杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

今がいい

2010年04月16日 | 日記
役所の用事を済ませると、すぐ近くにある喫茶Pへ向った。
午後のランチ時が終わった後で1組の女性客が奥に居るだけで
静かな空間を醸していた。

土曜日にうたごえ喫茶が行われるので、事前にマスタ-へ挨拶に
伺ったのである。
コ-ヒ-を注文して、新聞、雑誌等が並べられている棚に目をやった。
小説をはじめ単行本が綺麗に並べられていたが・・・
なつかしい作家の小説が目に止まった・・・。
・・・・・・・・・・
私は、高校を卒業して家業の果樹栽培を2~3年手伝っていた。
青年団に入ったのだが、我が家の前にあった公民館の2階に青年団が
管理する小さな図書館のコ-ナ-が設けられていた。

当時は交通の便も不便な頃で、市の中心部から離れている我々の村は
娯楽施設の乏しい田舎で、若者達にとっては暇を持て余していた。
戸数の少ない村に1~2軒有った雑貨屋と公民館が集まる場所だった。

雑貨屋の一部迫り出した海側に、僅かの木のテ-ブルが置かれて
酒類や、夏はカキ氷等が供されて若者達のたまり場になっていた。
時々、足を運ぶ図書館には、結構な棚があって蔵書も田舎にしては
多く有ったように思う。

私が、其の頃熱中したのが源氏鶏太のサラリ-マンものと山手樹一郎の
時代小説だった。
喫茶Pで目にしたのが、山手樹一郎の時代小説だったのである。
図書館で無用になって払い下げられた本だと店のママさんに伺った。
(なつかしいな・・・!)

私が青春の蹉跌、悶々と人生に悩んだ頃の記憶が甦ってきた。
高校の恩師は、長男ではない私の行く末を真剣に心配して・・・
松山の果樹試験場への進学と、果樹指導員への道を勧めてくれたのである。
しかし、我が家は長男がどうしようも無い最悪の時期であったため ?
両親の涙に・・・果樹試験場への進学を断念して家業手伝いに甘んじて
いたのである。

人生に、もしもがあるならば私は今、どうして居ただろうか ?

私の後輩達の中には、果樹指導員への道を進んで各農村を回って・・・
その土地の農家の娘さんと結婚して所帯を持った者や、
養子に請われて、その土地に根ざした者がいることを考えると・・・
私の人生も、大方其の方向で落ち着いていたのかも知れない。

この松山近郊で生活の基盤を持ち、現在とは全く違った人々との
交友関係が出来ていたのかもしれない。
今、親しくお付き合い願っている方々とは、知り合うすべも無く、
すれ違う人生だったかもしれないのである。

私は、現在の生活がベストな生き方だったと誇りに思っている。
触れ合う方々が、最高の人たちであったと喜んでいる。
だから、もしもを追わないし、架空の世界イフの社会は想像だけでいい。
私が心酔する幕末維新の獅子達とは、同時代にタイムスリップして
会って見たかったと思わんでもないが ?
現実の自己の世界は、このままでいい !?

落ち着いたら、喫茶Pの山手樹一郎先生の小説を読んでみたい。
灰色の青春と大島に沈む夕日は、青年の中で鎖国が続いたグレ-の景色、
孤独と前途を悲観して涙した大島への海は、セピア色の原風景。

しかし、今・・・
それらを全て克服した男には、なつかしい試練を振り返る豊饒の海。
寛容に満ち満ちた精神と身体には、何の一片の曇りもない。

ちがった意味で、山手先生の武士達が私の前に登場しそうである。
時間と場所は、人間の雑念と苦悩を、綺麗に洗濯してくれた。
青春の悲しみを乗り越えた人間に、懐かしい想い出の鐘が聴こえる。
喉にしみとおるバ-ボンの味・・・
明日へのゆるぎない力の源泉でもある !?

私は、今、人生には、ひとかけらの無駄もないと思っている。
心の持ちようで宝石にもなり、解釈の仕様が幸不幸を決める。
・・・ただ全ての存在に感謝である。

宇宙に目をやって見よう、相手がかけがえのない存在で有る
ことを知るだろう、同じ同胞であることに気がつくだろう・・・。。。

                    合掌

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