40代の若い政治家候補は、和製ケネディなんておだてられかねない。連中は必ず「メディアが劣化している」という。90年前のドイツのあいつもそういっていた。
健康である。トライアスロンをするし、煙草なんて吸わない。甲高い声で、通りがいい。信用できないメディアに対して、「自分のSNSだけを見ろ」というのも、あいつになんだか似ている。そういう明るい健康イメージが、国会の煙く臭い80代オヤジよりは印象がいい。
そしてなあなあで通ってきたオヤジ連中を徹底的にこき下ろす。安芸高田市長時代には「議会で居眠りするな」。まったくその通りであるのだが、それをSNSに上げて、公開血祭りにあげる。無党派層の群衆は「そうだ、そうだ」と追従する。落とし前の付け方がヒステリックで、「そんな人種はいらない」と始末したがる。まったく似ている。
口の利き方が悪いとか、「キミの話は無意味だ」と平然というから気持ちがいいと思われる。挙句の果てには爺をけなして、訴えられて、つまらない裁判を抱えていく。それはトランプと同程度じゃないか。
ニヒルならっきょうみたいな顔している。首筋が白くて、若くて健康そうに女性支持も厚い印象がある。質問してもニヤニヤして「答える必要あるんですか」と平然とダンマリする。「ならば出るな」といえば「本当は出たくない」。それはマスコミ拒否であって、自分だけのSNSを見ろ。
案外無党派とは、京都大学卒と三菱UFJの海外勤務だけに酔っていて、しょせん履歴信仰かよ。なんだかアントニオ猪木の平和党だったり、猪瀬の都知事選の圧倒的得票数と同じで、一時に酔いしれているだけなのは、90年前もそっくり同じだ。どれもこれも僅かな時間で失脚した。
彼の指摘はほとんど正しいとして、案外自民失望型はこういうのに期待するのは分かるが、それは90年前とやはり同じこと。
広島時代もそうだったが、政策とは、何でもかんでも辞めてしまえというだけ。田んぼアートを辞めさせ、かつて青島幸雄も東京イベントを辞めさせたが、新しく創造することなしに、無駄だからやめろと、ぶっ壊し屋に過ぎない。
過去に革新系の都知事といわれたのは美濃部だけで、あのヤギみたいな顔して女性票を獲得したが、これも後楽園の競輪場を廃止して、都立高の上位の偏差値教育を潰して、やったことはぶっ壊しだけで、何も創造しなかった。同じだ。少数支持ならば、笑って許せるが、多数派になると、日本人のやることは軍部の時代と同じことになる、嫌な若造に支持が集まって異様である。
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