杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

南予路の姉

2011年12月15日 | 日記
私が行く予定の南予路の高速道路はある区間が
通行止めのため、山間部を越える普通区間を
走行した。

青空の下とはいえ、車の窓を開閉すると気温の
下がった外気が驚くほど冷たい。

其の町の郊外の海に面して、村落から少し離れた
場所に、その特別養護老人ホ-ム〇〇荘は在った。

受付に3人の女性職員が書類に目を通していた、
私はお目当ての名前を言って個室へ案内して貰った。

トイレで用を足しているとかで、しばらく待って
いると若い主任さんの支えで帰って来た。

しばらく会っていなかったその老婆は ?
怪訝そうに {「誰 ? 」 と呟いた !

「誰か判る ?」 私は思ったより年老いたその人に
わが顔を指差して聞いた ?

同行のふたりが其の姿に哀れみを感じたのか、
「〇〇ですよ !」 そして 「〇〇ですよ !」
と私より先に答えた。

老婆は安堵の表情を浮かべて、「ああ! 〇〇君 ?」
そして 「〇〇 !」 と次に、私の名前を呼んだ。

「しばらく会っていなかったので会いに来たよ !」
私は、胸に来るものを抑えて笑顔を見せた。

80半ばを迎えた私の姉である。

しっかりした口ぶりで彼女は想いを語った。
九州で生活している孫娘に会いたい胸の内を
切々と語った。

彼女には、ふたりの孫の姉妹が居る、
手塩にかけて可愛がった孫は、両親と祖母の
うまく要ってない現実に心を痛めて、長い月日
帰郷をためらって帰ってこない。

私はそれが分っているだけに姉が不憫でならない。

貧乏百姓の子沢山の長女として生まれ、
妹、弟のために自己の幸せを犠牲にして家に
尽くして来た人である。

酒乱の弟を厳しく諭したのも、この姉である、
だから、どうしても気持ちを強く持たざるを得な
かった、それが姉の家族にはマイナスに作用した。

私が、物心ついてこの方、姉の自己犠牲の性格を
よく知っているだけに、生き方の下手な性を哀れむ
のである。

(〇〇姉ちゃん! あなたの人様に対する真心は
このYosikazu が一番分っています。)

(心持、認知症に足を踏み入れたきらいがありますが、
あなたはよく家のために尽くしてくれました、
穏やかな余生が待っているからね、ありがとう!)

心が和いで、穏やかな表情を見せる姉に、
「また逢いに来るからね・・・!」 と伝えて施設を
後にした。

人は、いつかは子供に帰って行く、心と記憶が幼き
純真に戻って行く、それを見る肉親は切ない気持ちに
見まわれるが、本人にとっては幸せなのだと思いたい。


目の前に広がる宇和海が、
苦労を乗り越えた姉弟を労わるように凪いでいた。

・・・・・

私は、家人に見られないようにそっと涙を拭った。 ・・・。。。

                                 合掌



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