杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

空手道と礼儀作法

2009年11月27日 | 日記
私は、小さい頃はいじめられっ子だったので、
その反動か ? 学歴を鼻にかける者、弱い者いじめをする者に、
猛烈な反発心が湧く。

「義を見てせざるは勇なきなり」常に弱い者の味方でありたいと
願っており、そのつもりで対処している。

組織の執行部にある者は、権力を持ち得た強者であり・・・
一般会員の席にある者は、いわば権力無き弱者である。
国会をはじめ政治の世界でもそうであろうと思っている。

だから、真摯に質問する側に親近感を持っている、
少々、厳しい質問であっても許されることだと思っている。

執行部にある者は、堂々と受けて立つべきであり ?
それが、嫌だとか、煩わしいと考えるなら、
その席から辞退、野に下れば良いだけの話である。

その信念が在るから、
私は、現在に至るも質問者、回答者ともに喧々諤々討論すれば
良いと考えている。
だから、自己の判断だけで、遮ることもしないし、
言論の自由は保証されるべきだと考えている。

日本人のアイデンティティの溶解が言われて久しい?
私は、戦後教育を受けてきた世代であるが、
先人、先輩を敬う道徳教育は必要と思っている人間である。

過去の軍国主義の復活を警戒する向きがあるのは理解できるが、
それを即、道徳教育は 否とは思わない。

ただ、これは日本人の特性かもしれないが、
官があまりに民に干渉しすぎて手足を縛ろうとし過ぎる、
悪い方向に持って行こうとするきらいは警戒しなくてはなるまい。

この自由な民主主義は大切に守らなければならないと思っている、
我々と、自由を享有する国家とは仲良くしたいものである。

勉学が大切なことは云うまでもないが !?
それと同等、いやそれ以上にスポ-ツ・体育の価値を見直しても
いいのではないかと思っている。
特に礼儀作法の所作は大切に育んで行かなければならない。

格闘技に生き様を感じる者として、
私は、昔、薩摩藩によって武器を禁じられた琉球の人たちが・・・
さまざまな農具を工夫して、身を守る武器として修得された、
徒手空拳の空手道に大事な作法を見ている。

戦後、本土の空手は大学やマスコミの後押しで飛躍的に
普及してきた。
しかし、私は、沖縄空手にこそ真髄があると思っている。

坂の上の雲のドラマも始まることでもあり・・・
明治維新の情熱と明治の人々の高潔な矜持を今一度
振り返ってみてはどうだろうか ?

空手道に邁進する人々も、沖縄空手に原点回帰してみるのも
更なる向上に繋がるかもしれませんね。

今度機会を見て、気心の知れた正道会館四国本部のN師範、
伝統流派のO先生たちと語り合いたいと思っている。

心と技を、今一度眺めてみたい・・・。。。

                         合掌



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