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若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

一読一感、WiLL5月号の巻

2009年03月29日 | Weblog
 私はといえば、買いましたですよう、読みましたですよう『WiLL5月号』を、・・・・で、・・・・今回はその44ページを抜粋引用させていただこう。これは、渡辺昇一氏と西尾幹二氏の対談における一説でありますが、今後我々日本人が探求すべき現代史の指針が提起されている重要事項には違いないと私は思います。


 渡辺 中国が尖閣諸島に攻めてきた場合に、アメリカは日米安保を発動させるかとの問いに、モンデール駐日米大使は否としました。あの頃から既に分かっていたことです。

 田母神俊雄前空幕長が、NATOにおいてはアメリカとの核シェアリングがなされていて、核を撃つ必要がある時はアメリカと共に撃てるということを一般に知らせてくれました。
 しかし、まだ日本はアメリカと核シェアリングができていない。これについては誰も言わなかったし、田母神氏も空爆長の職から離れるまで言えなかった。田母神氏をクビにしたおかげで、ようやく分かったことです。これはものすごく重要なことですよ。

 西尾 田母神氏も何度も言われてますね。

 渡部 日本との核シェアリングをアメリカが認めないということは、アメリカが日本を信用していないということです。日本が核シェアリングを要求し、アメリカがそれを断った時、では自前で核を持つということのできる胆力のある政治家がいるか。それがとわれています。

 西尾 最近、フライングタイガーのことを調べていたのですが、アメリカ人は日本よりも中国の方が好きだったということが良く分かります。パールハーバーでやられた直後、それより前からアメリカ人のプライドを守っていたのが中国戦線であったことに彼らは気がつきました。ですから、アメリカ人と中国人は今でも戦友会をやっているといいます。そこにパパ・ブッシュや江沢民が主席し、いかに日本をやっつけたという話をしている。

 アメリカと中国は一度も戦争をしたことがないし、味方でもあったわけです。ですから戦後、60年経つと共産主義が崩壊したこともあり、旧敵国と連合軍という見方が復活して、アメリカと中国が接近しているのも頷けます。

 ・・・・以下46ページ

 西尾 我々はそれ(=つまりプロレスはレフリーの見ていないところでアンフェアなことをどんどんやりますが、表向きは絶対正しいような顔をする。アメリカという国はそういう国)を知らないで生真面目にアメリカと付き合ってきましたが、戦後、「従僕」としてアメリカを見てきた日本は、だんだんとアメリカのそういう特性が分かってきました。しかし、いかんせん日本人は極端に臆病になっていませんか?。

 渡部 そうです。それはやはり占領軍のプレスコードに端を発しているのですよ。占領軍の悪口を言ってはいけない。など『30項目』の禁止事項によって、どんどんと日本人は骨抜きにされました。すぐに公職追放になるのですから、怯えます。その後、日本人の口からは、「そんなことを言ってもいいんですか?」という言葉をよく聞くようになりました。・・・・・(以上引用)


 ・・・・この渡部昇一氏と西尾幹二氏の対談『敗北史観に陥った言論界』は、私にとって今後の現代史探求の指南ダイジェストでありますが、占領軍による「プレス・コード」(実は私にとって初耳)なるものが市民権を得た言葉なんだろうかと広辞苑を開いてみると、それは存在しているのである。・・・・まさに、抹殺された戦後史の孤児だったことに愕然とする。


 プレス・コード(press code):1945年9月、GHQが日本の新聞に対し、主として占領政策への批判の取り締りを目的として命じた規制。これに基づき49年まで検閲が実施された。52年講和とともに失効。(広辞苑)・・・・しかし、敗戦後60余年経過した今でも、「GHQによるプレス・コード」なるものが日本のメディアには色濃く残っていると思う。特に、某紙など共産支那の言論統制を100%受け入れて居るのではないかと疑われる。

 
 「GHQによる30項目の禁止事項」とは何だったのか?、その内容が知りたい。・・・・・『現代の馬鹿日本人の縁起』がおそらくそこに眠っているはずである。是非とも突き止めねばならんだろう。