かもめのジョナサン JONATHAN LIVINGSTON SEAGULL |
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読了日 | 2013/11/28 | |
著 者 | リチャード・バック Richard Bach |
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訳 者 | 五木寛之 | |
出版社 | 新潮社 | |
形 態 | 文庫 | |
ページ数 | 140 | |
発行日 | 1977/05/30 | |
ISBN | 4-10-215901-0 |
ログのプロフィールの自画像のイラストをしばらくぶりに描き変えた。
イラストを描くために改めてデジカメで自分を撮った。僕はその画像をパソコンに移して見て、その見るからに老人と言った風情に驚いた。過ぎた11月2日の誕生日で、74歳を迎えた僕は老人には違いないのだが、普段はあまり意識していなかった自分の顔が、これほど年老いた顔になっていることに、いささかながらがっくりした。「写真は嘘をつかない」などというが、まったくその通りだ。
気持ちの上ではまだまだ若さが残っていると思っていただけに、その落差に驚いたと言うわけだ、まあ、歳相応の顔になったと思って納得するしかない。これからは、そんな驚きを味合わないために、年一回はプロフィールの画像を描き換えようか。
昔を思い起こした前回の余韻が残った、と言うほどのことでもないが、僕が千葉市の京葉産業と言う会社の営業マンだった(ことによったらもっと前の事務職だった頃かもしれない)頃だが、はっきりした時期は忘れた。
この本(単行本の方だ)が出たのと相前後してナンセンスクイズが流行った。会社の近くにアートサロンと言うスナックがあって、(多分今でもあるのではないか?)税理士だったか会計士だったか(覚えてないが)のご主人と、その奥方が運営していた。(音大を出た声楽家の奥方はずっと後に離婚してしまったが・・・)
4-5階建てのビルの1階部分は半分駐車場となっており、2階部分が店だった。県庁の直ぐ近くと言う地の利もあって、ランチタイムや五時以降のオフタイムには、サラリーマンと思しき人種で賑わいを見せていた。
僕も会社の近くだったから、ランチを食べに行ったり、終業後の夜1杯飲みに出かけたりした。
しばらくして、3階部分にテナントとして、麻雀クラブが開店したので、後にそこによく出入りするようになった。
名前は忘れたが若い物腰の柔らかな店主もメンバーがそろわないときに誘ったりして、週に2―3回は行ってたかな。麻雀をしながら、「カモメが3羽飛んでいました。一番後ろがかもめのジョナサンです。前の2羽は何と言う名前でしょう?」などというナンセンスクイズを口にして、のんきなものだった。
他にも「かもめの団体さんが飛んでいます。そのうちの1羽はかもめのジョナサンです。他のカモメはなんと言うのでしょうか?」なんていうのもあった。とにかくナンセンスクイズによく引き合いに出されたのがこの「カモメのジョナサン」だった。
「カモメのジョナサン」を題材にしたクイズはもっとたくさんあったはずだが、時の流れと共に僕の記憶も薄れていった。
だからと言うわけでもないが、この物語を読む前からもう読んでしまったような、何とはなしに知っているような感覚を持ってしまった。
そういうことはこの「かもめのジョナサン」に限らず、人々のうわさや世間の評判、あるいはメディアの批評などを見聞きしているうちに、あたかも自分も知っているような気になることはよくあることだ。
つい先だって、ナンセンスクイズが頭をよぎり、本書のことを思い出して、ずっと以前に買ってあった本書を引っ張り出して改めて読んでみた。
もめのジョナサンの正式な名前(と言うのもおかしな話だが)は、ジョナサン・リヴィングストンという。
彼―話の進み具合からも名前からも男性、すなわち雄だろう―は、他のカモメたちとは一線を画す独特の思いを持って、生きている。“孤高のかもめ”と言ったところか。
このかもめの人生?を描いたストーリーが一時期話題になって、もてはやされたのはやはりジョナサンというかもめの生き方を、自分の人生に置き換えたからだろうか?直木賞作家にして、多くの多彩な著作を著している五木寛之氏が翻訳を手がけたことも、話題をさらった原因かもしれないが。
勿論僕もその一人で、ナンセンスクイズばかりが僕の興味を惹いたわけではない(なんて言い訳する必要もないのにバカだね)。
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