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きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

再生会議は発狂寸前?

2006年12月08日 | Weblog
教員評価に生徒ら参加 再生会議が集中討議(共同通信) - goo ニュース

 現在の教育の何がおかしかったかと言えば、異常なほどに日教組が蔓延ってしまったことに災いの種があったことは否めない。・・・・反省事項として、教員の資質向上を図るという目標を掲げて教育改革にまい進するということには大いに共感するものである。

 しかし、かといって『校長が行う教員評価に保護者、児童、生徒らが参加する外部評価の結果をも反映させる制度導入を盛り込む方向で一致したとは、『何ともお粗末極まりない知恵の結集であることやら』。

 このアホな大衆迎合主義=これを先代の小泉内閣の時にはポピュリズムと称して日本国中のマスコミはこぞって蔑んだのではなかったか?!。・・・・今、それ以上の愚行が正々堂々と市民権を得ようとしていることに気が付かないとしたら、マスメディアは自ら首を吊ったのか?・・・・国費を無駄使いした者が会計検査をする異常さが官制談合を生む温床であるように、教育を受ける側に教師の評価を委ねればそれはもはや『教育』ではなかろう・・・・『再生会議』こそ気違い集団そのものではないのか?!。・・・・どうしてこのようなことを言うかといえば、『ろくでもないPTA』がわが子可愛さの利己主義で学校や教師に非難を浴びせるシステムが出来上がった挙句が現在の『教育荒廃』に繋がった現実認識が出来ない「ばか者をばかりを集めてきて出した結論をもって再生会議の提言もなかろう」・・・・我が日本国の若き命にそれこそ『死ね!』と言っているに等しいと思う。・・・・現在の日本の親は給食費も払わないような連中が闊歩している。・・・そういう連中に教師評価の特権を与へれば教育現場がどのように混乱するか想像することが出来ないのであろうか?。

 私が今更のように感じるのは『超ばかの壁』とは日本国憲法のことであり、『愚民』とはそれを越えられない日本国民のことを言うのだとしみじみと思い知らされるのである。(花の色は移りにけりな いたづらに わが身世にふるながめせし間に!)

 何と痛ましい敗戦であり日本精神の荒廃であったことか。この先独立国日本は地球上に存続できるのか大いに疑わしい。