郵政民有化が難しいらしい。まともに法案を審議することなく、小泉自身が、どうも自民党存続の抵抗勢力になってしまったらしい。元々自民を潰すと言っていたのだから、失敗すれば自分がぶっ潰される。
しかし法案そのものは、やはり賛成したい。
最近私も参加して単行本出版したのだが、贈呈本とか何人かに贈るときに、書籍小包だとか、宅配便だとかだと、ハードカバーのちゃんとした本の場合、封筒に入れて550グラム。600円とかかかる。ところがだ、クロネコのメール便使うと210円で送れるわけだ。どうしてか?
メール便は、ノートサイズまでOKで、厚さは2センチまでとなっている。その理由はというと、「一般家庭の郵便受けに入るまでの厚さ」だという。ところが、郵便受けというのは、計ってみると分かるのだが、4センチくらいある。ということは、「3センチの厚さでも入るだろう」という理屈になって「1センチくらいの厚みは、おまけしろ」というと、クロネコは「はい」というわけだ。私がお得意さんという理由もあるから。
ところがこれを、普通の人に話しすると、信じない。なぜかといえば、郵送物などは、例え定形郵便は、1ミリでもオーバーすると、郵便局は受け付けてくれないという、宗教じみた戒律を無意識で信じている。
しかしねえ、八百屋がキャベツ45円で売っていても「5円負けろ」といえば、大体「はい」というものだ。そんなに郵便局は偉くて、八百屋はアホか。いいえ、民営化、民間企業というものは、そういうもんでしょ。私たち国の家畜は、役人にそういう風に、無意識に調教されていただけなのです。何しろ実態は、道路公団なんていう役所でも、内部は、インチキ談合して、商売しているわけだから。
役所を民営化するってのは、そういうことなんです。ずっと前に、まだ学生の頃に、黒部を登ろうというときに、ザイルを1本余計に仲間で現地まで持って行ってしまって、じゃ、送り返そうと宇奈月の郵便局にいったのだが、「これ、どうやって送ればいいの?」「小包に決まっているでしょ」「じゃ、そうします」「あのねえ、袋に入れるとか、紐で縛って、荷札付けるに決まってるでしょ」「じゃ、荷札下さい」「ここじゃ、売ってないよ」「どこで?」「文房具や」「どこにあるの?」「知りませんよ、そんなこと」
って具合でしたよ。こんな商売今だってまあ、似たようなことやってるわけでねえ。何も国営である必要ないんだから、さっさと辞めろ、民営化というのは、そういうことだ。
しかし法案そのものは、やはり賛成したい。
最近私も参加して単行本出版したのだが、贈呈本とか何人かに贈るときに、書籍小包だとか、宅配便だとかだと、ハードカバーのちゃんとした本の場合、封筒に入れて550グラム。600円とかかかる。ところがだ、クロネコのメール便使うと210円で送れるわけだ。どうしてか?
メール便は、ノートサイズまでOKで、厚さは2センチまでとなっている。その理由はというと、「一般家庭の郵便受けに入るまでの厚さ」だという。ところが、郵便受けというのは、計ってみると分かるのだが、4センチくらいある。ということは、「3センチの厚さでも入るだろう」という理屈になって「1センチくらいの厚みは、おまけしろ」というと、クロネコは「はい」というわけだ。私がお得意さんという理由もあるから。
ところがこれを、普通の人に話しすると、信じない。なぜかといえば、郵送物などは、例え定形郵便は、1ミリでもオーバーすると、郵便局は受け付けてくれないという、宗教じみた戒律を無意識で信じている。
しかしねえ、八百屋がキャベツ45円で売っていても「5円負けろ」といえば、大体「はい」というものだ。そんなに郵便局は偉くて、八百屋はアホか。いいえ、民営化、民間企業というものは、そういうもんでしょ。私たち国の家畜は、役人にそういう風に、無意識に調教されていただけなのです。何しろ実態は、道路公団なんていう役所でも、内部は、インチキ談合して、商売しているわけだから。
役所を民営化するってのは、そういうことなんです。ずっと前に、まだ学生の頃に、黒部を登ろうというときに、ザイルを1本余計に仲間で現地まで持って行ってしまって、じゃ、送り返そうと宇奈月の郵便局にいったのだが、「これ、どうやって送ればいいの?」「小包に決まっているでしょ」「じゃ、そうします」「あのねえ、袋に入れるとか、紐で縛って、荷札付けるに決まってるでしょ」「じゃ、荷札下さい」「ここじゃ、売ってないよ」「どこで?」「文房具や」「どこにあるの?」「知りませんよ、そんなこと」
って具合でしたよ。こんな商売今だってまあ、似たようなことやってるわけでねえ。何も国営である必要ないんだから、さっさと辞めろ、民営化というのは、そういうことだ。
唸ってしまうわけです。
小泉改革は結局都市住民の価値感ですよ。
黒猫がメール便まけてくれても
田舎に住んでいると遠くて
営業所に行くのが大変です。
決まり切った最低限のサービスでいいので、
うちの近くの郵便局が未来永劫開いていて
くれるといいです。
でもその「効率の悪い」田舎郵便局を、
多くは都市住民の懐から出る「税金」で
存続させるのはけしからん、無駄だ、
ということですよね。
まあ正直言って、
「田舎にはもう住むな、金がかかるから」
と政府に言われているようなものです。
あの民営の牙城USAでも、
郵便だけは公社なのは、余程、
民には出来ない何かを認めているということ
ではないでしょうか?
まあ戦後自民党政治は、
一票の価値の高い過疎地住民の代表の
田舎代議士が、
田舎へ莫大な公共事業持っていき、
田舎住民を養っていたわけですが、
それも小泉によってとどめを刺されると
言うことでしょう。
確かに都市住民からしたらアンフェア
でしょうね。
そうすると、エコツアーだか何だかのような
工夫をして都会人を釣れない
しょうもない田舎はこれから荒んだ無人地帯
になっていくのでしょうね。
そして田舎で暮らせない人たちは都会に
出るしかなくて、漂白民としてスラムを
形成するのでしょう。
まあ漂白もされちまうわけですが。
コンビニも、潰れます。
なので、旨味があってやり続けられる特定郵便局が必要なんです。
公共事業でないと全国一律サービスは無理でしょう。政府は「大丈夫」と言い切りますが。
過疎は誰の責任なのでしょう。
夢を求めて故郷を捨てて都会に出てった人のせいだとしたら、その成功の代償として、その人達の税金をつぎ込むのは、むしろフェアでないですかねぇ。