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森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

12年ひと昔

2009年06月17日 22時24分36秒 | 過去ログ
日曜日、神奈川から帰り
大学院オープンキャンパスに出勤し
その後、倒れるように眠り
朝起き、高知に向かった。

臨床実習訪問スタート。
まずは愛宕病院に伺い学生の進捗状況を確認した。
いたって上々だ。

概して、実習の問題は
実習生側だけになく、SV(実習指導者)にも大いにあるという。
それは環境における間主観であり、
一人の視点のみならず、
あるいは病院サイドの先入観にならず
システムとして機能させながら学生をみていっているという強い言葉をもらった。

先日のSV会議のSVからの論点の・・・に
ここのSVは驚いたという。

しょうもない議論がいまだに続いているということは
「教育」とは何かを考えない理学療法教育がされているのだろう。
組織だけが大きくなり、
教育という根幹を蔑にする「組織」であっては
足もとがゆらぐであろう。
自らの団体の営利・政治活動のみに盲目にならずに
「教育」というもっとも人間にとって大切なものに
どれだけつぎ込むか、
そして、そのブレイン(首脳陣)をどうするか
今まさに分岐点であると思う。


学生とは「虚空」へ。
アフターを無理強いしなく
行きたい!と言えばそこで花を咲かせる場合がある。
教員は事務的対応でないところに本質があるのだと思う。
店主のゆうから日本酒(新酒)を薦められる。
これが八木先生への供養だと思い飲む。
八木先生がいつも座っていた場所を眺める。

「虚空」で少し話した後、宮田塾の塾長の博章と「ひょっとこ寿司」へ。
久しぶりに同級生の店主に会う。

博くんからは今の置かれている自分の立場の相談を受けた。
「うん、うん」と聞き、
少しながら先を生きたものとしてのお話をした。

その後、「虚空」に学生を待たせていたので
博くんと向かい
高橋先生と園田先生と合流する。

外はバケツをひっくり返したような雨。
まったく傘の意味がない。
これぞ「土佐の雨」。
ワイパーがきかない雨。

「虚空」では異種タッグマッチ。

畿央の学生、高知医療の先生、そしてよさこいの塾長(鉄板焼きのマスター)。
これぞ、創造性の源。

「生まれる」ことばが実に面白い。

「よさこい」への勧誘をするが、
どうも間もなく満員御礼のようだ。

参加を希望する者は どうぞお早めに!!!

そののち、0時前に「York」へ。
学生を連れていったことに後悔するが・・土佐の夜はまだまだ続く。

マスターのせいじに、今日の表情にあう「カクテル」を注文した。




博くんから新しいイベントの打診を受け
諸手を挙げて「参画」したいと答えた。

夜は2時過ぎまで続いた。
今度は「きよしろう」ナイトが開催されるらしい。



朝6時に起き、
8時に高知空港をたち、
伊丹空港に降り立ち、
そのまま大学に向かい、
13時より神経系理学療法学の授業に立つ。

自らの吐息の臭さのフィードバックが加わる。
それでもプロフェッショナルという心意気で授業をする。

今日からAtaxiaに入る。

その後14時半より発達系理学療法学。
今日は9~11か月の運動発達であった。

学生の質問を受け、
19時半より大学院の授業。

大槻君からは予測的姿勢制御機構の研究計画の報告があり、
彼のアルゴリズムに感心しつついくつかの問題指摘を行った。
いつも大槻君はネット上での参加であるが、
今日は大学に来ることで新鮮だったと思うし、
来て話すことで、やはり、話の花が咲くと感じただろう。



やはり非言語的コミュニケーションの影響が大きい。
メール上で理事会などが開催されるが
やはり面と向かわないと言葉は紡ぎだされない。

人間は「間」に意味をもつ。
言語も「間」に意味がある。

21時半に倒れるように帰り、
22時には寝ていた・・・よっぽどの状態であり、
朝を迎えた。

今日は「看護医療学科」の講義を朝一でおこない、
ここでは心の理論を取りあげ、
看護師としての心構えについて話した。


そののち、3時間ほどかけて、
今度のボローニャでの学会のポスターを完成させた。


バックミュージックはvirgin radioのイタリアであるが、
やはり、留学中が懐かしい、フランスに変えてしまう自分がいる。

会話にならないフランス語だが
聞くとなぜか癒される。

27歳の自分が蘇る。
もう12年も前になる。
バックパッカーだったころのリュックを取り出した。
今度のイタリアはこれで行くかキャリーで行くか悩んでいる。





風景画のような記憶に向かって

2009年06月14日 23時23分45秒 | 過去ログ
木曜日は今期2回目のM2のテレビ会議を実行する。
場面上には岐阜県代表、河村(こうむら)君、愛知県代表、吉田君、香川県代表、十河さん。




そして大学には河村(かわむら)君、平松君、湯川君、熊谷さん。



この日はまず湯川君から脳卒中患者の運動錯覚時の脳血流量の結果が示された。
この知見はOT学会で発表する。

その後、吉田君から空間参照枠を変化させた際の脳血流量の変化が示された。
途中、音声トラブルにも見舞われたが、前回よりはスムーズに進行した。
この知見はsociety for neuroscienceで発表する。




最後は、十河さんからストレス反応時の脳血流量の変化が示された。
みんなからの意見を踏襲して、ギアをトップに入れていきたい。




翌日、金曜日は大阪女子短期大学での2回目の講義。
演習を取り入れながら、恋愛する脳、美しく生きる脳、コンパで勝ち抜く脳、など
俗っぽい脳科学も取り入れながら、
注意を操作する。
科目を履修しない女子3名が、恋愛がテーマだったため聴講した。
自由すぎるが、これでよい、・・と思う。

藤井寺から天王寺、新大阪を経由して新横浜へ。
毎週のように関東に来ている。
橋本駅で山本先生らに迎えられる。
そのまま懇親会に出て、
2時半まで飲み続ける。

翌日、土曜日は午前中はピラテスの夏井先生の講演。
そのさい、私の吐息は、自分で自分が酔うほどであり、
隣に座っていた樋口先生との再会に
私の酔った吐息をプレゼントすることになり、
彼は自然と頸部が逆の向きに反応していた。

おかげさまで彼との「身体運動学」はベストセラーになっている様子。
ご愛読感謝します。

「体育の科学」にも書評(名古屋大学教授の山本裕二先生)が掲載された。
セラピストだけでなく、広く浸透しているようだ。

彼の講演は相も変わらず、知的であるが、
若干、今回は砕けた感が出ており、
親近感を感じた。

私の講演は「漫談」のように砕けてしまったが、
わかりやすいとおおむね良好であった。
PT学会の講演とは180度違う。
どっちが自分のスタイルなのかよくわからない。

それにしてもピラテスの人たちは
たち振る舞いがきれいだ。
心と身体から生まれる身体意識と対話をいつもしているようで、
その心がけが、最終的には自然な振る舞いとして表れている。





20時より場所を相模原に移してレセプションが行われる。
幕末の由緒あふれる雰囲気で、
今講演で一番感動した。



西郷吉之助、勝海舟の書がかかげられていた。




安里先生と再会を楽しみ、0時過ぎまで飲み、
このような多種多様な人種と会う機会を与えてくれた山本先生に感謝した。
彼の人並み外れた志向性の賜物だと思う。
人間とは外とだけでなく、中を知ることで信頼できる。


本日、日曜日の朝早く橋本をたち、
一路、五位堂まで。

大学のオープンキャンパスに昼から参加する。
とはいっても大学院希望者の個別相談である。

多くの参加者にきていただきお礼をいいます。

一緒に研究ができればいいですね。
そして、社会貢献できればいいですね。
そして、時代を作っていくことができればいいですね。


しかし、私の心はまだ曇ったままである。

新幹線の座席でふとよぎるのは八木先生の姿。

明日は高知へ実習訪問である。


それにしても、金曜日から結構タイトなスケジュールであり、

身体的疲労の方が今日はイキチを超えている。


馬車馬のように動けば、
記憶が薄らぐ。
新奇な記憶がどんどん更新されることで、
過去の記憶は図式化され、思い出として身体から離れた情景となる。


冷たい雨

2009年06月10日 22時28分43秒 | 過去ログ
火曜、水曜と授業・会議が目白押しであったが
すべての仕事をキャンセルし
一路、高知に向かった。
こんなことで帰郷するとは思いもしなかった。

私には人生の師匠が3名いる。
そのうち研究者としての道を拓いてくれたのが
八木文雄先生である。

今の自分の学者としての存在は
先生の存在なくしてありえない。

八木先生の背中をいつも見ながら
自分も大学で研究をする人間になりたいと思った。
八木先生からは原著を読むことの大切さを
学んだ。
先生の名著「神経心理学」(放送大学教科書)は
すべての原著を読み
そして確認するという途方もないプロセスから生まれた。

誰かのレビューや本からの引用は決してしなく
オリジナルをすべて確認し
日本、あるいは欧米の名だたる研究者の
総説論文には解釈の間違いがあるとの説明を受けた。

自分の目で見て読んで確認するという
研究者として最も基本的なものを自らの背中で教えてくれた。

文字通り学会出張以外は365日大学の研究室にいる研究者であった。
元旦にもいつもいたのを記憶している。
生真面目なまでの研究者。
まさに字義通りの研究者である。
(その辺のセラピスト教授に垢を煎じて飲ましたい)

すべての仕事を背負い
そして自分の仕事を2の次にしてでも
大学の誰もが嫌がりそうな事務的仕事を一手に引き受けて処理する教授であった。

私の学位審査においては
密には指導を受けなかったが要所で適切かつ明確な指摘をもらった。
軽くインパクトファクター4はいるからな!
と入学早々にいわれたことを今でも覚えている。

運よく、博士課程3年時に2本の原著論文が国際雑誌に掲載され
ノルマを達成した直後
掲載されたのなら、1年早く出るか!?と問われ困惑したのを覚えている。
医学部の博士課程(医学博士)は4年であり
3年で修了するというのは1年早く出るということであり
それまで高知医科大学では
バンクラディシュ人の医師のみであることを聞き
さらに困惑した。

研究者ではあるがセラピストである私を
医師の同期を差し置いて1年早く出るというのは
まさに八木先生の決断によるものである。

いろんな軋轢ややじを一手に受け
それでも気丈に振る舞い
私の学位取得の後押しをしてくれた。
その甲斐あってか、日本人で最初の早期修了となった。
今でもあの時、
前歴がないため、
八木先生はその手続きなどに大変だっただろうと察する。

上智大学文学部のご出身で
実験心理学をもともとはご専門にされていた。
上智大学ということもあってか
英語、フランス語、スペイン語も堪能で
ネイティブを修正するような人でもあった。

視覚心理学で有名な東大の鳥居修晃先生のお弟子さんでもある。
文学博士ながら、佐賀医大を経由して
高知医大で神経心理学の教室をお開きになり、
41歳の若さで国立大学の医学部医学科の教授にご就任された。
さらに医師でもなければ医学博士でもない。
まさに実力をもってのご着任である。

単刀直入に物事を語る人であり
教授会などでも一目置かれる人物であったとお聞きしている。

神経心理学の改訂作業をされていたが
先日、60歳で急逝された。
突然の訃報を高知大学医学部認知行動神経科学教室の面々から
次々に聞き
まさにそれを真実として受け入れることができなかった。

そんなはずはない。

まだいろいろと教えてもらわなければならないことがある。

最後に何かひとこと俺に言ってくれないのか。

今となってはどうしてもっと頻繁に研究室にいかなかったのか

と後悔している。

もう一度でいいから研究室に入りたい。

いつも先生の研究室にノックするのは緊張していた。
今でも緊張し、一瞬ためらう場合もある。
大学教授としての厳しさをもっていた。
今の自分には到底ない。





しばらくは茫然と立ち尽くすのみであり
今、このブログを打っている自分をフィードバックしても
それが続いている。


火曜日に通夜、本日、本葬を受け、
御出棺まではまだ信じられなかったが、
教室生の代表としてそれを受け止め
八木文雄先生が志そうとした学問を受け継ぎ
発展させていかなければならないと強く思った。


まだまだ、実力が満たない煩悩な自分であるが
研究者としての精神・信念を引き継ぎ
私らしく研究を続けていこうと思う。

可及的速やかに今自分がやろうと思う物書きを
妥協なく進める決心がついた。

完璧主義な先生には到底追いつくことができないかもしれないが
目標とする人物があまりにも大きいと
こっちも張り合いが出る。

天国で叱咤激励してほしい。

心配なのは高知大学認知行動神経科学教室にいる
博士課程・修士課程のメンバーです。
どうか見まもってあげてください。
そして皆が無事に学位をとることができるよう
天国から力を注いでください。


今日は教授陣も声を上げながら泣いていた。
中でも倉本附属病院長と奥谷先生は印象的だった。
八木先生の人柄が出ている葬儀であった。


身内よりも身内
恩師というものはそういうものであると
先生のご遺体を前にした
自らの嗚咽をあげながらの涙の量からもそれを感じた。
今日の葬儀では10年分の涙が出たのではないかと思う。


今でも「エピソード記憶」が随時蘇ってくる。
人は人の脳のなかで生きるというが

先生、これはつらいよ。
本当につらいよ。

先生の遺影の笑顔が脳裏の奥底に焼き付いてしまった。
先生、見返り笑顔はないよ・・・どこか遠くへいくみたいじゃないか!


ただただ、ご冥福をお祈りするばかりであり
現世で休めなかった分を取り返すように休んでください。
これは僕からの切な願いです。


しばらくは何も手につかないが
同僚の援助をもらいながら進めていこうと思う。





「いのち」の力強さと儚さ・・・自然のなかの生命

2009年06月08日 22時41分33秒 | 過去ログ
土曜日に東京に入り
日曜日、大原さん と会う。
首都大の池田先生にも協力してもらい、
現在の症状について
推論からであるが
解読を試みる。
あとは、今後の展開を考える。
「ロマンティックリハビリテーション」を展開する!
と言いつつ、
自らの心の不安定さと
頸OAの悪化から
十分にお返事できない自分に腹立たしかったが、
なんとか、お話できてよかった。

リハビリテーションの現状を考えると
不安だが
現況の医療情勢を眺めつつ
最良の方法を選択できるよう
0.1%程度の援助力ぐらいしかないが
ご縁を大切にしていきたい。

池田先生と遅い食事をして
東京を後にした。
この往復、何週続くであろうか。
過労と思うが
体力がついている。


本日は頸OAの症状が強く出ているが
原稿の催促を受け
迷惑をかけていると思い書き始める。
2年生のCPに関する質問を受けつつ
少しずつ書き始めた。

健康科学研究所の会議に出て
今年度のシンポジウムを森所長、金子研究科長、山本教授、坂田教授、高野教授らと検討した。
10月半ばに開催する。
その時は、society for neuroscienceがシカゴで開催される。

19時に東朋香芝病院の脳外科の先生が来学され、
定期的な講演依頼を受けた。
ご近所さんなので丁寧に援助できればと思う。
メソドロジーの中の私の固有名詞が強いが
私が大学に着任したのは
それを払しょくしできる限りサイエンスに近づきたいと思ったからである。
専門学校を退職する決意をしたとき
私はPTを一度棚上げし
研究者の道を歩むと決心した。

もちろんセラピストマインドは捨ててはいないが
サイエンスやフィロソフィーをベースにして
物事を考えるということをするという決心を6年前にした。
この限界に来た時、再度セラピストに戻るのかもしれない。
偏見を持っていただきたくはないが
その偏見を持つのも脳の仕業だし、
自らの経験図式を容易に変革することが人間はできない。
知らないうちに不快な刺激を扁桃体で受けている。
体育会系のPTは特に強い傾向にある。

自らを変えることができるか?!
これは自己にとっての永遠のテーマである。


さて、今日は昨年8月22日に母親が亡くなって以来、
もっとも辛い日になった。
真実が明らかになるまでは口を閉じる。

しばらくは何も手につかない状態だが
今は時を待つしか方法がない。


それでも気丈にふるまわないといけない教職という仕事は
これほどまで辛いのかとも思う。
教師というのは時に自己を殺してでも
他人に幸福をもたらさなければならない仕事である。
「やりがい」の裏にはそういう面もある。



本来、生命は自然現象である。
しかし、時にそれが「人工」になってしまう。
そうすれば、息苦しくなる。
自己を生きるとは、自然に振る舞うという現象であるのかもしれない。


相対的活動のなかでも絶対的活動を上げることができるか?試練

2009年06月06日 06時41分25秒 | 過去ログ
ブランクタイムを持つということは
自分に余裕を持つことでもあり
それはそれで創造性を生み出すためには
必要なのだが
現代日本というべきか
今の自分の立場というべきか
執筆を一度棚上げしておき
いろんな講演や授業に真剣に立ち向かうと
その執筆時の脳の状態に戻すことが難しい。

書き始めの葛藤と同じようになっており
原稿を寝かしておいたことで「熟成」とはなっておらず
自分の脳の状態に言語はいかに影響を受けるのかを
身をもって感じている。

PT学会のシンポのウエイトがある面重く
また最近、学生が真剣なために
授業の準備を丁寧にしており
それはそれでよいのだが
脳は相対的活動をするために
自らの創造性や新しい仕事へのエネルギーが減少してしまう。


さて、昨日より藤井寺の大阪女子短期大学での講義が始まった。
科目は「脳の活性化とトレーニング」
アンチウエルエイジングコースの1選択科目である。
短期大学はどこも厳しそうだが
行ってみて、話してみて、
こういう2年間の間に自分の人生を見つめるっていうのがあってもよいかなと思った。
4年間はちと長いし
道が違うなと思ってもなかなか1度リセットできないな、とも思った。
高校に専門性をみつけられなければ
2年のうちに見つけ、そのあと、就職なり進学なり、という人生でもよいかなとも思う。


早く、締切原稿を完成させたいものだが、
時間が崩壊しつつあり
イタリアへの機内で仕上げるしかないかなと思いつつ
今までの履歴を考えるとそれもままならないとも思う。

次週に少し進めたいものだ。

明日は久しぶりに患者さんの家族にあってきます。

いけちゃんとぼくが公開。
作者・漫画家は郷土の西原理恵子さん。
豪快な女性だ。
漫画家は高知県出身者が圧倒的に多い。


そして・・・宮田塾!踊り子募集中です。

良ちゃん見てるよ!







運動連鎖アプローチ研究会in神奈川 part35

2009年06月04日 22時54分08秒 | 過去ログ
運動連鎖アプローチ研究会in神奈川 part35〜Bodyworkの臨床応用〜

6月13日(土)〜Body workと身体感覚〜

「ボディーイメージの運動療法への応用」
森岡 周(畿央大学理学療法学科・教授)

期 日 平成21年6月13日(土),14日(日)

会 場 杜のホール橋本 8F多目的室(JR・京王線橋本駅徒歩1分


若干キャンセルが出たようです。
詳しくは下記まで。

申込先
事務局 元井康弘 undouiriguti@yahoo.co.jp
名前 所属 都道府県 メールアドレス 経験年数をそえてお申し込みください。

いくつかをピックアップ

2009年06月04日 22時39分02秒 | 過去ログ
第24回滋賀県理学療法学術集会
日時:平成21年7月12日(日)
会場:湖南市甲西文化ホール
教育講演:10:00~12:00
講師:森岡 周 (畿央大学)


社団法人熊本県理学療法士協会 平成21年度第2回学術研修会
日 時:平成21年7月26日(日) 9:00~15:00(受付開始8:30~)
会 場:熊本保健科学大学
講 師:森岡 周 (畿央大学)



第44回日本理学療法士協会全国学術研修大会 in 三重
会期 2009年10月2日(金)~3日(土)
会場 四日市市文化会館
メインテーマ・シンポジウム
神経系:シンポジスト
吉尾雅春 (千里リハビリテーション病院)
今川忠男 (旭川児童院)
森岡 周 (畿央大学)


第49回近畿理学療法学術大会
会期:平成 21 年 11 月 22 日(日)
会場:神戸国際展示場2号館
シンポジウム:テーマ「私の考える理学療法の展望」
シンポジスト
市橋 則明(京都大学)
森岡  周(畿央大学)
高橋 哲也(兵庫医療大学)






ISPGR 2009, 21-25 June 2009, Bologna, Italy

2009年06月03日 23時31分32秒 | 過去ログ
ISPGR 2009, 21-25 June 2009, Bologna, Italy

1. Effects of dual task balance training in healthy elderly people
Makoto Hiyamizu1, Shu Morioka1, Atsushi Matsuo1, Koji Shomoto1, Tomoaki Shimada2, 1Kio University, Nara, Japan, 2Kobe University, Kobe, Japan


2. The influence of the action observation in learning of the standing balance performance
Atsushi Matsuo1,2, Makoto Hiyamizu1, Hiroshi Maeoka1, Shu Morioka1, Keiko Seki2, 1Kio University, Nara, Japan, 2Kobe University, Kobe, Japan


3. Perception exercises involving the sole of the foot enable the oldest old to better maintain postural balance while standing
Shu Morioka1, Hiroyuki Fujita1, Hideki Nakano1, Satoshi Nobusako1, Masao Fujimoto1, 1Kio University, Kitakatsuragi, Nara, Japan


4. Is gait analysis possible using only an accelerometer?
Takahiko Fukumoto1, Hiroshi Maeoka1, Shu Morioka1, 1Kio University, Kitakatsuragi-gun, Nara, Japan


5. Gait assessment of processed socks with ankle taping
Hiroshi Maeoka1, Takahiko Fukumoto1, Kenji Sho2, Toshio Ando2, Hidenori Miura3, Atsushi Matsuo1, Makoto Hiyamizu1, Koji Shomoto1, Shu Morioka1, 1Kio University, Kitakatsuragi-gun, Nara, Japan, 2Okamoto Corporation, Kitakatsuragi-gun, Nara, Japan,3Hakuaikai Memorial Hospital, Tokushima-shi, Tokushima, Japan


未来ワーキングメモリ

2009年06月03日 23時12分45秒 | 過去ログ
月曜日は大阪医大のリハビリテーション教室から
医師、OT、STの先生方が来学する。
fNIRSの測定現場をみていただき、
色んな意見をいただいた。
われわれの研究グループも帆をはりはじめたところであり、
これから3年間をめどに研究を進めていくつもりである。

具体的なビジョンを掲げて
研究協力者を広く求めることになるだろう。

さまざまな書類書きが滞っており、
そのあとはもっぱら事務的活動に精を出した。

ひっきりなしに2年生の面々が
乳児の運動発達に関して質問してくる。
久しぶりに運動学を説明する自分はとても新鮮だ。
反作用の説明に力が入る。


火曜日は神経系理学療法学と発達系理学療法学の講義、
そして大学院の授業を行う。


神経系では、apraxiaの病態構造(頭頂~前頭ネットワーク)を解説しながら
リハビリテーション治療の考えかた、
そしてその実際に関するエッセンスを話した。

難しいけど、面白い、という意見がおおむねであるが、
それでは駄目だと思い反省する。
もっと平易に解説できるように、
トレーニングを積まないといけない。


発達系では7か月と8か月が取り上げられたが
6か月を境に、どうしてこのような機能が獲得されるのかについて
考えてもらいたい。
それは月齢ではなく機能系の視点からである。

考える力
それを養いたいし、
自らが問題解決しようとする試みを養成したい。
そうでないと「大学」教育ではない。
最先端の知見を導入し
これからの未来(問題)を切り開く精神を持ってもらいたい。
大学を卒業するということは
社会を学問し続けることである。

そうでなければ、高卒で早く社会に出て
ソーシャルブレインを養ったほうがよい。
今の大学生は、社会に出るのが遅いため、
社会性を失いつつ
大学で学問せず、マニュアルを求める傾向にあるために、
問題が発生しても論理を使おうとせず
情動が反応する場合が多いにある。
大学が大学でなくなっている昨今、
暴言をはけば、門を狭め
エリートのみ学問をさせ、
そうでないものは社会に早期に出して
社会脳を養ったほうがよい気がする。
中卒で技術人になったころが懐かしい。
丁稚、師弟関係は
広い自我が芽生えないほうが教育としてうまくいく場合がある。

今一度、大学とは「学問」する場所である
ということを再認識したい。
それは教授たるもの、日々、考え抜くということを
自らの背中で教えるというものである。
表面だけを洗うように教育するだけでは
この問題が山積みの社会を解決する心・論理を形成できないと思う。



大学院では、
佐藤君が脊髄損傷の運動イメージを取り上げた。
何のために調べるのか?
そして、そもそも脊髄損傷の運動イメージとは何かを深く切っていかないといけない。
M1は問題なく、運動指令が出るのならば、
エファレンスコピーはどうなのか?(出るはずである)
ただし、出力されないために感覚系は作動しない。
そこに機能解離がある。
また脊髄への側枝は1本でなく数万本になる。
それらが何の機能をしているのか、深くえぐっていかなければならない。


その後、榊原さんが瞬きと注意の関係をレビューしたが
これも何のために調べるのか?
そして、それの科学的実験手続きを吟味した。
「科学的」ということに味噌がある。
普遍にできる限り近づけなければならない。
それが、PT,OTは限りなくトレーニングされていない。
要素還元論といわれるが、
量的研究を選択するならば
その研究手続きのトレーニングを積む必要がある。
あとは、引用文献はできる限り新しいものに限る。


本日は、看護医療学科の授業を行い、
情動・感情のパートをまとめた。
分析する脳と感じる脳
両者が相互に関係し合い感情を豊かにする。


一方、情動がネガティブな方向にいくのには
体の感覚と他の感覚が同期したときにおこることを
ラットの実験などを通じて話した。
これは患者をケアする上で大変重要なものである。
「ウンウン」と相槌を入れてくれた。


今日はメールの返信、
4年生の実習訪問の段取り
そして、事務的活動に終始時間がとられた。

重い腰を上げ、「リハビリテーションのための人間発達学(大城先生編)」の残りの原稿を書こうと思ったが、
間、PT学会などがはさまり、
1か月原稿を見ていないと、
人間の記憶は相当に曖昧になる。

脳の復帰にはしばらくかかりそうだ。
安直に高速道路化してしまえば、
共同運動スキーマのように自由度のない原稿になってしまう・・・


猛反省し、原稿は一気に書き上げるべきだと、自分を嘆いた。
昔は一気に書き上げたが、
年々、いろんな仕事が入り、
もはや、時間は崩壊気味である。

なんとかしたい。
いや、なんとかする。

とにかく時間を作る。
睡眠は削らない。

昔を憂いてもしかたない。
時間がないという意識は
過去の自分との比較照合に基づく差異の経験である。

であるならば、その環境に自然とふるまい、
更新し続けるのが進化し続ける生物である。
そういうように更新することが進歩であり
自己の形成にとって、意味ある経験になる。

緩やかながらも更新するのが地球上の生物だ。

すぐさま「適応」現象は生まれない。
「適応」とは三人称の視点であり、
私自身には見えない。
それは、その時点で、
もう1人の自分を形成できる余裕ができたときに見える現象である。
メタ認知を形成するということは余裕をもつということであり
私が私を見るという三人称を作りえる世界観だ。

もがいているときにはその「私」は現れない。