杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

龍馬の嘆き

2010年08月01日 | 日記
日本全国がうだるような暑さの続く最中(さなか)
再び、目を背けるような事件が起きた。
23才の母親による幼児死体遺棄事件である。

このような悲惨な事件が起きるたびに、マスコミは挙って
大きく報道する。
しかし、日を追って事件の報道が小さくなると別の事件の
発生である、私が不快で不信感を抱く原因が此処にある。

勿論、次々と起こる社会情勢の変化や事件発生に永続的に報道
できない事情は理解できるとしても、何故 ! もっと再発防止
のための啓蒙活動が出来ないのか ?

政治問題、政治家の不正追及には権力側の発表を自らの検証を
怠って垂れ流すくせに、客観的報道のみの紙面づくりには、
ウンザリである。

それと、今回は匿名による虐待を疑う通報が児童相談所へあった。
職員は5回、この部屋を訪れたが、いずれも母親の容疑者らに
接触できなかったという。

毎度の事である ? 果たしてこれで良いのだろうか ?
数回の通報の重大性を認識するならば、何故 ! マンションの
管理人に協力させて入室しなかったのか !?
個人情報保護法の前に躊躇する、現在の行政の硬直を見る思いが
する。

日本という国の崩壊がここにも見える。
他人同士の突発的な殺人事件と違って、肉親による殺人は、
確信的凶悪事件であり、特に親の子殺しは言語道断、畜生の成せ
る業である。
司法による厳罰以外、防ぐ手立ては無い。

国民とマスコミが挙って防止策を講じないと、日本の国は溶解
する、陰でにんまり笑う者は誰か ? 何処の国か !???

私は今、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」 を読み返している。
・・・・・・・・・・
(つまらん藩じゃな)
広い江戸や京大阪を見ている竜馬には、わが故郷ながらなんとも
腹の底冷えするほどに愚劣な藩であり、つめたい国柄であった。

土佐そのものが冷たいのではなく、300年、高知城下に進駐し
つづけている山内侍 (旧封遠州掛川から来た掛川衆) のおろかしい
占領意識が、軽格の身にはそうおもわれるのである。

竜馬よりやや年下で、のちに脱藩し、維新の風雲のなかを影のよう
に流転した田中光顕(後伯爵、昭和14年、97歳で死去)は晩年
になってもなお、
「私どもは土佐藩には複雑な気持ちをもっている。故郷とよぶには
冷たすぎた。私など脱藩後、新選組などの幕史の追及に生命をなまに
晒されているときに、親身になって庇護してくれたのは母藩の土佐
ではなく長州藩であった。私の故郷は長州といっていい」と述懐して
いた。
・・・・・・・・・・
上士、下士の階級社会を必死に生きた土佐の武士(郷士)たちの逆境
が偲ばれて哀れである。

現代においては、さしずめ霞ヶ関官僚とさまざまな法律で縛られた
モノいえぬ国民との関係に似ている。

あの明日をも知れぬ殺伐とした時代の人々から見ても尚、現代のよう
な地獄の親子関係(幼児虐待)は夢想だに出来ないことであろう。

もし龍馬が、この幼児死体遺棄事件を知ったなら、何と言って嘆いた
であろうか ?
「世も末じゃきに !?」 幼児の死に天を仰いで涙したのではないか。

江戸時代の階級社会と現代の屈折した学歴社会とを比較してみる。
世界に於ける日本国を眺めてみた時、時代のうねりが起こるような
気がしている、平成の幕末維新である。

「 龍馬よ ! 出でよ ! 」
それが、異国の地のサムライで有ったなら ?

日本の国の悲劇と言わざるを得ない ・・・。。。

                         合掌


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