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タリバンって何?

2021-08-23 00:11:06 | 歴史

アフガニスタンをほぼ全土制圧した「タリバン」のニュースが毎日報道されています。

タリバンって何?

「タリバンって何?」というブログ読者の皆さんも多いようですので、今回はタリバンについて調べてみました。

Wikipediaによると

ターリバーン、タリバン(パシュトー語: طالبان、Tālibān、英語: Talibanまたは英語: Taleban、「学生たち」または「求道者」の意)、または自らを「アフガニスタン・イスラム首長国(IEA)」と称する団体は、アフガニスタンにおけるイスラム教スンナ派(多数派)諸派デオバンド派のイスラム主義(イスラーム原理主義)学生運動・軍事組織、テロ組織であり、アフガニスタンで戦争(反乱、ジハード)、テロを展開し、2021年8月15日時点でアフガニスタン全土を実質的な支配下に置いている団体

と、「ちょっと恐ろしげ」に書いてあります。

ターリバーンは「学生たち」という意味

アフガニスタンの主要民族であるパシュトゥーン人(アラビア語やペルシア語では「アフガン人」とも言う)の言葉パシュトゥーン語やアラビア語で、学生のことをターリブと言い、その複数形がターリバーンطالبان となります。

つまり、ターリバーンとは「イスラーム神学校の学生たち」、という意味です。

ルーツはインド。パキスタンの「マドラサ」(イスラーム神学校)で学んだ学生たちがターリバーン

インドは昔「ムガール帝国」というイスラームの国だったこともあり、インドにはヒンドゥー教徒以外に多くのムスリム(イスラーム教徒)が住んでいます。

19世紀後半にイギリス領デーオバンド(インド北部ウッタル・プラデーシュ州の一都市)で興ったイスラーム・スンナ派の一派がいわゆる「デーオバンド派」。これがインドからのパキスタン独立(パキスタンは昔、インドの一地域でした)をめぐって分裂し、パキスタン独立賛成の多数派はパキスタンに拠点を移しました。

ターリバーンの指導部がパキスタンにおいてデーオバンド派から分離した勢力のマドラサ(イスラーム神学校)で学んだことから、彼らが「ターリバーン」と呼ばれるようになりました。

三蔵法師が旅したアフガニスタンはシルクロードの要。中国の「一帯一路」の要でもある

西遊記に出て来る三蔵法師(玄奘三蔵)が、アフガニスタンを通って経典を求めにインドに行ったことはよく知られていますが、昔からアフガニスタンはシルクロードの重要地点。

アフガニスタンの都市、バーミヤンは日本ではファミリーレストランの名前にもなっています。「中国レストランなのに何でアフガニスタンの都市の名前?」と思った方も多いと思いますが、アフガニスタンはシルクロードの要。そして今ではパイプラインや地下資源などで、中国の「一帯一路」の要。ここを失ったら「一帯一路」もつぶれてしまう、ということで、中国はターリバーン政権をいち早く承認しました。中国も必死なんですね。

イスラーム化したアフガニスタン、その後イギリスの保護国、王政、そしてソ連圏へ、と目まぐるしく変わる政治

8世紀にイスラーム化したアフガニスタン。その後イギリスの保護国、王政へと目まぐるしく政治体制が変わっていきました。

1973年王族内部の争いでクーデターを起こしたムハンマド・ダーウードという王族の一員が「アフガニスタン共和国」を樹立し、ソ連(今の「ロシア」)に接近します。

しかし、1978年アフガニスタン人民民主党(ソ連派)による軍事クーデタが起こり、ダーウード一族は処刑されてしまいます。

ここから40年にわたる戦争と苦難の歴史が始まるアフガニスタン

このクーデタに反発したムジャーヒディーン(「ジハード」を行うイスラーム聖戦士たち、という意味)が全国で蜂起。これに対し、1979年にはソ連がアフガニスタンに軍事侵攻。ここにアフガニスタンの長い、長い戦乱と苦難の歴史が始まります。


冷戦下でソ連に対抗するためムジャーヒディーンに金や武器を与えたアメリカ

1975年にベトナム戦争で敗北した当時のアメリカは冷戦下でソ連に対抗するため、アフガニスタンのムジャーヒディーンに金や武器を与えて肥大化させました。

このムジャーヒディーンの中からアル=カーイダのビン・ラーディンやタリバーンが生まれました。
アメリカは、自分が一生懸命育てた彼らを後に敵に回すことになります。

1989年ソ連撤退後、アフガニスタン内戦(1989-2001年)
勢力をのばしたターリバーンが1996年国家樹立を宣言

ソ連が1989年アフガニスタンから撤退した(その2年後ソ連自体が崩壊)ため、1992年にソ連派だったナジブッラー政権が倒れ、アフガニスタンの内戦が本格化。

群雄割拠の争いが激しくなる中、ターリバーンが勢力を広げ、1996年首都カーブル(日本や欧米ではなぜか「カブール」と呼ぶ)を占領、「アフガニスタン・イスラム首長国」の樹立を宣言。

しかし、ケニア・タンザニアでアメリカ大使館へのテロを行ったアル=カーイダを「客人をもてなす」という部族の慣習に従ってかくまったために、ターリバーンはアメリカとの関係が悪化し、国連加盟国から経済制裁を受けました。

2001年9・11テロ

そして2001年9・11(アメリカ同時多発テロ事件)が起きます。
ビン・ラーディンが指示した、とされていますが、彼のコントロールがきかない他のアル・カーイダグループの連中がやった、と考える人もいます。

保護を求めてきたビン・ラーディンを「部族の慣習に従って」かくまっただけなのにアフガニスタンを空爆し、「大量破壊兵器を持っている」というウソでイラクに戦争をしかけたアメリカ

「9・11テロへの報復」と言ってアメリカのブッシュ大統領はアフガニスタンとイラクに爆撃を行いました。

しかし今から見ると「アフガニスタンもイラクも9・11とは関係なかった。この戦争は間違っていた」と考える人が多いようです。

イラクのフセイン政権には「大量破壊兵器を持っているから」と戦争をしかけ、フセインを殺してしまいましたが、今では「大量破壊兵器などなかった」ことがハッキリしています。

アラブから見ると、アメリカが悪い?

日本のメディアはアメリカの報道をそのまま鵜呑みにして報道することが多いですが、アラブの人たちの立場になってみると、この戦争は全然違って見えてくるようです。

アメリカは「イラン革命」で親米の王政が倒れた後、イランを抑え込むためイラクのフセイン大統領をけしかけてイラン=イラク戦争を起こさせ、フセインを後押ししたが、その後フセインがアメリカの言いなりにならなくなっため邪魔になってイラク戦争(第二次湾岸戦争ともいう)をしかけ、フセインを殺害した。結局「大量破壊兵器」というのはアメリカのウソだったし、フセインは9・11とは何の関係もない。

アフガニスタンのターリバーンも「9.11」とは何の関係もない。ただ保護を求めてきたビン・ラーディンを「部族の慣習に従って」かくまっただけ。

結局アメリカはアフガニスタンを自分の勢力下に置きたかっただけ。そのためにアメリカは1兆ドル(109兆円)の戦費を使い、アメリカ兵2448人を死なせ、アフガニスタンの民衆21万人を死なせた。もうその人たちの命は戻って来ない。アメリカの軍産複合体が金もうけしただけ。

9・11はアメリカのイスラームへの無知・無理解から生まれた?

多くの尊い命を奪った9・11テロは断じて許されるものではありません。
ただ、なぜこんなことが起きてしまったのか、アラブの視点から考えて見る必要はあるでしょう。

<アメリカのイスラエル支援は許せない>

アメリカには強力な「ユダヤ・ロビー」が存在し、その力と資金力が選挙の結果も左右する。更にアラブ世界ににらみをきかせるためイスラエルを「アメリカの中東支配の拠点」として強力に支援しています。

しかし、アラブから見れば「イスラームの聖地でもあるエルサレム(ここからムハンマドが昇天した、という奇蹟がクルアーン(コーラン)に書かれています)のあるパレスチナを武力で占領し、パレスチナ民衆の土地を奪い、爆撃し、アラブの地を蹂躙する『異教徒』イスラエルを全力でバックアップするアメリカは許せない」ということになります。

預言者ムハンマド最大の奇跡「ミウラージュの奇跡」 | TRT 日本語

<聖地を「異教徒の軍隊」が踏みにじるのは許せない>

更に、湾岸戦争の時以来、アメリカはサウジアラビアに軍隊を駐留させていることに
イスラーム教徒、とりわけ「原理主義」と言われる人たちが激しく怒っています。
「世界中から巡礼に来るカーバ神殿があるマッカ(英語でメッカ)」、「ムハンマド(マホメット)が最初にイスラームの教えを広めたマディーナ(英語でメディナ)」がある、イスラームの中心地サウジアラビアに「異教徒の軍隊」を駐留させるのは許せない

ということになります。

こうした「イスラームの三大聖地を異教徒が蹂躙している」ことへのイスラーム教徒の積年の「怒り」を無視して「力で抑えられる」と過信したアメリカのイスラームに対する無知・無理解と「大国のおごり」がこの事件を引き起こしてしまった、ということもできます。

イスラームの聖地メッカ、メディナ、エルサレム

 

スンナ派とシーア派の間に対立はない?

ムハンマド(モハメット)の後継者を誰にするかで分裂した「スンナ派(スンニー)」と「シーア派(シーイー)」の対立がよくニュースで取り上げられますが、実は「スンナ派」と「シーア派」の間にそれほど大きな対立はありません。

イスラームの中にある「世俗主義」と「原理主義(サラフィーヤ)」の対立

むしろ「世俗主義」と「原理主義(سلفية サラフィーヤ)」の対立の方が大きい。

(フセイン政権の頃)のイラクやシリア、トルコ、エジプトなど西欧民主主義化した「世俗主義」

一方イスラーム法に基づく支配を行なおうとする「原理主義」

イスラームには、大きくわけてこの二つの流れがあります。

サウジアラビアは元祖「原理主義」

意外と思われるかも知れませんが、サウジアラビアの国の基本は「原理主義」

だから
ターリバーンの旗とサウジアラビアの国旗を比べて見るとそっくりです。

ターリバーンの旗


サウジアラビアの国旗

(両方、「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒である」というイスラームの誓いの言葉がアラビア語で書かれています。)

アフガニスタンの平和を願う

反ターリバーン派がアフガニスタン国土の一部を奪い返した、とか「前の失敗にこりて、穏健になった」「いや、女性の権利が制限されているのは同じだ」など、さまざまな情報が入り乱れていますが、ターリバーンが穏健化し、部族同士の争いをやめて武器を捨てる、ということができるのか、アフガニスタン情勢に目が離せません。

ソ連やアメリカなど大国の思わくで40年間もずっと戦火に見舞われているアフガニスタンに真の平和、真の自由が戻ることを願いたいと思います。

戦乱のアフガニスタンで民衆と共に歩み、人生を全うされた中村哲さんも、天国でそれを望んでおられると思います。

 

 

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