眼鏡屋は消えた | ||
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読了日 | 2014/07/09 |
著 者 | 山田彩人 | |
出版社 | 東京創元社 | |
形 態 | 単行本 | |
ページ数 | 338 | |
発行日 | 2011/10/20 | |
ISBN | 978-4-488-02483-3 |
事のアップロードにだいぶ間が空いた。プロバイダーの都合でブログサービスの提供が停止されて、僕の場合はあまりにもデータ数が多かったことから、移行作業がままならず今になってぼちぼちと一つずつ、古い記事を修正しながら移行しているところだ。
ブログの性質から言ったら、通常は古い記事についてはそれほど重要視されないのだが、僕は自分の読書記録をweb上のデータベースと考えている。だからその考えに基づいて内容はともかく、相互のリンクを重要視して、作っている。
もう少し知識と時間があれば、方法はあるのだろうが自分の知識の持てる範囲でやろうとするから、どうしても手間をかけるというところにしわ寄せが行ってしまう。仕方のないことだ。
夜の遅い時間に少しずつ読書は続けており、ここにアップロードできていない本の数は7-8冊に上るのだが、そんなわけでなかなか記事を書けないでいるのだ。それにデスクトップ・パソコンの調子もいまいちで、販売店のケーズデンキや、メーカーの東芝との間でもトラブルについての話し合いがうまく進まないことによるフラストレーションも、記事を書けないことに一役買っている。
特に昨日話しをした東芝あんしんサポートの受付窓口の女性には参った。話していることは正論なのだろうが、こちらをまるで単なるクレーマーのごとき扱いで、困っているユーザーの立場を全く理解しようとしていないことだ。彼らにとってはたかが一人のユーザーなど問題ではないのかもしれないが・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b8/b4ec98792d6e79306238ce5aa9fb40bc.jpg)
もうだいぶ前に読み終わった本書も、どんな内容だったか大半は忘却のかなただ。
先日(8月16日土曜日)、3月に亡くなった母の新盆法要で、いすみ市大原に娘を伴って言ってきた。僕のところはカミさんがリウマチをはじめとして、軽い糖尿など体の具合が悪く、こうした行事には娘を伴って出かけることが多い。10年ほど前に父が亡くなった後、母は96歳(6月まで生きれば97歳になるはずだった)までいすみ市大原の借家で一人暮らしを続けていた。当然菩提寺は大原にあり、昔の字でいうと大原町貝須賀というところにある瀧泉寺がそれだ。
当日は施餓鬼(せがき)法要が午前10時より大原のみならず近隣の町からの遺族も集まったため、会場の瀧泉寺本堂はごった返すありさまだった。先に来て僕たちを駐車場で待っていた妹たちを残し、法要には僕一人だけが参席した。父の新盆法要も同様の状態だったと妹は言っていたが、僕は全く覚えていない。
とにかく当地方の月遅れのお盆は暑さの真っただ中だから、ただただ暑いということだけしか印象にない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b8/b4ec98792d6e79306238ce5aa9fb40bc.jpg)
後にほんの少しでも、覚えているだけ本について書いておこうか。
僕はタイトルから眼鏡屋と呼ばれる人探しのストーリーだと思っていたら、何のことはないこれは高校の文化祭に上演が予定されている劇の題名だった。眼鏡屋とはいじめにあっていた生徒のあだ名だ。といったようなことは枝葉末節で、一人の女生徒が何者かに頭を殴打され、気が付いた時には過去の記憶をなくし、あまつさえ女子高生と思っていた自分が、十数年後の世界にタイムスリップしたかの状況に置かれていたのだ。
彼女は母校の英語教師になっていた。そんな状況からストーリーはスタートする。
全く状況は異なるものの、僕は終盤近くでアメリカ映画「エンゼル・ハート」を思い浮かべて、まさか同じシチュエーションでは?と思ったら、その通りだった。それでも真相が明かされるとき、なるほどと思わされる状況設定に納得する。
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