昨日のブログに追加したリンク記事に、実はもうひとつ萌えが含まれていましたので、そちらは追加ではなくこちらに書きます。
http://www.windycitymediagroup.com/m/APPredirect.php?AID=48986
↑リンク先の最後のパラグラフ;
クイーンのフレディ・マーキューリーの伝記映画については、ウィショー君が主役に決定後、去年から進行していなかったが、やっと製作が始まると彼が望んでいるのは間違いない。「みんなが希望を持ってるし、みんなが公正なものを作りたいんだと思うよ。」「でも、新しい脚本は、何か(*本や伝記のことだと思います)を基にしてるものではないのがすごく楽しみ。先入観をもたれてないキャラクターを解釈していくのは本当にすばらしいことだもの。」
ふむふむ、これはあくまでもウィショー君の個人的希望的観測とはいえ、初めて聞いた時には、ウィショー君がフレディを演ずるのってどうやって?!と思ってたのが、だんだんと私の脳内ではモンタージュが進行してきていて、記憶の中のフレディの写真の顔がウィショ君になってきているのです。
このフレディ・マーキュリー伝記映画の、これまでの経緯は、
2010年に製作が発表されたあと、しばらく何も起らず
2013年 7月 フレディ役のサーシャ・バロン・コーエン降板
同年 12月 ベン・ウィショーがフレディ役に決定
2014年 5月 監督デクスター・フレッチャー降板
ここまでで、現在新しい監督がまだ発表されていない段階です。
今年3/15付Rolling Stone誌によれば、サーシャの独特な存在感がありすぎて映画を損なうことにクイーンのメンバーは気づいた、とブライアン・メイは説明しています。(クイーンのメンバーとはブライアン自身とロジャーふたりですけれども、きっと彼らのフレディのイメージと違うものになってしまうと思ったのですね。)
また監督の降板は、プロデューサーであるグレアム・キングとの創造的な見解の相違のため、とも。
プロデューサーと監督の間にいろいろあっただけではなく、ベン・ウィショーも脚本に変更を望んだため、その変更にかなりの時間がかかり、徐々にキングはフレッチャーを遠ざけることとなった、と数名が言っていると広報は語ったと。
こうした諸処事情を読んでの私の解釈は、まず映画製作スタッフとクイーンの意見が合わなかった。クイーンとしてはクイーン伝説を守りたいだろうし、現実と違うことをフィクションを盛り上げるために盛込まれたくなかった。そしてサーシャはクイーンメンバーのフレディ像とは違っていた。たぶん彼の過去の役柄イメージが映画に与える影響も憂慮したのではないか。私は正直言って心配でした。「ボラト」「ブルーノ」のイメージを観客にかぶせられるのは。脚本に対してはおそらくクイーンは「これは事実ではない」と削除して欲しい部分を申し入れたはず。そこへ新しい主役俳優までが、脚本に口を出して来た。監督は強いバンドと俳優を受入れるプロデューサーに愛想が尽きてやめてしまった・・・・
脚本家さんは柔軟なようだし、ウィショー君も意見はしても仕切るような器ではないから、要するにブライアンが守りたいクイーン&フレディ像を受入れて、なおかつクリエイティヴな映画を作れる監督が見つかるかにかかっているのではないでしょうか。
私はこのフレディにウィショー君の顔をあてはめたい・・・・
http://www.windycitymediagroup.com/m/APPredirect.php?AID=48986
↑リンク先の最後のパラグラフ;
クイーンのフレディ・マーキューリーの伝記映画については、ウィショー君が主役に決定後、去年から進行していなかったが、やっと製作が始まると彼が望んでいるのは間違いない。「みんなが希望を持ってるし、みんなが公正なものを作りたいんだと思うよ。」「でも、新しい脚本は、何か(*本や伝記のことだと思います)を基にしてるものではないのがすごく楽しみ。先入観をもたれてないキャラクターを解釈していくのは本当にすばらしいことだもの。」
ふむふむ、これはあくまでもウィショー君の個人的希望的観測とはいえ、初めて聞いた時には、ウィショー君がフレディを演ずるのってどうやって?!と思ってたのが、だんだんと私の脳内ではモンタージュが進行してきていて、記憶の中のフレディの写真の顔がウィショ君になってきているのです。
このフレディ・マーキュリー伝記映画の、これまでの経緯は、
2010年に製作が発表されたあと、しばらく何も起らず
2013年 7月 フレディ役のサーシャ・バロン・コーエン降板
同年 12月 ベン・ウィショーがフレディ役に決定
2014年 5月 監督デクスター・フレッチャー降板
ここまでで、現在新しい監督がまだ発表されていない段階です。
今年3/15付Rolling Stone誌によれば、サーシャの独特な存在感がありすぎて映画を損なうことにクイーンのメンバーは気づいた、とブライアン・メイは説明しています。(クイーンのメンバーとはブライアン自身とロジャーふたりですけれども、きっと彼らのフレディのイメージと違うものになってしまうと思ったのですね。)
また監督の降板は、プロデューサーであるグレアム・キングとの創造的な見解の相違のため、とも。
プロデューサーと監督の間にいろいろあっただけではなく、ベン・ウィショーも脚本に変更を望んだため、その変更にかなりの時間がかかり、徐々にキングはフレッチャーを遠ざけることとなった、と数名が言っていると広報は語ったと。
こうした諸処事情を読んでの私の解釈は、まず映画製作スタッフとクイーンの意見が合わなかった。クイーンとしてはクイーン伝説を守りたいだろうし、現実と違うことをフィクションを盛り上げるために盛込まれたくなかった。そしてサーシャはクイーンメンバーのフレディ像とは違っていた。たぶん彼の過去の役柄イメージが映画に与える影響も憂慮したのではないか。私は正直言って心配でした。「ボラト」「ブルーノ」のイメージを観客にかぶせられるのは。脚本に対してはおそらくクイーンは「これは事実ではない」と削除して欲しい部分を申し入れたはず。そこへ新しい主役俳優までが、脚本に口を出して来た。監督は強いバンドと俳優を受入れるプロデューサーに愛想が尽きてやめてしまった・・・・
脚本家さんは柔軟なようだし、ウィショー君も意見はしても仕切るような器ではないから、要するにブライアンが守りたいクイーン&フレディ像を受入れて、なおかつクリエイティヴな映画を作れる監督が見つかるかにかかっているのではないでしょうか。
私はこのフレディにウィショー君の顔をあてはめたい・・・・