杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

いぶし銀

2010年06月17日 | 日記
昼下がりの午後、私は約束の喫茶店へ向かった。

なつかしい人との再会の場所は、時々お邪魔する馴染みの店だった。
先方さんに場所の選定をお任せしたのである。
約束の時間に少し余裕をおいて到着した。
ドアを開けて入ると、その人は奥の席で静かに待っておられた。

正道会館四国本部・本部長 二宮博昭師範である。
「やあ ! 久しぶりですね !」 優しい声が返ってきた。
何年振りかの再会である、先日頂いた全四国空手道選手権大会のチケット
のお礼から話が始まった。

若いころの精悍な顔立ちから、やや穏やかな表情に変わったものの ?
特徴のある眼光は少しも衰えを見せず、相手の腹の底を見通す様はさすが
である。

近況報告と、道場の話、さまざまな分野で話題は盛り上がった・・・
若いころの挑戦的な面影は鳴りを潜め、自信に裏打ちされた落ち着きが
その体全体から発散されていた。

話は、私の質問から始まったが、そのうち師範自らの経験を交えての思い出
話に突入する。
極真会館の芦原さんが、四国は愛媛県八幡浜市に流れて来て、初めて宿を
取ったのが二宮師範の実家である。
ボロアパ-トに居を構えるまで師範の家にお世話になったのである。

だから、この二宮師範こそ四国での芦原伝説を初めから目撃した生証人で
有るといっても過言ではない。
彼は当時、まだ高校生だった ?

芦原空手の初期は決まった道場も無く、警察道場、魚市場、公会堂と転々と
ジプシ-生活を送った黎明期で、師範はずっと芦原さんの傍で歴史を見る
ことに成ったのである。

彼より先輩に在った者達が、芦原さんの気性の激しさに付いていけず・・・
次々去っていく中で、師範は傍を離れず、その後警察学校、松山大学その他
芦原の代理で出稽古をつけるように成って行ったのである。
其の頃、指導した人々は各界各層にまたがっていくことに成る。

お茶を飲みながらの師範との話は楽しい !
人前で、芦原師範との絆、其の時代を語ることは皆無に等しいと思われるが、
私との間では、次々と披露されて私が思わず身を乗り出す場面が度々有った。
師範の性格では、極真会館、芦原会館時代の自慢話はされることはない。

私は、さまざまな話を伺いながら、出版社、その編集者にとって二宮師範の
思い出話は、あの空手バカ一代に匹敵する大興奮物語に成るだろうにと
もったいない気持ちになった。

師匠に負けず劣らぬ、豊富な実戦経験とその喧嘩の妙は ?
空手バカ一代に比して尚、色あせぬ大活劇であることに違いない。
自身の自慢話を嫌う師範の性格を考えて控えなければ成らないが ?
事後承諾の失礼を詫びてひとつの事例を公表する・・・!

まだ、二十歳前の若い頃の話である・・・
「 催眠術を掛けてあげるよ ?」 その瞬間・・・ある技一閃 !?
相手は、瞬間で崩れ落ちた・・・勿論相手は何が起こったか解らない ?
その神業は、相手には見えないし気が付かない、誰か傍で見ている人が
いれば、それは目にも留まらない神業というほか無い。

これは、自身を誇らない師範の性格の為、門外秘伝の一こまである。
沈黙を解いて過去の喧嘩話等開陳願いたいと思うのは私だけだろうか。

極真空手及び芦原空手から正道空手立ち上げに参加した師範の記録は
空手道界の至宝であると私は確信している。
是非、本の中に記録として留めて欲しいと願っている。

来月 (7月) 二宮師範の空手本が出版されるという、
「バイブル正道」(DVD付) 
私は早速、行きつけの書店で予約しようと思っている。
どうか、皆さんも購入されて・・・
芦原会館初代館長・芦原英幸師範の薫陶を得て、正道会館空手に到達
された二宮師範の生き様を見ていただきたい。

一時間半があっという間に過ぎた、多忙な師範とお別れして
喫茶店を後にした。
暖かい陽射しの中に歩を歩めた、この爽快感は何んだろう ?
殺伐とした青春時代と修羅を経験した男だけが持つ落ち着きの中に
驕らぬ潔さがあるのである。

正道会館四国本部長・師範 二宮博昭 男の勲章である・・・。。。

                        合掌

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あの橋の袂で | トップ | 友とのカラオケ »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事