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きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

二期6年どころか明日の命も危うい

2007年01月04日 | Weblog
支持率低下どう止める?…首相の報道対応悩む官邸(読売新聞) - goo ニュース

 安倍首相は先代の小泉氏から肝心の勘所と言うものを身をもって体得しているのではないかと期待していたのであるが、時を追ってピンボケ度が増すというのは一体どうしたことか?。

 先代はと言えば、郵政民営化を政治的な一大事と提唱し、事をなすにあたっては、確かに抵抗勢力なるものも眼前に立ちはだかったことも事実であった。
 渡る世間に障害はつきものであるが、それを彼は果敢にも抵抗勢力と呼び捨てたうえに身勝手にも勝負を挑み、ものの見事に彼らをカモにし、長期政権を打ち立てたことは周知の事実である。外交的には日米安保の絆を磐石な方向に舵を切り、ブッシュ大統領からは尊敬すらされた逸材でもあったのだ。

 国内の人気取りはどのように行なったかといえば、政策的なことはともかく政治的には、国内問題にもならない慣習=靖国参拝を公約したのである。
 半分が腑抜けとなってしまった日本国民の『国内世論』を首相自らに集中させるにはもってこいの材料=靖国公式参拝であった。こんな国内問題で中国や朝鮮半島が必要以上に大騒ぎしてくれたおかげで、政局はいつも緊張し、世界政治史においても類を見ないほどの人気を博したのであったと思う。

 元来、小泉元首相にこんなハウツーが有ったわけでもなく、一目散に時代を作るべく駆けている最中に体得した人気獲得のコツだったことには違いない。

 ところで、安倍首相自身、時の小泉政権の中枢にいて、このやり方を学習しなかったとは何とも情けない話しである。・・・・首相自らが決断して蛮勇を奮った様を今風に『メディアの画像』を通じて効果的に発信すれば、国民は首相自らの期待を裏切るほどよく首相の意志を汲み取るものであることを安倍首相は目の当たりにしたのではなかったか。

 かつて末法の世において、親鸞上人はその歎異抄の中でおおせになったのだ、「悪人なをもて成仏す、いわんや善人をや」・・・・と。

 この際、安倍首相は閉じこもり児の呟きが如き発信を国民の前に晒すべきではない。・・・・腹心の部下たちのピンボケ度も度を越していると言わねばならない。こんな記事がニュースにならないように勤めるのがチーム安倍の構成員たる主たる任務であるはずだ。ゆめゆめ過保護の母親の役を演じてはならぬ。

 今年は、年頭から安倍首相の器が計られるのであるが、多少の失言などあっても良いのだから、マスコミの前に自らが立ちはだかり凛とした姿を国民に示すべきだと私などは思います。

 世俗の諺に、「嘘も言っているうちに適えば真実となる」と言うこともあるのだから、最上階に位置するものは、ゆめゆめ下の者に、臆病者の印象を与えてはならないのだ。・・・これ、武士道の神髄なり。

 かの聖徳太子も、いまひとつ愛嬌があったなら、憲法18条目・・・「為政者は 蛮勇を以って善となせ!」と仰せになったかもしれない。