杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

成人式に寄せて

2011年01月11日 | 日記
成人式、私たちの時代は、まだ式典に対する神聖な思いと、
大人に成ったと云う責任感で厳粛な気持ちに成ったものである。

私の成人式は、愛媛県八幡浜市で行われた。
雪が降り続いて、とても寒い日だったことを覚えている。
先日、一緒に出席した友から、その時の思い出話を聞いたが、
私は、その時の情景が余り詳しく記憶に残っていない。

私にとって其の頃は、最悪のグレ-の時代で、親のすがる想い
にひきずられて、家業の農業を手伝っていた時代だったのである。
だから、記念写真に写った我が顔は、心なしか沈んで見える。
孤独に心閉ざす世間知らずの男の影が、そこに存在していた。

その、成人式を済ませた後から、男 U杉の大転換が始まるの
である。
我が青春の蹉跌から思い切り逃げるように、不遇に反発するよう
に、親元を離れて独り立ちして行くのである。

松山での空手道場入門、其の後に、運命によって引き合わされた
生涯の師との出会い !?

今振り返ってみても、不遇時代はけっして無駄ではなかった ?
飛躍するための試練であり、足腰を鍛えてくれた鍛錬の場でも
有った。

武道仲間、他の格闘技の世界の人々との交流・・・!
私にとって幕末の黒船来襲に等しい幕開けが待っていたのである。
明治の夜明けと言えば良いのか !
全ての人生観が、陰から陽、静から動へと転換して行ったのである。

二十歳前後の喧嘩仲裁に駆り出された頃、可愛い弟分から若年寄と
笑われた時代。

そして目の回るほど多忙だった水商売の時代、一時は2軒掛け持ち。

居酒屋経営と並行して行われた・・・
手話サ-クルあゆみの会の奉仕活動の時代(会長にも任命されました)

裸一貫での松山転居、そして行政書士としての歩み。

だから私を知る人々は、時代時代の生き方が余りに違いすぎるので ?
私が分らないと云う、あなたは何者 ? 不思議でしょうがないと云う。

ただ云えるのは、苦労をしても後ろ指さされる生き方だけはしなかった。
金には振られっぱなし、追えば逃げ、下がれば更に逃げられる、
少しは惚れてはくれまいかと哀願もするが、今だ、失恋中である。

しかし、よくしたもので、金には魅入って貰えないが ?
これでも人には恵まれて、たくさんの人間の宝物が手に入った。
こんな人生も有るのだなと、感じ入っているところである。

私の経験から言っても ! 心に思う念は、それが無意識であろうと、
不思議な事に実現する。

私の場合は、高校生の土方のバイトをしている時に、強い願望を
抱いていた。

道路工事のバイトの時に村の先輩が、パリッとした背広で通勤して
居るのを目にするのである。
余り自家用車が普及していない時代、朝晩のバスに先輩たちの姿を
見かけていた。

「いいな! 羨ましいな! 自分も何時かは、あんな事務仕事に就いて
見たい・・・!」 全員が事務仕事では無かったと思うが ?
会社の中で事務仕事をしているに違いないと、勝手に想像していた。

その思いが潜在意識の中で消えることなく続いていたのであろう、
自然に紆余曲折しながらも現在の職業にたどり着いたのである。

私は、これを想念と呼んでいる。
“念ずれば花ひらく” 坂村眞民先生の言葉が、これほど実感として
湧いてくることもない。

若い時は、時には無茶も良い、好きな道に入って思う存分やる事は
必要だ !?
したい したい のまま、踏み込まず諦めたら終生後悔する。
結果を恐れず、やってみれば良い !

やって駄目であれば諦めもつくので、次に移れば良いのではないか。
私は、そのように自己を振り返って総括している。

私の成人式は吹雪だった、その後の人生を暗示するように寒かった。
しかし、良い人々との出会いが有って、迷わず進んだ事が結果的に、
実を結んだ。

たくさんの縁に恵まれて、お金を含めて、これ以上の幸せを望めば
罰が当たるかも知れない !???
だから自然のまま、はぐれ雲で行こうかと思っている。
やっぱり、私には入道雲さんが似合っている ?

・・・・・・・・・・

松山城の坂の上の主さんに、逢いに行こうか ! ・・・。。。

                                合掌




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