<iframe title="Embed Player" width="100%" height="188px" src="https://embed.acast.com/what-i-love/benwhishaw" scrolling="no" frameBorder="0" style="border:none;overflow:hidden;"></iframe>
2コ前の記事が追記だらけでどうしようもなくなったので、「後半」としてこちらに。舞台監督イアン・リクソンが好きなSong, Film, Writingを聞くシリーズのベン・ウィショーの回から私が聞き取れたところを書いています。
「ガーデン」はポリー自身お気に入りの1998年のアルバム「Is This Desire?」の中のお気に入りの曲であるとイアンさんは聞いています。それが今回「Song」のチョイスで真っ先に頭に浮かんだ曲だったとウィショーさん。「アルバムの曲はピアノによる不思議で不安げなダンスビートが入っては消え、ライブでも聴けるデモバージョンの方はギターなんだけどそれも美しい。ピアノもいいけどもっと弱くシンプルなギターの方は、絵が浮かぶような、言葉で描かれた絵をポリーが語っているようなんだ。」
とここで「ガーデン」の曲。歌詞は此方(本当に美しい歌詞・・・!)
イアンさんも曲の描写に熱い。(「Hm...」と相槌を挟む声はパディントン。笑スミマセン)
「それにこれは2人の男の歌なんだ。」と始まるウィショーさん「10代で初めて聞いた時、耳が『2人の男』という事実に釘付けになった。2人の男がガーデンで出会って、1人が目の前で膝まづいて・・・僕が育ってきたところには・・ゲイやクイアは、そのカルチャーはほとんど存在してなかった。それが不思議なことにポリーの音楽は、僕のそんな部分に語りかけてきた。彼女の音楽の中には特殊な男と女のエネルギーが混じっていると思う。一種の男性的な音楽で、一般化はしたくないけどブルースにインスパイアされている。ヘビーでダークで時にスローでビートが強い。そこへ彼女のエネルギーが、声が(加わり)、その2つの要素の何かが僕の深い部分に語りかけてくる。」
イアンさんも「濃厚な彼女のマスキュリンさとフェミニンさの二重性が、彼女のステージにはその構造体が見えるよね。男性的なブルースに彼女のフォルセットが重なったりピアノを弾いたりの柔らかさが。彼女の男性性と女性性の間を揺れ動く能力はすごい。でも優れた俳優も同じものを備えてると思う。例えば・・・君も・・・マーク・ライアンスも。」
ーと熱弁は続くー
シンプルなコードや子供にもわかる単語で作品を作り上げるのはすごい才能だ、とジョイ・ウィリアムズとポリーを同じステージに乗せてます。ポリーはあんなにスズメのように小柄なのに巨大スタジアムのオーディエンスに轟かせるんだ。」
クスクス笑いながら聞いてたウィショさん「ボロボロに世界に疲れ切って心が抜けたような時、またポリーに戻る。全身麻酔のように。彼女を観る。」
「それってある意味、薬だね。文化の医療戸棚。」とイアンさん。
「そう、演じるということは特殊な行為で、自分を見失うことがある。どの仕事でもそれぞれ別の部分の自分を要求されて、環境は理想的とは言えないことも。方向性が示されないこともあれば、愛情や安全性に欠ける場もある。そしたら、どうしたらいいかわからなくなるものだよ。そこで、自分の愛とは何か、と思い起こさないといけない。そもそも何でやってるんだっけ?と。話した人たちはみんなはっきりとしていた。金や名声を求めて働いているわけじゃなく、何かもっと遥かに大切なもののため。覚えておくことが大切なんだよ。業界的なビジネスの側面にノックアウトされないように。」
イアンさんとウィショーさんの「自分自身に戻るための商業的でないアーティストによる文化作品愛」が盛り上がりました。
人にも個人的な愛する作品をお勧めするウィショーさんですが、嫌がられても「それは人によるので気にしない」そうで。こういう濃厚な作品は毎日常に聴くものではなく、一般的な商業的作品もまた好きで必要だとも。
イアンさんは自称Cultural snob(文化人気取りのキザな奴)として、中高時代に学校でいじめられた経験を大変根に持っているようで、自分の魂の愛する作品を人に拒絶されることをも大変にこだわっていて可笑しい笑。そのへんウィショーさんの方が自分の好みを受け入れない人への執着がない感じが伝わってきて、ウィショーさんを形成した環境を色々と思い巡らせるものがありました。
ウィショーさんのこれまで私が聞いたことのない深い内面を思わせる、良いインタビューでした。
イアンさんの発言部分は私にはちょっと小難しいのもあって書き出しきれずすみません。でも彼は彼で可愛らしい人ですよね。
2コ前の記事が追記だらけでどうしようもなくなったので、「後半」としてこちらに。舞台監督イアン・リクソンが好きなSong, Film, Writingを聞くシリーズのベン・ウィショーの回から私が聞き取れたところを書いています。
「ガーデン」はポリー自身お気に入りの1998年のアルバム「Is This Desire?」の中のお気に入りの曲であるとイアンさんは聞いています。それが今回「Song」のチョイスで真っ先に頭に浮かんだ曲だったとウィショーさん。「アルバムの曲はピアノによる不思議で不安げなダンスビートが入っては消え、ライブでも聴けるデモバージョンの方はギターなんだけどそれも美しい。ピアノもいいけどもっと弱くシンプルなギターの方は、絵が浮かぶような、言葉で描かれた絵をポリーが語っているようなんだ。」
とここで「ガーデン」の曲。歌詞は此方(本当に美しい歌詞・・・!)
イアンさんも曲の描写に熱い。(「Hm...」と相槌を挟む声はパディントン。笑スミマセン)
「それにこれは2人の男の歌なんだ。」と始まるウィショーさん「10代で初めて聞いた時、耳が『2人の男』という事実に釘付けになった。2人の男がガーデンで出会って、1人が目の前で膝まづいて・・・僕が育ってきたところには・・ゲイやクイアは、そのカルチャーはほとんど存在してなかった。それが不思議なことにポリーの音楽は、僕のそんな部分に語りかけてきた。彼女の音楽の中には特殊な男と女のエネルギーが混じっていると思う。一種の男性的な音楽で、一般化はしたくないけどブルースにインスパイアされている。ヘビーでダークで時にスローでビートが強い。そこへ彼女のエネルギーが、声が(加わり)、その2つの要素の何かが僕の深い部分に語りかけてくる。」
イアンさんも「濃厚な彼女のマスキュリンさとフェミニンさの二重性が、彼女のステージにはその構造体が見えるよね。男性的なブルースに彼女のフォルセットが重なったりピアノを弾いたりの柔らかさが。彼女の男性性と女性性の間を揺れ動く能力はすごい。でも優れた俳優も同じものを備えてると思う。例えば・・・君も・・・マーク・ライアンスも。」
ーと熱弁は続くー
シンプルなコードや子供にもわかる単語で作品を作り上げるのはすごい才能だ、とジョイ・ウィリアムズとポリーを同じステージに乗せてます。ポリーはあんなにスズメのように小柄なのに巨大スタジアムのオーディエンスに轟かせるんだ。」
クスクス笑いながら聞いてたウィショさん「ボロボロに世界に疲れ切って心が抜けたような時、またポリーに戻る。全身麻酔のように。彼女を観る。」
「それってある意味、薬だね。文化の医療戸棚。」とイアンさん。
「そう、演じるということは特殊な行為で、自分を見失うことがある。どの仕事でもそれぞれ別の部分の自分を要求されて、環境は理想的とは言えないことも。方向性が示されないこともあれば、愛情や安全性に欠ける場もある。そしたら、どうしたらいいかわからなくなるものだよ。そこで、自分の愛とは何か、と思い起こさないといけない。そもそも何でやってるんだっけ?と。話した人たちはみんなはっきりとしていた。金や名声を求めて働いているわけじゃなく、何かもっと遥かに大切なもののため。覚えておくことが大切なんだよ。業界的なビジネスの側面にノックアウトされないように。」
イアンさんとウィショーさんの「自分自身に戻るための商業的でないアーティストによる文化作品愛」が盛り上がりました。
人にも個人的な愛する作品をお勧めするウィショーさんですが、嫌がられても「それは人によるので気にしない」そうで。こういう濃厚な作品は毎日常に聴くものではなく、一般的な商業的作品もまた好きで必要だとも。
イアンさんは自称Cultural snob(文化人気取りのキザな奴)として、中高時代に学校でいじめられた経験を大変根に持っているようで、自分の魂の愛する作品を人に拒絶されることをも大変にこだわっていて可笑しい笑。そのへんウィショーさんの方が自分の好みを受け入れない人への執着がない感じが伝わってきて、ウィショーさんを形成した環境を色々と思い巡らせるものがありました。
ウィショーさんのこれまで私が聞いたことのない深い内面を思わせる、良いインタビューでした。
イアンさんの発言部分は私にはちょっと小難しいのもあって書き出しきれずすみません。でも彼は彼で可愛らしい人ですよね。