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きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

ゆとり、教育放棄、日教組、輿石民主副代表

2007年11月13日 | Weblog
【風】「ゆとり」が放棄した「教育」(産経新聞) - goo ニュース

 この『ゆとり教育の推進』なるものがどういう組織によってなされたかといえば、日教組という教職員組合によって国家解体の悪意を持って、手を替え品を替え執拗に継続されて来たのではないでしょうか。
 いまや日本は、インド、シンガポール、中国、韓国、ベトナム、台湾などの後塵を拝するほどに教育の荒廃を招いてしまった。この忌まわしい現実を真摯に見つめることがとても重要だと思います。(いかに自惚れようとも、日本人が優秀などとはとても思えません)・・・・民主党副代表は山梨のサボリーマン教職員の御輿に乗って、党のナンバーツーにまで登り詰めたという。まさに、授業そっちのけで選挙運動に走った山梨県教組の汗の結晶なのだ。

 しかし、高校生になって二桁の足し算、引き算もできない生徒がごろごろしているとは、日本の教育制度も地に落ちたものである。漢字は読めない、アルファベットは書けないでは、選挙にあたって候補者の名前も書けないではではないか。字も書けない者に参政権を行使せよもないもんだ。

 これぞ誠の、日本国憲法を地で行く日本国の有様である。国家は主権放棄、国民は自我の喪失。・・・・行く末は中国共産党あたりの飼いブタに成り下がるのかもしれない。だから、この先老後の年金が貰えるとか貰えないとか心配するだけ無駄なことである。母体たる国家の存続すら危ういのだから。

 国家が国民の教育を放棄し、国民が教育を拒否すれば、日本に明日はない。2~3のうちに死に行く者にとってどうでも良い話かもしれないが、将来を担う若者に適切な教育が行われないとあらば、事は深刻である。

 平成23年度からなどといわず、即刻『ゆとり教育』をどぶに捨てるべきです。