sptakaのブツブツDiary

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4月20日(金)1973年日本シリーズ巨人=南海

2007-04-19 23:10:03 | ブツブツ日記
 この頃の日本プロ野球というのは、西鉄が太平洋に、東映が日拓に身売りして、また巨人V9の最後の年であり、野村が南海で選手権監督の年であり、パは観客減から前期後期を10年ほど始めた最初の年であったといういみで、日本の野球史を語るなら、大いに意味がある頃だったようだ。
 この年、前期に南海は幸運にも優勝して、後期は阪急の独走で、プレーオフは阪急絶対に有利だと思われていたのだが、死んだ振りしていた野村南海が3試合の先勝をして、短期決戦の野村マジックというのは、このときから始まった。
 そして巨人との日本シリーズ。1戦は大阪で南海が勝った。翌日は雨。野村は「試合は延期しましょう」と球団に申し入れたというが、延期して、移動日があって、中二日あれば、投手を立て直せたというのか、意味は分からないが、雨なら辞めれば南海は巨人を破れると本当に思っていたらしい。ところが少しの雨なら球団としては主催試合だからやりたい。今やらなければ、向こうで三連敗すると残り1試合しかない。そんな先の賭け事よりも、目先の主催試合ということで、雨なのに野村の言うことを聞かずに、試合開始。南海はそこで負けて1勝1敗。
 南海球団の自分さえ良ければというのは、有名な話である。けっきょく球団が利益になれば、選手はどうであってもいいというのは、南海始め当時のすべての球団に通じていたことだ。特に大阪方面の球団。
 反対に野村は、合法な毒入りオレンジがあれば、それを相手に食わせてでも勝ちたいというこれは勝負師の本能。
 そして東京に行ってから南海は3連敗して、大阪に戻れずに巨人はV9を達成した。(多分それは2戦目にかなりのエネルギー投手起用などしてしまって、以降はダメになったということだろう。つまりそれをしたくなかった、しなければ7戦を通じて勝てたという意味かもしれない)。
 さて問題は、このことを本人は今現在でも実に克明に記憶しているということである。一体それはどういうことか。肉食であり、ブツブツであり、趣味は昼寝と仙台の球団の監督なのだが、こんな30年前の話さえも克明に記憶しているというのは、それは野球キチガイであるからだ。IDのゆえんというのはそういうところかもしれない。何一つ間違えなく覚えているということに、野村の凄さを感じるのである。そしてその後野村はあの江夏という乱暴物をクローザーでMVPにまで育て上げた。野球を取ったら昼寝しか残らないグウタラは、逆に言えば野球こそが野村の存在意義であり、その辺のぼんくら監督に勝ち目はない。IDは言い換えればブツブツの小姑で陰湿であったとしても、それこそがIDで、それこそが勝てる野球だということか。ちなみに野村の相性のムースとは大リーガーがつけた愛称であり、野村の大リーグ賛美は実はこの頃30年前からでもある。筋金入りの野球人でもある。

 ヤンキーズのトーリは、今年か来年で辞めるそうだが、その後釜に野村が就任するという話には、イチローのヤンキーズ移籍の100倍のオッズがあれば、移籍にかける。それは1万円に対して500万円の配当ということでもある。
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