珍しく毎日新聞の朝刊を見る。
ある特集記事が目を惹いた。
「レディ・ジョーカー 奇跡の作品、奇跡の映画化 高村薫さん、原作を語る」
自作の映画化に纏わるインタビュー記事だが、内容について書き出すのは野暮というもの。
詳細は↓を見てほしい。
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/cinema/news/20041009ddm010070163000c.html
その中で、「読者の量は変わっていない、読書の内容が変わった。全てがファンタジーに収れんされていく」という一文には頷かされるものがあった。
最近の傾向として「見た目のわかりやすさ」が前面に押し出され(最近耳にする「萌え」もその一種のように思う)、それに引きずられて物事の本質を考えようとしない現状に至った原因を端的に言い表しているような気がした。
もっとも、それでわかったような気になっている自分もアレなのだが。つくづく度し難い。
外で雨風が吹きすさぶ割には、そんな他愛もない事を考えずにいられない一日だった。
ある特集記事が目を惹いた。
「レディ・ジョーカー 奇跡の作品、奇跡の映画化 高村薫さん、原作を語る」
自作の映画化に纏わるインタビュー記事だが、内容について書き出すのは野暮というもの。
詳細は↓を見てほしい。
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/cinema/news/20041009ddm010070163000c.html
その中で、「読者の量は変わっていない、読書の内容が変わった。全てがファンタジーに収れんされていく」という一文には頷かされるものがあった。
最近の傾向として「見た目のわかりやすさ」が前面に押し出され(最近耳にする「萌え」もその一種のように思う)、それに引きずられて物事の本質を考えようとしない現状に至った原因を端的に言い表しているような気がした。
もっとも、それでわかったような気になっている自分もアレなのだが。つくづく度し難い。
外で雨風が吹きすさぶ割には、そんな他愛もない事を考えずにいられない一日だった。