クーデターから1年 ミャンマー“沈黙のストライキ”軍が圧力
(日テレニュース)
ミャンマーの軍事クーデターから2月1日で1年です。外出を控えて抗議の意思を示す「沈黙のストライキ」が呼びかけられる中、軍は参加者を処罰するとして、圧力を強めています。
「沈黙のストライキ」は、外出を控えて軍への抗議の意思を示すもので、武力弾圧によって表だった抗議活動ができなくなった市民にとって、残された数少ない抵抗の手段です。
これに対し、軍は、参加者を処罰するとしていて、商店に対し、店を閉めないよう警告するなど、圧力を強めています。
警告を受けた商店の人は、「店は開けざるを得ないが、客には来ないでほしい」と話していました。
人権団体によりますと、弾圧の犠牲者は1500人を超え、8000人以上が身柄を拘束されています。
ジャーナリストの姉が拘束され、軍の尋問施設に送られたという女性が悲痛な胸の内を語りました。
姉が拘束中 ミャンマー人女性「姉は父親の代わりに家族の生活を支え、私の教育を支援してくれました。姉のことを考えると悲しすぎて涙も出ません」
「沈黙のストライキ」実行 実施後に拘束者も…
軍事クーデターから1年となったミャンマーでは1日、市民が外出を控えて抗議の意思を示す「沈黙のストライキ」が行われました。成功を祝い拍手をしたとして、軍に拘束される市民も出ています。
最大都市ヤンゴンでは1日、「沈黙のスト」が始まった午前10時以降、交通量は減り、通りを歩く人の姿もまばらとなりました。
午後4時にストが終わると、市民がクラクションを鳴らしたり、拍手をしたりして、成功を祝う場面もありましたが、地元メディアによりますと、路上で拍手をしたとして10人以上が軍に拘束されたということです。
一方で、軍の支持者が横断幕を掲げて歩く姿もみられ、軍側が動員をかけた可能性もあります。1日は、こうした軍の支持者や施設を狙った爆発も各地で相次ぎ、複数の死傷者が出たということです。
ミャンマー向けODA 拠出額は日本がダントツ
(President Onlineの記事より)
日本は、毎年1000億円以上のODAをミャンマーに提供し続けている。2019年の経済協力開発機構(OECD)のデータでいうと、日本の拠出金額は6億4690万ドルで、2位の世界銀行2億2080万ドル、3位のアメリカ1億4640万ドルに大きく差をつけて首位である
ミャンマー国軍と日本政府・日本ミャンマー協会の「利権ネットワーク」のせいで、ミャンマーの人々1500人以上が殺されている。日本人の責任は大きい
http://blogpoulmatsu.blog113.fc2.com/blog-entry-627.html
(ブログ「のんびり館」より抜粋)
欧米諸国の国軍への制裁強化と世界で高まる国軍批判の声をよそに、日本政府がいまだに旗幟を鮮明にしないのはなぜなのか。その謎を解くカギとして無視できないのが、両国を結ぶ利権のネットワークである。一例として、ODA(政府開発援助)ビジネスの黒幕とされる日本ミャンマー協会の渡邊秀央会長が、クーデターの首謀者で国軍トップのミンアウンフライン総司令官が会長をつとめる国軍系企業と手を組んだ、最大都市ヤンゴンの商業地開発事業がある。
二人の親密な関係
まず渡邊氏とミンアウンフライン司令官との親密な関係を確認しておこう。
2月1日のクーデター直前の1月19日に、二人が首都ネピドーで会談したことは、国営英字紙でも報じられた。ミンアウンフライン氏とは確認されただけで24回も会っている。
最初の出会いは、2011年の民政移管で誕生したテインセイン政権が打ち出したヤンゴン郊外のティラワ工業団地の開発がきっかけといわれる。旧知の軍人であるテインセイン大統領からこのプロジェクトへの日本の支援を打診された渡邊氏は、さっそく日本の政官財の関係者に根まわしして巨額のODA供与の約束を取りつけた。オールジャパンの総力を結集したこのODAプロジェクトについて、安倍晋三首相は13年のミャンマー訪問のさい、両国の協力の象徴とぶち上げたが、ミャンマー側で共同開発を担ったのは国軍と関係の深い財閥企業だった。渡邊氏はその関係で12年に国軍トップとの関係ができ、ミンアウンフライン司令官は17年に日本ミャンマー協会と日本財団(笹川陽平会長)の招待で来日、安倍首相と茂木外相と会談した。
そして渡邊氏が国軍系の複合企業ミャンマー・エコノミック・コーポレーション(MEC)と手を組んだのが、ヤンゴンのミンダマ地区の開発である。
このプロジェクトに参入するため、渡邊会長が社長、息子の渡邊祐介氏(日本ミャンマー協会常務理事・事務総長)が副社長をつとめる日本ミャンマー開発機構(JMDP)がMECと提携した。
ところが、プロジェクトの推進に大きな問題が生じた。国連のミャンマーにおける事実調査団が2018年に、国軍系企業の実態とその外国企業との提携関係を明らかにしたからである。調査団は翌年の報告書で、「ミャンマー国軍とその所有企業であるミャンマー・ エコノミック・ホールディングス(MEHL)とMECが参加する外国企業の活動はすべて、国際人権法や国際人道法の違反の一因となる、またはそれらの違反と関連づけられる危険性が高い。少なくとも、そうした外国企業は国軍の財政能力を支える一因となっている」として、国軍による国際人権法と人道法の違反を防ぐために国軍を「財政的に孤立」させるべきだと主張した。
ミンダマ開発の関係者によると、報告書の指摘をうけて、イオンは「国軍と関係したくない」として、プロジェクトから手を引き米国進出を優先する方向転換の意向をしめしたところ、渡邊氏が激怒したという。
反クーデター運動弾圧の指揮者たち
日本ミャンマー協会への抗議デモに参加したあるミャンマー人は、私にこう語った。「日本の大企業の利益とミャンマー国軍の利益が一致していることは、私たちには前から分かっていた。だから国軍は、自分たちが何をやっても日本は強く出てこないと足元を見透かしている。でもそのような両者の関係は、これまでは霧につつまれていた。それが、クーデターを機に明るみになったのです。ミャンマーと日本の国民が真の交流と友好関係を発展させていくためには、黒い霧に隠れて甘い汁を吸ってきた連中を取り除かなくてはならない。そうでないと、これまでの日本に対する私たちの好感度が損なわれていく恐れがあります」
次に渡辺という利権を手中にした人物について
左から、日本財団笹川陽平会長、麻生氏(日本ミャンマー協会最高顧問)、テインセイン(ミャンマー国軍。この写真の時は大統領)、渡邉秀央日本ミャンマー協会会長
(2012年当時のこの写真は「Tansa」から転載)
日本ミャンマー協会を設立編集
2011年(平成23年)3月、ミャンマーの大統領にテイン・セインが就任。ミャンマーは半世紀ぶりに民政が敷かれることとなった。同年10月21日、テイン・セインは公邸での晩餐後、渡辺と会談し、「ヤンゴン近郊のティラワ経済特区を日本が開発しないか。ただし資金は日本が用意する条件で」と提案した。東京に戻った渡辺は玄葉光一郎外務大臣と接触し、「年内に外相が正式にミャンマーに行き、ティラワの提案について具体的に検討しますと言うべきだ。そうしなかったら日本のものにならない」と伝えた。また、枝野幸男経済産業大臣に対し、仙谷由人元官房長官とともにミャンマーを早いうちに訪問するよう説得した。
同年12月、日本ミャンマー協会を設立し、会長・理事長に就任した。息子の渡邉祐介は同協会の常務理事・事務総長に就いた。
2012年(平成24年)4月、日本政府は円借款によるミャンマーへの債権約3千億円を放棄して、新たな円借款を出すことを決定。渡辺は同年7月25日に首都ネピドーで行われたティンナインテイン国家計画経済開発相と日本の経済産業省幹部の会談に同席。続いて7月26日、仙谷由人とテイン・セイン大統領の会談にも同席した。1年弱のあいだに日本は官民で少なくとも180億ドル規模の支援、投資、債権放棄を行うことを決めた。さらにティラワとは別の経済特区ダウェイの開発に対し、官民で最大32億ドルを融資することも決まった。
いやはや民主党政権時代から構築した利権組織がミャンマー協会である。
(以上、ブログ「のんびり館」より)
軍部との「太いパイプ=利権ネットワーク」を持つ日本政府と日本ミャンマー協会がミャンマー国軍に流し込む資金で、ミャンマーの人々が1500人以上殺されている。
日本と軍部の「太いパイプ」のおかげで今ミャンマーの人々が地獄の苦しみを味わっています。日本人の責任は重いと言えます。
(この記事もご参照ください)
ミャンマー国軍の民衆への弾圧を支えているのは日本政府と日本企業 - 住みたい習志野
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