・。70歳すぎても。
仕事を持っていれば、頭も使うし身体も使う。健康にもいいし若さも保てる。一石4鳥ですよね。
かっこいい仕事ではないけど、きれいな仕事ではないけど・・・ね。
そしてまた70歳になったころ、ゆっくり周りを眺めてみてそれからの生き方を進もう。
なんか、人生、考えちゃったんです。
明日はレッスンだった。
あはっ!がんばろうっと・・・。