杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

上杉の交友録2 「芦原会館初代館長 芦原英幸」

2009年05月21日 | 日記
昭和41~42年の何月頃だったかは記憶が定かでないが・・・
私が空手を教えていた青年達3,4名が、私のアパ-トへやって来た。

「上杉さん! 今度、極真会館の芦原さんが八幡浜に来るんだが、
どうしようか?」と言う。
その中のひとり I 君は、八幡浜工業高校第1期の卒業生で、近隣の
高校生がほとんどその名前を知っている程の番長格であった。
どうやら世話役の人に入門を勧められているようで、どうすべきか
との相談である。

「わしは今度、店をしょうと思っているので、これから一緒に稽古はやれん
ので、芦原さんのところ(所)で教えてもらえば、いいと思うよ」 と答えた。

彼、芦原の蛮勇は八幡浜の地にも響いており、その猛々しさは、つとに
有名だったのである。
「全部(悪いところ)は習わんでもいいが?腕は(技術)凄いから、習ったら
いいよ」 と伝えた。

彼らこそが!
空手の聖地として、日本全国津々浦々にまで知れ渡ることになる、
極真会館八幡浜支部長、芦原英幸のもとで、現在の芦原会館(元の極真
会館)の礎を築いた青年達である。

現在、松山市久万ノ台で道場を構える正道会館四国本部の二宮博昭師範、
アメリカのデンバーにあって世界に円心会館を広める二宮城光師範、身近
には愛媛県警で暴力団にその人ありと恐れられるM刑事、この勇者達の
先輩にあたる面々であった。

八幡浜に来た頃の、芦原さんは、痩せていて、特に異様に鋭い野性の目を
持っていた。

小さな木造アパ-トの4帖半の部屋は、質素な佇まいであり、その日の飯さえ
満足に食えない貧乏生活であった。
たまに逢うと、ふたりで、車であちこちドライブした。
彼の武道家としての信念は、凄いものがあって、手製の手裏剣を手にして、
心構えを話してくれた。
今の時代には勿体ない! 生きる時代がもう少し昔であったなら、彼は桁違い
に凄い 拳豪 になっただろう・・・・・と思った。

その後、私は喫茶店経営、彼はしばらくはバイトをして食いつなぎ、少しずつ
空手の道場生を増やして、その後、爆発的な空手バカ一代のブ-ム到来を
迎えることになる。
私が、彼と共にした時間は、そう多くはなかったが、一番殺気に満ち溢れた
狂気な時であり、他の者との摩擦は数多くあったが、どうゆう訳か、私との間
では、穏やかな温かい表情のほうが多かった。

私の友達を含めて、いろんな空手家とのいきさつや、その後の彼の多忙も
あって、次第にお互い疎遠になったが、世間に誤解されるような喧嘩屋だけ
ではなかったし、常識をわきまえた、魅力ある紳士でもあった。

ある時、ふたりは、八幡浜では名の通ったK喫茶店に入った。
コーヒーを飲みながら雑談に花が咲いていた。

はじめは薄暗くて分からなかったが、奥の席にその土地のチンピラヤクザが
4.5人たむろしていて、こちらに気がついた。

その中の一人が立ち上がって、歩きながらほざいた(恫喝してきた)!
「空手! 空手! 空手がなんぞ! ドス ひとつあれば 一発よ !」 と
聞こえよがしに捨て台詞を吐いた!

 さあ ! 芦原は  どうした ?!

私は、交互に芦原とチンピラを眺めた!

芦原は、顔をうつむかせて、血の気が引いた、そして沈黙!
一発入れようかとの迫力、だが路上ではない、ここは喫茶店の中だ!
彼は、必死に自分の野獣の心を抑えている!


私が、間を入れた。

「芦原さん!言わしたらいいがな! やってきたら、のばしたらいいがな!」
私の、その言葉に、芦原の顔色が朱に戻った。

やがて、その街一番の顔役、兄貴分が、我々の席に 来て 座った。
その街で知らない者などいない Tあんちゃん、 T・K である。

私は直接、相対するのは初めてだったが、数分間話すことになった、
さすが、みんなにひと目置かれる男、みごとな貫禄だった。
数分後、Tあんちゃんは、子分の席に戻った。

後日談・・・
その後、Tあんちゃんとは、奇妙な友情に結ばれて、以心伝心、私の商売を
応援してくれるようになった。
そのTあんちゃんとは、私が松山に来てからは、会う機会もなく、身体をこわ
したと風の便りに聞いたが、会えぬまま、数年前に亡くなったことを知った。

私より、五つ歳上の男気のある男が惚れたいい男,いや,いい侠であった。
冥福を祈りたい。


「上杉さん! 人が居たら(見ていたら)ああ言っているが(強いことを言うが)
一対一になったらハハッとこうですよ!」 と頭をぺこぺこさせて見せた。

芦原さんは、負けず嫌いだ、勝負師だ! 私は思わず苦笑いした。

もし、芦原が自分の気持ちを押さえきれず、行動に移したら・・・
チンピラは、まず秒殺で倒されたろう?
芦原、得意の捻りこんだ頭突きで行くか、裏拳一発で決まりだろう!

あの、素手ごろのつわもの Tあんちゃんといえど、子分を含んで、まず、
1分以内でケリ をつけられただろうと思う。
それぐらい、当時の芦原は、強かった! また,技がきれた!

その一時代を築いた、好漢 芦原英幸も あの世へ逝った・・・。
今彼は、私の家内の父母が眠る、同じ墓地内のすぐ傍で、静かに眠っている。

私が、商売していた頃、一時ある事件のとばっちりで、チンピラたちが
嫌がらせに来た。
私に内緒で家内が、旧知の芦原さんに電話で相談したそうな、
早速、・・・「話しをつけときましたよ」・・・ と電話をくれたそうだ。

ああ見えても、いいところがあった!
私は、そのお礼を、まだ 言っていなかった・・・?
今度、ひとりで 彼のお墓におまいりして、積もる話をしたいと思っている。

彼の妻は、私の家内の仲良しメンバー同級生の妹さんである。
不思議な縁で結ばれている。


芦原英幸 !

私は、彼が成功して、有名になってからの、出会いでなかったことを誇りに
思っている。

欠点もいっぱいあった、人も痛めた、数知れない空手家も泣かせた。
だが、良いところも、また、たくさん あった !

道場生や弟子たちの知らない、彼の素顔にも接した。

「上杉さん! 漫画・・・ 見てくれた?」・・・・・・空手バカ一代がブ-ムになる

直前のこと、

八幡浜の某食堂前で、するどい眼光だが、柔和な顔で、そう言った 彼 !

田舎者が、惚れ惚れするような 東京弁 ! かっこよかったね !
話しを聞くのが 楽しかったね !?

使えきれないほどの金が入り、地位名誉も手に入れた、人生って皮肉だ !
難病に冒されて、闘病の末、人生を終えなければならなかった、無念だったろう!

いま、芦原会館は、子息 英典君が 二代目館長として 奮闘している。
彼のことだ、草葉の陰で、手取り足取り、技を伝授していることだろう。

冥福を祈りたい。
                                            押忍


 私が、行政書士会へ入る以前の物語、
 ふさわしくない登場人物は、若い頃に免じてお許し願いたい。
                                            合掌
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1 コメント

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Unknown (danny)
2009-05-22 08:16:05
ブログ開店おめでとうございます。
まる秘情報をどんどん掲載してください。
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