杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

小さな命

2011年04月04日 | 日記
「小さな命の写真展」
日曜日の午後 松山市総合コミュニティセンタ-へ観に行った。
県動物愛護センタ-(松山市)で殺処分された犬や猫の写真を
展示していた。

殺処分の実態を知ってもらおうと高松市の飲食業の〇原〇苗
さんが企画、同センタ-で処分されるまでの一部始終や、
センタ-職員の奮闘を描いた児童書「犬たちをおくる日」の
著者から譲り受ける等した写真約100点が展示されていた。

写真は処分を待つ犬の群れや表情、処分後の遺体、火葬前後の
様子が生々しく写し出されていた。

私は、正直見たくはなかったが、生きながら得る事ができず、
生を絶たれなければ為らなかったか弱きもの達の最後を、目に
焼き付けて、今後自分はどう有るべきか、どう為すべきかを、
知るために出向いたのである。

上記の児童書は、以前行きつけの書店で手にとって表紙を見た
瞬間、更にペ-ジをめくる度に、涙が止めどもなく溢れ出て、
正視できなかった思い出に残る衝撃の本なのである。

愛媛県動物愛護センタ-職員の苦悩は、以前お訪ねしてお話し
を聞いたことがあるだけに、実感としてよく判る。

何組かの入場者が鼻をすすりながらコメントを書いておられた。
日々、重信川河川敷で捨て犬、野良犬を目にしている私にとって
よそ事の話ではない現実である。

幾多の犬や猫たちと触れ合ってきたことだろう、
初めは警戒して、遠巻きに吠える犬たち、遠くから声をかけて
食べ物を置いてやると、後ずさりしながらもオズオズト餌に
向かって歩む犬、エサと私を交互に見比べながら躊躇する犬、
この近くでは、白黒まだらちゃんの姿が焼きついて離れない。

その写真の彼や彼女たちの表情を、私は食い入るように見つめた。
怖がって怯えて震えていないか、無機質な処置室のステンレスの
箱が巨大な魔物に見えたことだろう、
彼らの胸の内を推し量る事さえ辛い、助けてやれなかった悔いが
心を圧迫してならない。
涙と胸にくる哀れみで私は呆然と立ちすくんでいた。

帰り道は、私が日課として確認のため通る土手沿いの道である、
この2~3日、彼らの姿がピタッと掻き消えた。
その前日、姿を見かけて食事を与えたばかりだった。

花見の季節、ある近くの公園でもボンボリが点灯した、
花見客の安全の為との名目で捕獲処分されたに違いない。
私は、幾度彼らとの悲しい別れを迎えなければ為らないのだろう、
嬉しい出会いが有ると、短い期間で別れが来る、この繰り返しが
ずっと続いてきたのである。

懐かしい可愛い犬や猫の顔が、その動きが目に浮かんでくる、
ほんの僅かな逢瀬である、生かしてやりたい、腹一杯ご飯を食べ
させてやりたい、この繰り返しが私と彼らとの縁である。

ほんの僅かな期間、彼らが一匹も居ない時がある、しかし、すぐ
その後、心無い人々の勝手な理由で、今まで飼われていた犬たちが
この河川敷に捨てられる。

ここに集まる、ほとんどの犬猫が、このように捨てられた哀れな
犬猫である、だから何処となくそれぞれには品がある、
品があると思ってやりたい・・・!?

遠くから私の姿を眺める彼らの目には、どのように見えるだろう、
迎えに来てくれる筈のない飼い主の姿を重ねているのだろうか ?

待てども来ない主人を待つ、腹をすかせた彼らには、人間社会の
無情が、どのように写っているのであろうか ?
これが、もし我が家の犬たちの姿と思って見るならば、この現実は
余りにも酷であり耐えられない。

我が家に欠員が出る時は、裕福な家庭からでなく、
哀れな犬たちに目を向けて、我が家の一員に迎えたいと思っている。

彼らの黒いつぶらな瞳を、勿論茶をはじめ色々な色が有りますが、
眺めてやってください、その命に目を止めてください。

重信川河川敷は次に捨てられる か弱きもの達の慟哭を飲み込もうと
無情な強風に晒されていた。

どうか !
今まで慈しんで来た家族の一員のワンちゃんたちを、
帰らざる川の地獄に追いやらないで下さい。・・・。。。

                             合掌



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 母のひな祭り | トップ | 子犬よ何処 »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事