森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

日記:ワインハウスの死から

2011年07月25日 18時04分15秒 | 日記
先々週の週末は横浜で講演.
もう遠い過去のように過ぎ去ってしまう自分が嫌であるが,
かすかな記憶は日産スタジアムで行い,
3連休の中日,プールが隣接ということもあってか,
親子連れでにぎわっており,
もうかれこれ,こんな感覚はいつから感じてないかと思いながら,
講演先に向かった記憶がまずある.
それと日産スタジアムのため,
マリノスのホームスタジアムかと思った次第です.

また佐藤病院の藤本先生をはじめ,
スタッフの皆さんが真摯で,
良い感覚を受けました.

講演は神経機能回復を中心とした内容で,
5時間でしたが途中息切れでしたが,
まずまず内容は話せたと思います.

一方,先週末は徳島での協会主催の講習会.
これも200名ほど集まっていただき,
定員の150名をオーバーのようです.
横浜も徳島もオーバーで嬉しい限りです.
鶯先生,平島先生との懇親会.
徳島の海の幸を堪能しました.
私はなぜか,揚げ餃子のようなジャンクの方に手を出していましたが,
サザエ,イセエビを堪能できました.
また山田先生とも再会できましたし,
当日は岡崎先生とも再会できました.
古き良き友です.

こちらは協会主催ですので,
受講費が1000円ですので,お得だったと思います.

この両者を比較してみると,
前者は民間,後者は公的であり,
一方,前者は受講費がおそらく10000円,
後者は1000円です.

この9000円が何を示すかと思えば,
受講する者の質でしょうか.
それなりの金額を払って受講する者は,
ある程度,その金額に見合った情報を受け取って帰らないといけません.
だから,真剣です.
こっちも,それに見合ったものとして,
申し訳ない講演はできません.
一方,1000円の場合,
協会主催であり,しゃあ~なしで来る場合もあります.
今回はそれが少なかったようにも見えます.
前から講演しながら,みなさんの表情から読みとります.

なんというか,プロミュージシャンが来て,
それなりの演奏をしないといけないのが前者で,
後者は近所のアマチュアが運営費をとって演奏するという感じでしょうか.

僕は安いにこしたことはないと思っていますが,
けれども,500円だから行こうか,っていうのも?です.
もちろん,500円で来た者に対しても,
最高のパフォーマンスをするのがプロですので,
手を抜くつもりはありませんが,
なんというか,本人の主観的なものとして,
それなりに金をかけた場合,
脳が記憶をより高めようとするのです.
これは錯覚ですが,
それなりの価値を買えた,だからもっと高めようと思うのです.

こう考えれば妥当な額はいくらかとも思いますが,
それもわかりません.
そういうものは主観的な報酬価値ですから.
その日の自らの感情によっても左右されます.

一方,もうひとつの問題は,
受講費が10000円以上と高いにも関わらず,
講演者の講演料がものすごい低い場合があります.

例えば,以前京都(非営利団体)で講演した際,
200名で5000円とってたのですが,
私は3時間の講演でしたが,ほんの微々たる額をいただいただけで,
京都奈良の日帰りで懇親会もなし.
残りの100万近くはどこにいったか,不思議でたまらないのもありました.
もちろん民間企業の場合,
営利目的ですから,収入がないといけないのも重々承知です.
昨今,講習会ビジネスも増えてきました.
私はこれはある方向性を見出したことで,賛成です.
しかしながら,講演者は俳優,運営サイドはあくまでもディレクターであり,
受講生は講演者を目的に来ているのを忘れてもらいたくはないのです.
だから,講演者よりも多い金額が運営サイドに入ってはならないと思うのです.
一方.すべてが一律というのもおかしいものです.
営利目的の場合は,アーティストによって変えるはずです.
協会や学術団体のように営利目的でなければ,
だれでも一律の額というのはわかります.
あたりまえです.
法律上も.
一方,営利目的の場合は,コンサートのように変えないといけないとも思います.
私たちもプロですから.
それを究めようとする人とそうでない人の知識は一目瞭然です.
脳科学を軽くやっている人と,それを生涯の道としてやっている人では違うと思うのです.
知的財産という言葉があるように,
ものではなく,ひとに対価を払うというシステムの構築がまだ不十分に思えます.

講師料を上げろとはこれっぽっちも思わないですが,
講師の力量,受講生の動員力,会場のキャパ,そして今現在のニーズ,
そんなものを計算しながら,適切に運営してほしいと思うのです.


また・・・飲み食いに金を多く使うというのも見受けられます.
時には事務的に対応していただく方が喜びにもなります.
懇親会よりもグリーンをとか,ホテルをとも思ったりします.
(懇親会は好きな方で,必ず行きますが,年に数回は小言を聴かされたり,質問攻めにあったりして,不快な時もあります.)

つまり私がいいたいのは,
必ずしも自分のこころと他人のこころは同じではないということです.

自分がしてうれしいことを他人はそうとは思わないということであり,
これは治療にもつながるのです.
理学療法士からみた理学療法と患者からみた理学療法は同じではないのです.
リハビリテーションの理念の押し付けが必ずしも人の幸せをつくるとは思えません.

ワインハウスのREHABの歌詞がそのように訴えています.
(ガガのように言われていますが,彼女の生き方は,ほめられるものではなりませんが,破滅型芸術の典型です,純文学作家のような)
今頃,ジャニス,カートコバーン,ジムモリソン,ジミヘンらと酒をかわしてるかな.



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