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きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

素晴らしき国語

2005年07月03日 | Weblog
 私が、この片田舎において、この日記を徒然なるままに始めたのは、韓国において歴史教科書抗議運動が巻き起こったのがきっかけであった。
 
 それからというもの、自分なりに一つ一つ、酒を食らいつつ、我が恐妻の迫害に喘ぎながら日々の日記を書き続ってきたものでありますが、よくここまで続いているかと我ながら感心するものであります。
 日本の政治スタンスからすれば、弱者の意見を政策にこよなく反映することを心情とするものであるから、男根所有者の少数意見にも耳を傾けて戴きたいと切に懇願するものであります。
 本音としての冗談はこれ位に致して、本論にはいろう。
 
 今日は、日本語が如何に優れた言語であるかということを自覚しようではないかという話題である。
 日本人であるならば、ユーモアと書けばそれは、少なくとも日本起源の言葉では無いぐらいのことは、生まれて物心ついた途端に本能的に理解できるのであるが、彼の国では、これを幽黙と書くのである。
 これを彼の国の「おりこうさん」達は、これは漢字で表現されているのであるから、中国語であると言い張って決して譲らないのである。
 当方としても「ユーモアと言うは、微笑ましいい冗談のことを言うのである。幽黙という漢字の何処に微笑ましい人間性とか冗談などと言う意味があるのか」とまあ、この様に聞いて見るのだが、彼らに言わせて見れば、漢字で書いてある限り全て中国語であると言い張るのである。
 彼の者達には、外国という概念が存在しないのである。
 とにかく漢字を使って外国語を書けばその時点で中国起源の言葉に成り果てるのである。外国の立場に立てば何と理不尽なことであろうか。
 この様な国の言語からすれば、日本語のフレキシビリティーには目を見張るものがあります。  我々日本人なら、まあ、その良く分からない外国語であっても、一番近い日本語の発音で、とりあえず「ユーモア」と書いておく、その意味については、その場分らなくても、後で説明すればそれでも何とかなると我々日本人は、本能的に納得するのである。
 その際、カタカナを使って表記しておけば良い、ただそれだけで良いというのが日本民族たる者の日本民族たる暗黙の合意である。
 このように、日本語と言うのは、実に、新しいものを受け入れることにおいて、柔軟な言語構造である事はいうに及ばず表記構造も非常に外交的である。
 我々は、日本人として、この言語構造の寛容さに大いなる誇りを持とうではないか。

1 コメント

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Unknown (みんなのプロフィール)
2005-07-03 18:12:17
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