つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

つなげることができない

2012年11月27日 | 徒然に、

考え方の筋道をつなげることがうまくできない。

これは今に始まったことではなく、子どもの頃からなんとなく感じていた。

なんといったらいいのだろう・・・・

 

末っ子と話をしていると、時折この子はわかっているのかなあと感じることがある。

ごくごく日常的な会話でだ。こうして、こうして、こうやるの・・・といった類のもの。

とんでもないことが理解されていなく、とんでもない失敗を彼はする。

だが、その反面とんでもないことをいともあっさりとこなしてみせる。

大物かもしれないと、親ばかが発動する時だ。

先月だったか、スピルバーグ監督が自身が学習障害だと公表したことがあった。

その記事を読んでいてモヤモヤと末っ子に感じていることに対して、閃があった。

ここで親が「この子はどこかおかしいんです」と反応をしたら、

我が末っ子はいろいろな医者のところを回って、

結果、学習障害というレッテルが貼られるのではないだろうか?

うーむむむ、ありえそうだ・・・・だが、今のところ、私も旦那も末っ子のこのなんとも摩訶不思議な部分を

彼の個性と捉えている。よくなるも悪くなるのも、本人と周りの人間の問題だろう。

などなどと頭の中で思っていたら、

あれ、このわけのわからないモヤモヤ感は私自身も小さい頃から持っていたと気がついた。

周りが楽に納得する理屈がどうもよくわからないのだ。だから数学や理科はちんぷんかんぷんだった。

なんとなくはつかめるからこんなもんかとここまで過ごしてきた。でも、違和感はあった。

ああそうかあ、と、すとんとむねに落ちた。

そしてそれは我が子の個性にもつながるものと感じた。

長男が優柔不断なのも、長女がかたくななのも、次女が天然なのも、末っ子が大物かもしれないと感じるのも、

すべてつかみどころのない私のこのモヤモヤなんだ。

きっとこれは何?と医者にかかったら、「学習障害ですよ」と診断がつくような気がしてきた。

決して、逃げるとかそういうことではなく、ああ、そうかあという感触なんです。

私のこの感じは、私の個性としてここまで来た、こうやって生きていく。

子どもたちも、そういう傾向があるとわかって自分を伸ばして行ってもらいたいと思っている。

 

そして、

私が、今、どれをどうしてと筋道をつけられないのも、

いろいろなことが理由としてある。

問題がたあくさんあるから、

自分のことだけではなく、離れた家族がどうしていくかということから、

年取って、決断がしにくくなったから、

お金の問題が絡んでいるから、

などなど・・・・の他に、私はもともと筋道をたててモノを考えることに何かあるのかもしれない・・・

と思ったら、少し気持ちが楽になった。

 

解決できることを探して、いくらかでも前に進むしかないのだ。

きっと・・・・・

 

私には、支えてくれようとする家族や友人がたくさんいるから、きっと何とかなると思っている。

 

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