1990年代〜2010年にスターデザイナーだったアレクサンダー・マックイーンのドキュメンタリー映画を観ました。
彼は自殺で亡くなっているので、成功の裏で精神的に破綻していくのを見るのは辛いと思っていたのですが、
キャンペーンでムビチケに当選したので半ば責任感を伴う重い気持ちで映画館へ行ったのですが、
もうほんとに観てよかった!!!と心から思いました。
彼に近かった家族や仕事仲間、そして本人の語りと仕事、プライベートの映像で語られます。
2015年にロンドンのV&Aで入場者数を記録した「マックイーン展」を私も見ており、単なる服を超えた造形美ワールドは服そのものから感じましたが、
そのストーリー性や彼の内面まで解説されたこの映画を見て初めて、彼の表現イコール彼の命なんだと結びついたのでした。
ただの人にはできない、内面を技術で表現すること、しかも絵描きや彫刻家よりも過酷であろう、チームを率いて年に14回ものショーを発表するその重圧感と焦燥・・・
いいですか、ショーで見せるのはただの服じゃなくて、作品です。それを1つのショーで何十体も作る。服、アクセサリー、靴もすくる、ヘアメイクまでのディレクションを含めると、1回のショーで一体どれだけのものをクリエイトするか想像できますでしょうか?
それを1ヶ月に1回以上のペースでこなしていた。
「生き急いだ」
と40歳の若さで自らを死に送ったことを表現した言葉がありますけれど、
若くして成功して10年以上もこんな生活をしたら急がずには創れましょうか?
イヴ・サンローランも映画でオートクチュールとプレタの各年2回ずつ計4回のショーを発表するのに相当消耗していた様子が描かれましたが、
90年代、老舗ブランドが若手の斬新なデザイナーを抜擢し鮮度を保つことを始めました。若手のデザイナーにとってはその契約金で自分自身のコレクションも発表できたり契約自体にそれが盛り込まれることもあって、おいしい話ではありましたが、
結果、手がけるブランド数が増えて仕事も増えるわけです。
先ごろ亡くなった、ファッションの帝王カール・ラガーフェルドも一時は5ブランドのデザインをしていましたが、彼の場合は天才でありながらも自己コントロール力も高かったので、高齢でダイエットに成功したり(その道のプロの使い方がうまかったのでしょうね)ファッション以外の写真活動をしたりの余裕がありました。
しかしマックイーンの場合は成り上りの反逆児としての不安定さが成功すればするほど表れる。
自身も言ってましたが、「みんなは仕事から家に帰ればプライベートがある。僕にはない。」
彼にとって生きてることは創造すること。しかも売れなければならない。話題だけではビジネスは成功しません。
90年代にグッチのデザイナーに抜擢され一躍ファッション界のスターとなったトム・フォードはビジネスセンスもあり、マックイーンをグッチグループの傘下に抱えました。
しかしトム自身が今世紀になって失速してるんですよね。
カールの場合、ヨーロッパの上流階級出身で、モード界はもともと彼の世界なのに比べ、トムはアメリカ人、マックイーンはイギリス労働者階級出身、というあたり、元から富める層に搾取されたのでは・・・というのは私の邪推です。
この映画で一番心に残ったのは「自分の内面を表現する」ことでした。
どんな創作活動もそうですけれど、人として生きること自体が表現活動なのではないかな、と思えました。
偶然にも私も昔デザイナーの部下として働き、そのデザイナーが亡くなりました。私が辞めたきっかけは、そのデザイナーが会社との契約を終えた時に私もリストラされたのが真実なのですが、デザイナーは私が裏切ったと思ったかもしれません。
リストラされたのも事実ですが、その頃自分のキャリアに焦りを感じていて英語が必要とされる海外ブランドをやりたかったのも事実です。
その後別の会社と契約したデザイナーについていった元同僚によると、そのデザイナーも精神的に不安定となり、連絡に返事がなかなかこない期間がたびたびあったとのことで、なにかに(おそらくは仕事に)追い込まれて病んでいたのでは、とそれを聞いた時に思いました。
それからずっとなぜそのデザイナーが亡くなったのか、精神的に病んでしまったのかとわからなかったのが、マックイーンと彼に近かった人の話で分かったような気がします。