6万5千票の大差で沖縄の知事に再選された玉城デニー氏
(「現代ビジネス」の記事)
玉城デニー、誰も知らなかった「謎の青春時代」が凄すぎる
県知事再選・玉城デニー、誰も知らなかった「謎の青春時代」が凄すぎる(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
記事の途中にブログ編集部が「どうでもいい注」を時々加えさせていただきました。
高校生バンドで名を馳せた
1959年、玉城デニー氏は沖縄県うるま市で生まれた。母は伊江島出身の日本人、父は在日米軍の軍人だ。
「デニス」と命名された玉城氏は、小学生時代に「康裕」という日本名に改名する。沖縄返還(1972年)前の時代に、米軍兵士の子として生まれたわけだ。「嫌なーアメリカー」(嫌なアメリカ人)と悪口を言われて差別されたり、暴力を受けることもあったという。現在使っている通称「デニー」は、「デニス」の音を崩した愛称だ。
高校生時代の玉城氏は、ディープ・パープルやKISS、レッド・ツェッペリンに熱狂して仲間とバンドを結成する。玉城氏がヴォーカルを務める4人組バンドは、地元のライブハウスで人気を集める。高校生なのに、登校時にカバンすら持たない。ギブソンのエレキギターをケースに入れず、剥き出しのままギターを手に登校するヤンチャ少年だったそうだ。
(高校の応援団員だった頃)
玉城氏より5歳下の音楽家・伊波興奨氏には、20代のころ忘れがたい思い出がある。電気代も子どものオムツ代も払えないほど生活に困窮していた伊波氏は、コザ(沖縄本島中部)の店先でストリートライブを敢行し、チップを稼ごうと考えた。そこにミュージシャンの大先輩である玉城氏が現れたのだ。
〈伊波は、「いや、もう電気代も払えなくて……」と口ごもるように答えた。すると、デニーは「じゃあ、一緒に歌おうぜ」と言い出し、伊波がアコースティックギターを弾いて、デニーが歌い出したのである。
エリック・クラプトンの「コカイン」、ZZ TOPの「タッシュ」、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の三曲を立て続けに演奏した。
(ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」)
もちろんアンプもマイクもない。デニーの生声がセンター通りの一角に響いた。〉
4の字固めをかけてシャウト
沖縄の路上でゲリラライブを敢行した当時、玉城デニー氏はミュージシャンとして人気者だっただけでなく、地元のラジオ番組でDJとしても名を馳せていた。現在は沖縄県知事として首相と五分で渡り合う玉城氏が、無許可のストリートライブでチップを稼ぎ出すエピソードがグッとくる。
【以下、音楽家・伊波興奨氏の証言】
「デニーさんは、僕に4の字固めをかけながらシャウトしてましたね。
(編集部の「どうでもいい注」)
若い方は「4の字固め」と言ってもご存じないでしょうが、アメリカの大学院を出たインテリ・プロレスラー、デストロイヤーの得意技でした。
デストロイヤーさん、テレビのバラエティー番組でも大人気でした。
(以上、「どうでもいい注」でした)
ギャラリーが大勢集まってきて、ドルや円が空き缶に入ってきた。ところが、ゲリラライブを警察に通報されて、パトカーがやってきたんです。
そしたらデニーさんは、“これは僕らに命令しているのか、お願いしているのか”って警察官に聞いたんです。警察官は“騒音がひどいから”と答えてました。そうしたらデニーさんは“音楽ってそういうもんじゃないか、これが文化なんだ”って言って警察官につっかかっていった。そうすると現場がざわつき出して、見ていた米兵も興奮し出した。
ほんとうにおカネに苦労していたので、路上でライブをやってでも小銭でも集めてしのがなきゃいけなかった。そういう意図をデニーさんは知っていてくれたんです。
けっきょく八〇〇〇円ナンボ入って、笑いながらデニーさんは、“うりっ! むっち行けぇ! 電気代払てぃくゎぁ(これ、持っていって電気代払ってきて)”と言ってくれました。これで子どものおしめを買えとも言ってくれた。僕はあのとき泣いちゃいました」〉(『誰も書かなかった 玉城デニーの青春』より)
「SHOW-YA」メンバーと一緒にバンドを
SHOW-YA(ショーヤ)といえば、1980年代半ばにメジャーデビューしたヘヴィメタルバンドとして知られる。ヴォーカルの寺田恵子氏を中心に、女性だけで結成されたガールズバンドの草分けだ。還暦近くになる今も、日比谷野外音楽堂で毎年「NAONのYAON」という野外ライブを開催して人気を集めている。
若き日の玉城デニー氏が、そのSHOW-YAメンバーとバンドを組んでいたというから驚く。
〈沖縄のハイパー高校生ハードロックバンドとも言えた〈ウィザード〉の活動にいったん終止符を打った玉城デニーは、沖縄を出て東京の四谷にあった上智社会福祉専門学校(福祉主事任用課程)に進んだ。
同校は上智大学のキャンパス内にある。卒業すれば、児童指導員と児童福祉士の国家資格が取得できた。
当時のことをデニーが述懐する。
「その専門学校はまじめに授業を受けていれば二年間で卒業なんですが、僕は授業日数が足りなくて、あと一年間、特別講義を受けなければならなくなり、時間にゆとりができたんです。それで、またバンドでもやろうかなということで、この一年間の猶予期間だけ東京でバンドをやったんですね。卒業して、福祉士の国家資格を取ったら沖縄に帰ろうと思っていました。なんか東京にはなじまないというか、東京で働こうとは思えなかったんです。
『ロッキンf』という雑誌にバンドのメンバー募集というコーナーがあって、そこに連絡を取りました。曲はこれとこれとこれで、中から一曲コピーしてきてください、と。オーディションには一人で行きました。そのオーディションのメンバー募集を呼びかけた方は、いまも現役の女性のハードロックバンド〈SHOW‐YA〉のギター、五十嵐SUN‐GO美貴さんだったんです。彼女が高校生のときで、自分はプロ志望だからできれば年上のプロ志望の人たちとやりたいと言ってました。僕はプロ志望じゃないけど、彼女のおメガネに適うようなわりとやさしいお兄様方がそろったわけです」
(編集部の「どうでもいい注」)
女性ロックバンド「SHOW‐YA」のヴォーカル、寺田恵子さんは船橋出身。「住みたい習志野」の記事にも登場したことがあります。
タモリ倶楽部で、船橋9駅「総選挙」。どの駅がイケてる? - 住みたい習志野
(寺田恵子さんは、薬円台出身)
(こんな歌をうたっています。かっこいい!)
ちなみにSHOW-YAというグループ名は、居酒屋「庄や」でみんなで飲んでいる時、「この店の名前を使おう」ということでグループ名にしたそうです。
デニーさんと一緒にバンドを組んだ〈SHOW‐YA〉のギター、五十嵐SUN‐GO美貴さん。そのネーミングの理由は、SHOW-YAに加入した順番が中村美紀さん、角田美喜さんそして五十嵐美貴さんと名前が「みき」で3番目に加入した為「3号」だったから3号(SUN‐GO)としたそうです。このバンド、相当ダジャレが好きなようです。
(以上、「どうでもいい注」でした)
デニーさんの青春時代については、こんな記事や動画もあります
玉城デニーの本名や経歴!若い頃から現在まで総まとめ | Celeby[セレビー]|海外エンタメ情報まとめサイト
子供の頃は容姿でいじめられた
アメリカへ渡航しなかったことで母子家庭で育った玉城デニーさんは、母親が住み込みの仕事についていたことから知り合いの家庭に預けられていたそうです。
そんな玉城デニーさんは子供の頃、肌が白く髪の毛も赤く、見た目は完全に『アメリカ人の子供』だったことから、いじめらていたそうです。
しかし育ての母親に相談し、その時に言われた言葉で救われたと言います。
子どもの頃の私は今よりも肌が白くて、髪の毛ももっと赤くて、見た目は完全に「アメリカ人の子ども」でした。それで、外見が違うというだけでいじめられて、泣いて帰ることもよくありました。ある日、いじめられた話を「育ての母」にすると、こんなことを言われました。
「両手の指を見てごらん。10本の指は同じ高さや太さじゃないよね。人間も見た目はみんな違っていいんだよ。人間の姿かたちは皮一枚なの。皮をとってしまったら、骨も肉も血の色もみんな同じ。気にすることはないんだよ」
母の話を聞いて、子どもながらになるほどなと思いました。自分がいじめられる理由はないこと、そして人をいじめてもいけないことをぼんやりながら理解しました。
若い頃は様々な職業についていた
与那城村教育区立与那城小学校、与勝事務組合立与勝第二中学校、沖縄県立前原高等学校、上智社会福祉専門学校を卒業した玉城デニーさんは、その後福祉関係に臨時職員・インテリア内装業・音響関係など様々な仕事についています。
そんな玉城デニーさんは30歳の時、タレントとしても活躍しており、琉球放送ラジオの人気番組「ふれ愛パレット」のパーソナリティなど務め、高齢者から絶大な支持を得ていたのです。
光文社刊「誰も書かなかった 玉城デニーの青春 もう一つの沖縄戦後史」発売記念オンライントークイベント
民衆の痛みがわかるミュージシャンの方が信頼できる?
先日ミャンマーで軍部に処刑されたピョーゼヤートー元下院議員も元々はヒップホップをやっていたミュージシャン。沖縄でも、金まみれ、統一教会まみれの政治家より、民衆の痛みを知るミュージシャン出身の知事を県民が選択した、と言えるかも知れません。
コメントをお寄せください。
<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す
国がこれまで強行したのは、沖縄人に対するひどいハラスメント。地方自治を無視して、オレの言うことを聞け、金で頬を引っ叩き、戦場だった沖縄南部の遺骨が混じる土を埋め立てに使い…。
国の行為はパワハラ、マネハラ、モラハラの悪行で許されない。
安倍さんが死去して、統一教会問題などで、これまでの国政の虚構が次々と剥がれ落ちている。それでも安倍さんの遺影を飾り立てるのか! 森さんの胸像を作るのか!
ボロボロとした醜い虚飾が落ちて、沖縄の人たちの意志の固さの積み重ねが、私たちの前に美しい姿を現した。
そんな気がする玉城デニー氏の再選でした。