杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

同期の桜夢路

2011年01月22日 | 日記

懐かしい友に会えた、元気な現役の姿のままで私の前に
現われた。

ある小都市のとある街、通りの一角に少し古びたその店は
在った。
夫婦でにこやかに出迎えてくれた。

40から50代に見える「あれ!身体はもう良くなったの?」
彼は、笑っていた。
其の横に、まだ見たこともない筈の奥さんがにこやかに立って
いた。

店は、お世辞にも綺麗とは言えないが、古びた中に主人の心意気
が調度品にも現われていた。

「H君 !」 他の同級生が姓のMで呼ぶ中で私だけは子供時代の
まま、名まえで呼んでいた。
「我が母校 K校では故郷のY・Yと共にH・Mとして一世を風靡
した男の名前である」

上級生の理不尽には裸で挑んだ好い男、下級生をこよなく労わった
愛すべき男、これが又 女にはからっきし弱かった・・・!

その彼が、板場の世界に入って成功して、京阪神では、その世界で
一家を成して、成功裡に事業を展開していたが、
50才過ぎた頃だったか脳梗塞で倒れた。

後継者がいないため店は閉じた。
大阪の在る街で、奥さんの介護の元療養に明け暮れている。
そのH・Mが如何した事か私の夢の中に現われたのである。
にこやかに、優しい眼差しの彼は微笑んでいた !

「Yやん・・・!」 あの頃の呼び名で私を呼んでくれた。
友は、幾年月の移ろいを数えてきたであろうか ? 望郷の想い !
いかばかりで有っただろう?

大阪の地は、彼に何を教えてくれたであろうか ?
優しい温もりで包んでくれただろうか !
「M !」 後輩達が見上げた男意気は、静かに都会の片隅で
糧を得ている。

なさぬ仲の子供二人を育て上げ、その母親との夫婦二人連れで
ある、縁は彼に何を与えてくれたであろう。

故郷の父母は、早くに黄泉の国へ旅立った。
高校生の頃の彼は、手がつけられなかった・・・!
心配性の母親に苦労かけた、情のある母は彼の行く末を心配した。

自転車通学の私たちは、私の従兄弟を含めて3人で通学した、
彼のおばちゃんは、我が子と同じに私たちを溺愛した。
想い出は、胸の振るえとともに込み上げて来る。

「H君 ! この5月我々は東京で同級会を開催する・・・!?」
叶うなら背負ってでも、多くの友の元へ連れて行ってやりたい。
年老いた、不自由な体で、身を震わせて泣くに違いない !?

彼の心根は、同級生で私が一番よく知っている !
「Yやん ! ありがとうな !」 後は言葉になるまい。
好漢、H・M・・! 母校の一時期、桜吹雪のように見事に散った
花一輪は、大阪の地で朽ち果てようとしている。

夫婦ふたりで、私を訪ねて夢路を辿ったH君 !
「お前さん、わしに何を言いたかったのかい ?」
私は、その夢の意味を知りたいと思っている。

あの未舗装の土埃の道を、土砂降りの道を、通った3年間、
あの延長に我々の現在がある。

お互いもてなかったね、歌謡曲を歌ってサドルを漕いだね !
お前さんが好きだった、あの人もおばあちゃんに成ったよ !?
H君 ! もう一度、高校生に戻りたいね。

Yosikazu は、どこまで行っても、お前さんと一緒だ。
         ・・・・・ 「 いいかい。」 ・・・。。。

                         合掌

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