杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

愛別離苦3

2011年01月08日 | 日記
あの時は悲しい別れであった。
私は亡き女性の葬儀告別式に参列して残された家族の行く末を
案じていた。

子供たち3人は、お父様の側で立ちすくんでいる、
その辛い悲しみの中で健気にもしっかりと前を見つめている様は
胸塞がれる思いであった。
ご遺体が火葬場に向かうまで参列者の後方に控えて見送った。
・・・・・
あの時も・・・
激しい豪雨の中で身内の号泣が泣き止まず続いた・・・!

私の愛しい姉が、苦労絶えぬまま幼い子供たちを残して35歳の
尊く、儚い命を天に召された。
世の無常を兄弟姉妹たちはどれほど恨んだか知れない。

幼き我が子の行く末を案じながら、命の終焉を悟った姉は、
身体引裂かれる苦痛の中で号泣した。

息を引き取った時に、我々兄弟姉妹は別れの悲しみよりも、
痛みから開放された姉の為に、安堵の胸を下ろした事も事実だった。

命を救う事に必死で抗がん剤の副作用の悲惨さを、その耐えられぬ
苦痛を緩和するという最も大切な事に目を向ける余裕が無かった。
姉の痛みを長引かせた責任と無知は、長い期間にわたって我々の心を
蝕んで行った。

その行く末を案じた息子と娘は40才を超えた・・・!
姉の享年を更に追い越して、慎ましやかに社会の中で糧を得ている。

弟として、姉への後悔と償いは、今だ、終わる事を知らない。
彼女は、両親や兄弟姉妹の眠る側で、故郷の匂いと優しさに守られて、
永遠の眠りについている。
・・・・・
昨年末の慌しい中・・・!
私は、ひとりの遺族の元を尋ねた。

其の方は、皮肉にも組織の中で対極にある人物 !
組織の長として選挙に出馬される同僚会員である。
組織に於いては、順調に陽の当たる場所を歩まれたエリ-トであるが、
家庭的には、早くお母様を亡くされて、昨年は奥様がお亡くなりに為る
不幸に見舞われた。

人間の運命は判らない、
全てにおいて満足のいく人間はいないということであるが、
彼は、亡き奥さんの分まで家事仕事をこなしてお子さんの教育に
目を届かせている。

悲しみを胸に秘めて、気丈に振舞う姿を見る事は !
私のような浪花節人間には辛いことである。
心ならずも選挙では敵味方となってしまったが !
穏やかな会話の中に彼の人柄も充分理解することができた。

結果が出た後は、協力する事にやぶさかではない。
また、我々が勝利の暁には、選挙に付きモノの報復人事の卑劣は
行っては為らない。
彼と、両親の故郷の話に及ぶに当たって私が心に決めた事である。

一日も早く、彼と子供さんの元に安らかな日常が戻りますように
願わずにはいられなかった。

松山市民会館の控え室・・・

歌手の谷村新司と一緒に、記念写真を撮って貰う為に彼の義父と共に
私は控えていた。
其の横に、長身の穏やかな微笑を湛えるご婦人が居た・・・!
私は、和やかな雰囲気の中でご挨拶を交わした。

彼の事務所を辞退する時、私の胸に去来したものは・・・
男とは弱き者 !
彼の胸の内が数十年の歳月を超えて私と同じ事を悟った。

あの控え室でご挨拶したご婦人は、彼の今は亡き奥さんだった。
謹んでご冥福をお祈り申し上げたい。

愛別離苦・・・ 肉親との死別ほど辛いものはない ・・・。。。

                                合掌


哀愁出船 中村美律子 Nakamura Mitsuko




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