Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

大切な女の子

2015-01-25 09:05:00 | 異文化
イタリアの少年達にかわいい女の子を紹介して「彼女を叩いてみて?」とお願いした反応についての動画を見ました。日本語の解説記事も。



「叩いてみて」と頼む前に、「彼女のどこが好き?」などとも質問して、世の通説「イタリア男は女性をほめるのが礼儀」が子供の頃から身に付いていることも実証されます。

私の義理の両親はイタリアに住んでいるし、ロンドンの親友はイタリア人と結婚しているので、私はイタリア語できないけれど、イタリア人を何人も見てイタリア人が理想の男性というわけでもないことも知ってます。けどあえて思った!この女性を大切にする(マナーとしてうわべだけでも)文化が日本にも同じようにあったら、私の人生違ってただろうにと。

社会的地位が男性優位なのは西洋も日本も同じだけれど、西洋の場合はレディファーストが礼儀なだけましだと思う。日本は反対に女性が男性をたてると社会的に尊敬される。

こういう文化は、イタリアの少年達のように、子供の頃からまわりの大人を見て学び身に付く。
イタリアはやはりいまひとつ詳しくないのであまり書けないけど、イギリスやニュージーランドもレディ・ファーストなので、イタリア人のように女性を賞賛はしないけれど、男の子が女の子を叩くなんて絶対にありえない。他の子供達と遊ぶようになる2歳くらいからそういうふうに教育されるから。

日本も、私が子供のころとは違ってずいぶん女の子が強くなって大切にされるようになったとは思う。だけど、家の中で母親が男の子を女の子より大切にして、というより、うーん、女の子はちゃんとしつけるのに、男の子は何をしても元気でよろしい、という育て方をまだしていると思うの。例えば、母親は男の子がだだをこねるのは仕方ないとほったらかしているのを私は何度も見ました。

私の育児は最初の5年がロンドンだったので、母親は男の子に厳しくだだをこねないように育て、女の子はお姫様のように育てているのを見ました。その後東京に来てびっくりしたのでした。男の子がだだをこねて母親を殴っても、母親は騒いで回りの迷惑にならないようにとの配慮だと思うのですが、黙って殴れているのです。

日本の社会全体に、男の子は多少乱暴でも仕方ない、という認識があるとしか思えません。小学5年になってもうちの娘は男の子とけんかして殴られたということがありました。それもロンドンではあり得ない。けんかの場合うちの娘も相手の男の子と同様に悪いのだけど、ロンドンではイタリア人の男の子と同じように、男の子が女の子をなぐるなんてあり得ないことだからです。

つまりイギリス文化圏では女の子は全員プリンセス、日本では男の子はお殿様なのです。そういうふうに家庭で扱われるからです。そうすると、イギリス圏の男子と日本の女子は、彼らを一応たてて扱い気を利かすという文化が出来上がるのです。

私が東京の人ごみが嫌いな理由のひとつに、「おっさんがぶつかって来る」というのがあります。絶対に私がよけないとおじさんもよけないのでぶつかるのです。ロンドンならば男性が身を引いてよけるからぶつかりません。イケメンならぶつかってもいいんですけどね。

とまあ、そんなことは表層的なことなのでたいした問題ではない(けど身長が同じくらいのおっさんとぶつかるのは嫌だ)のですが、表層的にでも「たてられる=おおめに見られる」ことを人生長い間に積み重ねられると、能力もないのにやたら自分が重要であると、他人にも自分にも証明したがる人格ができがち。だからイギリスのおばさんや日本のおっさんにはそういう人がいて迷惑(上司の場合)だし端から見たら滑稽ですらあります。


先日、義理の家族が東京に集結した時に、義母の行動から始まり家族の大バトルがあったことは、ブログにも書きました。
その時に思ったのです。
お母さんはお父さんに大切にされ、息子3人もそれを見てお母さんを大切にしてきた=男ばかりの家族で義母は専制君主。女帝も外交では相手国に気を使うので友好国もある。しかし内政は国民が気を使って王様は裸状態。でも国民も成長した今ははだかだとばれてる・・・でも王様は王様だし・・・革命は起きないんだよね。


かわいいイタリアのボーイズ達を見ながら、女性を大切にする文化に生まれたかったなあ、という気持ちもあり、でも私のことだからいい気になって裸の王様になってしまうかもなあ、と半分半分でしょうか。



最後に付け足しますが、蝶よ花よと賞賛されて育ったイタリア人女性は、とってもチャーミングな女性が多い。イギリス圏と違って家庭の母親の地位が高いからなのかな、働いていても家庭的な雰囲気の柔らかい女性を良く見る。キャビン・プレッシャーのキャロリンが、MJNのCEO(代表取締役)じゃなくなるとただの老婦人になってしまうのが嫌なようにイギリスでは女性にも社会的地位が大切なのに、イタリアでは、女性も働くことは働くけど、女性の価値は仕事とは関係ないところにあるような印象を受けます。