これまでケン・ローチ作品は「天使の分け前」を見ただけでした。他の作品も評判が良いながらも見なかったのは、なんとなく暗くて重そう・・・と思って足が向かなかったからですが、予告ではこの新作ものその部類に見えました。
「人を助けることで人は自分の尊厳を保てる」
というメッセージが予告編からは発せられていて、私は正直いうと
「尊厳を失いそうなほど辛い生活を見るのは辛いな」
「お人よしの貧乏人か。人を助けるヒマがあったら自分をどうにかしろよ」
と思ったのですが、他にも何かそれだけではない興味が湧いて映画館に行ったのでした。
結果、この映画を見られてよかったな、と思いました。
シンプルで淡々とした、華やかさはないのに目が離せない、これが良質ということ?
主人公のダニエル・ブレイクは病気で大工の仕事を医者に止められている、
お役所で出会ったシングルマザーと父親の違う2人の子供達、
ダニエルの隣の違法な商売をする若者達、
こう書くと社会の底辺のヤサグレた人たち・・・を思い浮かべるかもしれませんが(少なくとも私はそう思った)皆、そんな環境から早く脱出しようとしている普通の人たちでした。
ダニエルはドクターストップのせいで働きたいけど働けない。なのに審査機関が複数なため、失業手当も病人のための手当ももらえずに収入が途絶えてしまっている。申し立てをするにもオンラインのみの受付で、PCを使ったこともないのに果敢にチャレンジし、それでも給付金が降りるには条件が揃わないという堂々巡り。
こういう複数の機関の横のつながりがないためにアチコチたらい回しにされるというのはイギリスではよくあることで、そういうところを利用して不当に利益を得る人がいるのもまたイギリスです。
しかしダニエルは言われたことを淡々とこなしているのに制度が利用できない。これは彼がドクターストップがかかるまできちんと働き払い続けていた税金が、必要な時だというのに権利のあるはずのお金がもらえないということです。
彼は実直なので、自分に権利があると思う時はキチンと言う。しかし役人はそれを反抗的な態度だと反論し、言い方や声の大きさは全く同じなのにダニエルが悪者にされてしまう・・・
しかし、ここで私がとても気に入っているのは、ダニエルは決して抗議以上のことはしなかったことです。
よくありがちな映画のエピソードだと、カッとなって暴れたり(それくらいフラストレーションのたまる立場に追い込まれてます)するのですが、それはしない。
なぜなら、それをしちゃったら人間の尊厳を放棄することになるからだと思います。
そこのところ重要で、私が映画を見ていていたたまれなくなるのは、主要登場人が怒鳴ったり泣き叫んだりするシーンなのです。あれをやってしまったら犯罪者か患者へ地位が転がり落ちてまともな人間扱いされないではないですか。イギリス映画だと怒れる若者とかアル中の人が、邦画では予告編がそのシーンのアンソロジーだったりもします。
まあ、ダニエルは自制したせいで建物を出てから自己主張することになり、警察を呼ばれてしまうのですが、彼は誰にも暴力を振るってないしずっと自分をコントロールしています。
あとこの映画で好きなことは、シングルマザーの子供達がとても素直で可愛いこと、
彼女がお金がなくて生活用品を盗んだ時、厳しそうな店のマネージャーが見逃してくれたこと(きっと彼自身も生活苦の辛さを知っているんだろうと思います)、
違法売買をする隣のワルそうな若者がダニエルをとても気にかけていること、
などなど、
みんなお金がないというだけで普通の人たちなんです。
それを1時間半でみんなにわかるようにケン・ローチが映画にしてくれたのですね。
ただし個人的に突っ込みどころはありまして、
たとえば若いシングルマザーはお母さんがロンドンにいるのに、貧乏で惨めな生活はお母さんに言えないのはお母さんはそれなりの暮らしをしている人なのか?
ホームレスシェルターに2年いてあてがわれた家があれだった、という設定ですが、日本だったらシングルマザーは低所得でも仕事をして子供とワンルームなどの狭い家に家賃を払って住んでいるのではないでしょうか?無料でシェルターや地方に飛ばされたとは言え、家があてがわれたなら、日本よりもよっぽどマシだと思うのですが。
だから同じシングルマザーの状況だけ見たら、日本の方が政府は何にもしていなくてイギリスはまだかなりマシだと思うんですね。それなのに、映画の公式サイトのコメント欄を見たら、「日本でも近未来の姿だ」ということを書いてる人もいるんです。
あと疑問に思ったのは、やはり公式サイトのトップページに出ている「文部科学省特別選定作品(青年・成人・家庭向き)」という文字。これはなんでしょう???
この映画は官公庁の人にこそ見て欲しいものなのに、いったい誰に何の教育するのに特別選定したというのでしょう。