ナショナル・シアター・ライヴが「フランケンシュタイン」で始まった時には、見ないであろうと思っていた「リア王」を見ました。改心の理由はふたつ。王室ものということ以外に期待してなかった「オーディエンス」が逸秀だったので欲が出て来たのと、ベネディクトの「ハムレット」でにわかにシェイクスピアへの興味が湧いたからです。
シェイクスピア戯曲は読むのが間に合わなかったので、あらすじの予習に『こんなに面白かった「シェイクスピア」(PHP文庫)』河合祥一郎 監修、鑑賞の参考にはNHKカルチャーラジオのテキスト「生誕450年 シェークスピアと名優たち」前沢浩子、を読みました。
古典なので、「王様に3人娘がいて、意地悪な上の2人にはだまされて財産をとられ虐められ、正直者の末娘に助けられました。めでたし、めでたし。」という子供向けにハッピーエンドに改められた話は読んだ覚えはありました。がしかし、シェイクスピアの4大悲劇のひとつですから、まあ、血は出る、人は死ぬ・・・(ナショナル・シアター・ライブ日本版ラインナップは6タイトルありますが、血みどろにならないのは「オーディエンス」のみで、これから来る「ハムレット」と「オセロ」も血は間逃れないでありましょう。)
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Telegraphより
あらすじ:ネタばれ注意!
引退を決意したブリトンのリア王は、口の巧い長女と次女に国土を2分して譲るも、認知症のため疎まれ追い出される。3女は巧いお世辞を言わなかったので無一文でフランスに嫁に出してしまったので頼れない。一方、家臣のグロスターには嫡子の長男と庶子の次男がいて、野心家の次男は父をだまして長男を勘当させる。次男はリア王の長女と次女にそれぞれ取り入り出世を虎視眈々と計る。荒野でボロボロに放浪するリア王は、リアに味方したため長女&次女達に目を潰されたグロスターとその長男エドガーに出会い、フランス軍を引き連れた末娘に助けられる。リア王の末娘とグロスターの長男は、最後には父達の誤解もとけ、リア王の長女&次女と、グロスターの次男の陰謀は暴かれたのはいいが・・・老いた父達は力尽きて死ぬし、若者達も自殺したり殺し合ったりみんな死んでしまう・・・エドガーだけ残して。
この話、老いた親達と次の世代の成人した子供達の家庭の争いですよね。こんなことは言いたくないけど、私の友人にも思い当たります。お姉さんや妹と親の世話や相続をめぐって大ケンカになった話が。私は親をめぐって兄弟喧嘩はしたことないけど、親がいつまでたっても私に説教するのは勘弁してもらいたいし、私の弟は私よりも「老人の言うことは腹が立つ。老いては子に従え。」って尊敬のかけらもないです。それくらい親は子供が成人しても親の威厳を振りかざすのをやめられない(というかそれ以外の子供への接し方がわからないのかも)のは、リア王と同じです。
ところで、エドガーだけがなぜ最後に生き残るのか。
ほぼ全員死ぬ、という暗い重い結末だけど、ヘラヘラとエドガーが立っているのが私には妙に救いに感じました。リア王の末娘も善人キャラだけど、冒頭で王に「ワシに賛美の言葉を述べよ」と命じられても頑に拒否しました。シェイクスピアの台詞は理屈に理屈を重ねて進んで行くことが多いけど、それでも末娘が「父を愛しているから美しい言葉にすると逆に噓となる(とかなんとか)」と言った時には、なんて頑固者なんだ!と思いました。自分の正しさにこだわって愛する父を怒らせるとは、怒鳴り散らす父に似ているとさえ。それに比べてエドガーは、弟に謀られて父に勘当されてもひょうひょうと変装して父やリア王の近くにいて、皆死んだ後にも残る。
あらすじには書かなかったんですが、リア王は道化を雇っていたけど、放浪の途中、道化は殺されるんです。これにはビックリ。なんとなく道化は半分妖精のような人間じゃない存在に感じていたのに。この道化はリア王に「知恵がつく前に年とっちゃダメ」と説教もするし。そして人間のはずが、貴族の嫡子で長男のエドガーは、誤解されて勘当されても怒るでもなく、貴公子なのに浮浪者のフリをして、おどけてさえいるんです。生きる執念とかは見せないのだけど、父や父の主人を助け、最後に悲劇を見届ける・・・道化にとって変わってしまったようでした。道化は口上を述べて、客観的に物語を見て参加はしません。だから生き残ったのかなあ。争いに参加したらたとえ善人でも同レベルの愚かな存在になってしまうよ、ということなんだろうか。
このエドガー役は、シャーロック03でビリー役のTom Brookeです。
あと次女役のAnna Maxwell Martin、ファニー・フェイスで見たことあると思ったら、まかぼい君が超かわいかった「ジェイン・オースティン 秘められた恋」にジェインの姉役で出てました。
演出のサム・メンデスは、「007スカイフォール」と、これも好きな「アメリカン・ビューティー」の監督もしてました。(そうだったのか・・・)
2002年までドンマー・ウエアハウスの芸術監督だったそうです。おお、「コリオレイナス」の劇場でしたね。
彼がキャリアを始めたのが、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーとチチェスター・フェスティバル劇場での演出だそうですが、チチェスターって、先日ブログに書いた「ショーン・エヴァンズが令嬢ジュリー/ブラック・コメディを演じた」劇場です。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーと並ぶ由緒ある劇場とは、ガラにトム・ストッパードが来ていた写真を見た時からうすうすは感じてましたが、やっぱりすごい所なんですね。(やったー!ショーン!)それもそのはず、そこの初代の芸術監督はローレンス・オリヴィエでThe National Theatre Companyは最初チチェスターで結成され、上映作品はロンドンのオールド・ヴィック・シアターに移って上演されるんですって。以上サム・メンデスに関してはウィキからです。色々とつながって勉強になりました!
シェイクスピア戯曲は読むのが間に合わなかったので、あらすじの予習に『こんなに面白かった「シェイクスピア」(PHP文庫)』河合祥一郎 監修、鑑賞の参考にはNHKカルチャーラジオのテキスト「生誕450年 シェークスピアと名優たち」前沢浩子、を読みました。
古典なので、「王様に3人娘がいて、意地悪な上の2人にはだまされて財産をとられ虐められ、正直者の末娘に助けられました。めでたし、めでたし。」という子供向けにハッピーエンドに改められた話は読んだ覚えはありました。がしかし、シェイクスピアの4大悲劇のひとつですから、まあ、血は出る、人は死ぬ・・・(ナショナル・シアター・ライブ日本版ラインナップは6タイトルありますが、血みどろにならないのは「オーディエンス」のみで、これから来る「ハムレット」と「オセロ」も血は間逃れないでありましょう。)
<script height="315px" width="560px" src="http://player.ooyala.com/iframe.js#pbid=7dfd98005dba40baacc82277f292e522&ec=Vjdzk1bjqL36tCZVtV0rIJIMKaJSsEl8"></script>
Telegraphより
あらすじ:ネタばれ注意!
引退を決意したブリトンのリア王は、口の巧い長女と次女に国土を2分して譲るも、認知症のため疎まれ追い出される。3女は巧いお世辞を言わなかったので無一文でフランスに嫁に出してしまったので頼れない。一方、家臣のグロスターには嫡子の長男と庶子の次男がいて、野心家の次男は父をだまして長男を勘当させる。次男はリア王の長女と次女にそれぞれ取り入り出世を虎視眈々と計る。荒野でボロボロに放浪するリア王は、リアに味方したため長女&次女達に目を潰されたグロスターとその長男エドガーに出会い、フランス軍を引き連れた末娘に助けられる。リア王の末娘とグロスターの長男は、最後には父達の誤解もとけ、リア王の長女&次女と、グロスターの次男の陰謀は暴かれたのはいいが・・・老いた父達は力尽きて死ぬし、若者達も自殺したり殺し合ったりみんな死んでしまう・・・エドガーだけ残して。
この話、老いた親達と次の世代の成人した子供達の家庭の争いですよね。こんなことは言いたくないけど、私の友人にも思い当たります。お姉さんや妹と親の世話や相続をめぐって大ケンカになった話が。私は親をめぐって兄弟喧嘩はしたことないけど、親がいつまでたっても私に説教するのは勘弁してもらいたいし、私の弟は私よりも「老人の言うことは腹が立つ。老いては子に従え。」って尊敬のかけらもないです。それくらい親は子供が成人しても親の威厳を振りかざすのをやめられない(というかそれ以外の子供への接し方がわからないのかも)のは、リア王と同じです。
ところで、エドガーだけがなぜ最後に生き残るのか。
ほぼ全員死ぬ、という暗い重い結末だけど、ヘラヘラとエドガーが立っているのが私には妙に救いに感じました。リア王の末娘も善人キャラだけど、冒頭で王に「ワシに賛美の言葉を述べよ」と命じられても頑に拒否しました。シェイクスピアの台詞は理屈に理屈を重ねて進んで行くことが多いけど、それでも末娘が「父を愛しているから美しい言葉にすると逆に噓となる(とかなんとか)」と言った時には、なんて頑固者なんだ!と思いました。自分の正しさにこだわって愛する父を怒らせるとは、怒鳴り散らす父に似ているとさえ。それに比べてエドガーは、弟に謀られて父に勘当されてもひょうひょうと変装して父やリア王の近くにいて、皆死んだ後にも残る。
あらすじには書かなかったんですが、リア王は道化を雇っていたけど、放浪の途中、道化は殺されるんです。これにはビックリ。なんとなく道化は半分妖精のような人間じゃない存在に感じていたのに。この道化はリア王に「知恵がつく前に年とっちゃダメ」と説教もするし。そして人間のはずが、貴族の嫡子で長男のエドガーは、誤解されて勘当されても怒るでもなく、貴公子なのに浮浪者のフリをして、おどけてさえいるんです。生きる執念とかは見せないのだけど、父や父の主人を助け、最後に悲劇を見届ける・・・道化にとって変わってしまったようでした。道化は口上を述べて、客観的に物語を見て参加はしません。だから生き残ったのかなあ。争いに参加したらたとえ善人でも同レベルの愚かな存在になってしまうよ、ということなんだろうか。
このエドガー役は、シャーロック03でビリー役のTom Brookeです。
あと次女役のAnna Maxwell Martin、ファニー・フェイスで見たことあると思ったら、まかぼい君が超かわいかった「ジェイン・オースティン 秘められた恋」にジェインの姉役で出てました。
演出のサム・メンデスは、「007スカイフォール」と、これも好きな「アメリカン・ビューティー」の監督もしてました。(そうだったのか・・・)
2002年までドンマー・ウエアハウスの芸術監督だったそうです。おお、「コリオレイナス」の劇場でしたね。
彼がキャリアを始めたのが、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーとチチェスター・フェスティバル劇場での演出だそうですが、チチェスターって、先日ブログに書いた「ショーン・エヴァンズが令嬢ジュリー/ブラック・コメディを演じた」劇場です。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーと並ぶ由緒ある劇場とは、ガラにトム・ストッパードが来ていた写真を見た時からうすうすは感じてましたが、やっぱりすごい所なんですね。(やったー!ショーン!)それもそのはず、そこの初代の芸術監督はローレンス・オリヴィエでThe National Theatre Companyは最初チチェスターで結成され、上映作品はロンドンのオールド・ヴィック・シアターに移って上演されるんですって。以上サム・メンデスに関してはウィキからです。色々とつながって勉強になりました!