昨日に引き続いて岐阜の公共交通を巡る話題に触れてみたい。
今回は、この話題。
「県政総点検:交通政策に疑問の声 路面電車の廃止対応で-県民委分科会」
「公共交通再生、積極的関与を 県に政策総点検分科会報告」
岐阜県知事の交代に伴い、これまでの県政を点検する目的で始まった県政総点検。
そのために設置された政策総点検県民委員会の分科会である「生活基盤分科会」が9日に開催され、県内の交通体系構築問題が論議された。
今回の会議では岐阜県が3月に策定した「総合交通体系指針」を下敷きにして進行していったが、その際の岐阜県と委員の間でこんなやりとりがあったという。
(委 員)
・指針を作る際に路面電車の廃線問題は議論したのか
(岐阜県)
・指針は、個々の具体的な課題を示す前提には立っていない。路面電車の廃線問題については基本的には沿線市町が判断するもの。鉄道事業は法律上、県に権限はない。
この岐阜県発言に対する自身の感想は後回しにして、委員からは、次の批判が出された。
・美辞麗句ではなく実効性のある政策を。
・県は権限がないのに、指針を出す意味があるのか。
・県と沿線市町が連携していれば、名鉄路面電車存廃問題は違った結論になっていたかもしれない。
・県の姿勢が見えなかった。
また、委員からはこんな要望も出された。
・路面電車はもう一度走るのが望ましい。こういう委員会で路面電車を残すよう勧告を出すべき。
結論としては、「路面電車廃止を教訓にするべき。公共交通をどう構築するかは地域の生き方の理念の問題。公共交通のあり方について市町村と積極的に連携してほしい」と意見を集約した上で「公共交通の再生のために、県は積極的に市町村に働きかけるべきだ」との趣旨を分科会報告に盛り込むことで一致したという。
この「総合交通体系指針」自体、空疎な言葉遊びと言ってもよい代物で、「人口減少や少子高齢化、地球環境問題など交通環境の変化に伴い、新たな交通体系構築の必要性を強調する中で「公共交通優先社会への挑戦」として、NPOや交通事業者、市町村などとの連携による公共交通機関の整備や利用促進を掲げている」と謳っている。
しかし、指針が出された直後に岐阜の路面電車が全廃されている。
指針の内容と岐阜県内の現実は全く矛盾する状況をさらけ出してしまっている訳で、実効性という点でどうにも信用できるものではない。
それにしても、会議の岐阜県側の発言には驚いた。
「路面電車の廃線問題については沿線市町が判断するもの」とは・・・。
あまつさえ、「権限がない」とは恐れ入る。
路面電車が走っていた道路の管理者は誰だったか。
県道を走っていたから、道路管理者は岐阜県ではなかったか。
軌道の道路占用、橋梁の河川占用等の許可権者は誰だったか。
そして、停留所の設置等に権限を持っていた公安委員会はどこの所管だったか。
岐阜県の所管ではなかったか。
そうした事実を棚に上げて「権限がない」とはよくも言ったりと思う。
確かに、河川や道路占用は土木部、停留所の設置等に関する協議は公安委員会、と所管する組織は異なるが、同じ「岐阜県」という組織である事には変わりはない。
まさしくタテ割り行政の典型であり、公共交通を議論する以前の問題として組織の枠内に収まった発想の狭さを指摘しておきたいと思う。
また、少なくとも路面電車の廃止について、岐阜県は何も表だった動きはしていない。
岐阜市も岐阜県とこの件で協議を行ったとかそういった話も聞いていない。
結局、岐阜県にとって、岐阜の路面電車の廃線問題は基本的に「岐阜市の問題」だったということなのだろう。それには県と市の感情的な対抗意識もあったのかもしれないと思う。
しかし、それで良かったのだろうか。
本来、県の役割というのは自治体の枠を超える広域的な行政課題に対応するのが第一ではなかったか。
今回のように複数の自治体を通過する公共交通の存廃は、まさしく「広域的な行政課題」ではないかと思う。公共交通が一つの自治体の中で完結する事例は少なく、大部分が複数の自治体にまたがる問題となる。
自治体間の利害を調整し、より良い住環境を整えるのが県の責務と考えるのであれば、その中には広域的な公共交通体系の構築も含まれると考えるが、今回の一件では岐阜県は何もやっていないに等しい。実際、沿線自治体と連携して事態を収拾しようともしていない。
そのことはえちぜん鉄道の誕生時に福井県が関与した事例と比較して考えれば良いと思う。
えちぜん鉄道は周知のように、京福電鉄の福井県内の路線を継承して発足したが、その発足に際して地域住民の生活への影響は少ないとしてレールの存続に積極的でない自治体もあった。
そんな自治体をまとめ上げ、福井県も出資してえちぜん鉄道が誕生した経緯がある。
そう考えると、福井県は公共交通の存続に積極的な姿勢を見せ、しかも行動で示している。
逆に岐阜県は路面電車を「存続」させる方向でまとまっていた沿線自治体に対し、何らアクションを起こさなかった。結果的に財政負担が過大であるとした岐阜市の存続断念表明で廃止に至ったが、岐阜県が路面電車を継承する経営主体へ財政的な支援を行っていたらどう事態は動いていただろうか。
そんな事を思う。
今年度、岐阜県は市民鉄道への転換を進めるべく樽見鉄道へ補助を行うが、そうした形で路面電車に補助を出すという発想はなかったのだろうか。
少なくとも、えちぜん鉄道の場合と異なり、沿線自治体で廃止に積極的に賛成した所はなかったのだから。
そういった発想ができなかった点に岐阜県の公共交通に対する定見のなさを実感する。
岐阜の路面電車の運行環境の劣悪さは知られた話であるが、これとて岐阜県が積極的に動いてさえいれば少しは改善されていたかもしれない。
いずれにせよ、路面電車が消えて一ヶ月が経過した。
岐阜県がこの教訓をどう活用して公共交通の育成に努力するのか、単なる「言葉遊び」で終わるのか注目してみたい。
今回は、この話題。
「県政総点検:交通政策に疑問の声 路面電車の廃止対応で-県民委分科会」
「公共交通再生、積極的関与を 県に政策総点検分科会報告」
岐阜県知事の交代に伴い、これまでの県政を点検する目的で始まった県政総点検。
そのために設置された政策総点検県民委員会の分科会である「生活基盤分科会」が9日に開催され、県内の交通体系構築問題が論議された。
今回の会議では岐阜県が3月に策定した「総合交通体系指針」を下敷きにして進行していったが、その際の岐阜県と委員の間でこんなやりとりがあったという。
(委 員)
・指針を作る際に路面電車の廃線問題は議論したのか
(岐阜県)
・指針は、個々の具体的な課題を示す前提には立っていない。路面電車の廃線問題については基本的には沿線市町が判断するもの。鉄道事業は法律上、県に権限はない。
この岐阜県発言に対する自身の感想は後回しにして、委員からは、次の批判が出された。
・美辞麗句ではなく実効性のある政策を。
・県は権限がないのに、指針を出す意味があるのか。
・県と沿線市町が連携していれば、名鉄路面電車存廃問題は違った結論になっていたかもしれない。
・県の姿勢が見えなかった。
また、委員からはこんな要望も出された。
・路面電車はもう一度走るのが望ましい。こういう委員会で路面電車を残すよう勧告を出すべき。
結論としては、「路面電車廃止を教訓にするべき。公共交通をどう構築するかは地域の生き方の理念の問題。公共交通のあり方について市町村と積極的に連携してほしい」と意見を集約した上で「公共交通の再生のために、県は積極的に市町村に働きかけるべきだ」との趣旨を分科会報告に盛り込むことで一致したという。
この「総合交通体系指針」自体、空疎な言葉遊びと言ってもよい代物で、「人口減少や少子高齢化、地球環境問題など交通環境の変化に伴い、新たな交通体系構築の必要性を強調する中で「公共交通優先社会への挑戦」として、NPOや交通事業者、市町村などとの連携による公共交通機関の整備や利用促進を掲げている」と謳っている。
しかし、指針が出された直後に岐阜の路面電車が全廃されている。
指針の内容と岐阜県内の現実は全く矛盾する状況をさらけ出してしまっている訳で、実効性という点でどうにも信用できるものではない。
それにしても、会議の岐阜県側の発言には驚いた。
「路面電車の廃線問題については沿線市町が判断するもの」とは・・・。
あまつさえ、「権限がない」とは恐れ入る。
路面電車が走っていた道路の管理者は誰だったか。
県道を走っていたから、道路管理者は岐阜県ではなかったか。
軌道の道路占用、橋梁の河川占用等の許可権者は誰だったか。
そして、停留所の設置等に権限を持っていた公安委員会はどこの所管だったか。
岐阜県の所管ではなかったか。
そうした事実を棚に上げて「権限がない」とはよくも言ったりと思う。
確かに、河川や道路占用は土木部、停留所の設置等に関する協議は公安委員会、と所管する組織は異なるが、同じ「岐阜県」という組織である事には変わりはない。
まさしくタテ割り行政の典型であり、公共交通を議論する以前の問題として組織の枠内に収まった発想の狭さを指摘しておきたいと思う。
また、少なくとも路面電車の廃止について、岐阜県は何も表だった動きはしていない。
岐阜市も岐阜県とこの件で協議を行ったとかそういった話も聞いていない。
結局、岐阜県にとって、岐阜の路面電車の廃線問題は基本的に「岐阜市の問題」だったということなのだろう。それには県と市の感情的な対抗意識もあったのかもしれないと思う。
しかし、それで良かったのだろうか。
本来、県の役割というのは自治体の枠を超える広域的な行政課題に対応するのが第一ではなかったか。
今回のように複数の自治体を通過する公共交通の存廃は、まさしく「広域的な行政課題」ではないかと思う。公共交通が一つの自治体の中で完結する事例は少なく、大部分が複数の自治体にまたがる問題となる。
自治体間の利害を調整し、より良い住環境を整えるのが県の責務と考えるのであれば、その中には広域的な公共交通体系の構築も含まれると考えるが、今回の一件では岐阜県は何もやっていないに等しい。実際、沿線自治体と連携して事態を収拾しようともしていない。
そのことはえちぜん鉄道の誕生時に福井県が関与した事例と比較して考えれば良いと思う。
えちぜん鉄道は周知のように、京福電鉄の福井県内の路線を継承して発足したが、その発足に際して地域住民の生活への影響は少ないとしてレールの存続に積極的でない自治体もあった。
そんな自治体をまとめ上げ、福井県も出資してえちぜん鉄道が誕生した経緯がある。
そう考えると、福井県は公共交通の存続に積極的な姿勢を見せ、しかも行動で示している。
逆に岐阜県は路面電車を「存続」させる方向でまとまっていた沿線自治体に対し、何らアクションを起こさなかった。結果的に財政負担が過大であるとした岐阜市の存続断念表明で廃止に至ったが、岐阜県が路面電車を継承する経営主体へ財政的な支援を行っていたらどう事態は動いていただろうか。
そんな事を思う。
今年度、岐阜県は市民鉄道への転換を進めるべく樽見鉄道へ補助を行うが、そうした形で路面電車に補助を出すという発想はなかったのだろうか。
少なくとも、えちぜん鉄道の場合と異なり、沿線自治体で廃止に積極的に賛成した所はなかったのだから。
そういった発想ができなかった点に岐阜県の公共交通に対する定見のなさを実感する。
岐阜の路面電車の運行環境の劣悪さは知られた話であるが、これとて岐阜県が積極的に動いてさえいれば少しは改善されていたかもしれない。
いずれにせよ、路面電車が消えて一ヶ月が経過した。
岐阜県がこの教訓をどう活用して公共交通の育成に努力するのか、単なる「言葉遊び」で終わるのか注目してみたい。