Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

コペンハーゲンの母はレディ

2013-06-27 14:22:00 | その他の映画・ドラマ・舞台
キャビン・プレッシャーとTTSSに出て来た詩のことを調べてたら、

詩の登場人物=フランス海軍提督とその息子

ナポレオン戦争の歴史

その一連の戦争のひとつ「コペンハーゲンの戦い」

Warhorses of Letters



今ココです。今「いま」とタイプするつもりが一度「うま」と打ってしまいましたw
「Warhorses of Letters」とはいつもコメントくださるhedgehogさんに教えてもらったラジオドラマです。ナポレオン好きの私は、ニンジンを吊るされた馬のように飛びつきました。簡単に言うと敵同士のコマンダーの馬同士の愛の書簡集です。ドラマはシリーズ2まで発表されていますが、CDはシリーズ1しか出ていないので、私の知っているドラマの中ではまだ2頭は会ったこともなく、遠距離恋愛なのです。(コペンハーゲンがマレンゴの肖像画を見て文通が始まった。)

馬1=コペンハーゲン・・・持ち主はイギリス軍ウェリントン公爵
馬2=マレンゴ・・・持ち主はフランス軍ナポレオン

CPと同じで全部聞き取れなくても面白かったです。でも詩のブログ記事書いた時に湧き出た推測「コペンハーゲンの名前はイギリス軍が大勝した戦いに因んでいるのか」を確認したくてドラマを聞き直して、びっくり。

最初の自己紹介のところに名前の由来ででてきてたのですが、実は細部がわかってなかったのです。正しくは、「My name is Copenhagen because I am out of Lady Catherine who was in foal with me at the Battle of Copenhagen, ....」で、「僕の名前はコペンハーゲンです。レディ・キャサリンから、コペンハーゲンの戦いの時に産まれたからです・・・」私ってば「foal=雌馬が子馬を産む」という単語を「fall」と思い込み、キャサリンという貴族のお嬢さんが落馬したのでその馬をウィリントンにあげてしまったのかと思ってたらレディ・キャサリンは母馬の名前だったんですよね!

Wikiを見ると、当たり前ですが2頭の人(馬)生が色々書いてあり、特にコペンハーゲンの項目は英語サイトの方に事細かくでています。いかにイギリス人がナポレオンを破ったことを誇りに思い、司令官とその馬まで愛したかの表れだと思います。私もまだ全部を読んでいないのですが、2頭の晩年~死後の部分が感動すぎて、このブログを書いています。その部分とは・・・

マレンゴは、「1815年のワーテルローの戦いでナポレオンが破れると戦利品としてイギリスに連れて来られた。現在、骨格がイギリスの国立陸軍博物館に収蔵されている。」・・・なんとその生涯を敵国イギリスで終えた?!

一方コペンハーゲンは、日本語では書いてないので英語を抜粋すると、「公爵は戦後もパレードや式典の折に乗った。コペンハーゲンは注目されるのが好きで、手にキスしてきたり、リンゴをこの上なく優雅に食べたと言われる。死因はケーキ、バースバンズ、チョコクリームなど美食に耽り糖分の取り過ぎだったとも言われるが主に老衰であろう。領地内で軍葬の礼とともに埋葬が公爵に見届けられた。後にthe United Services Museumから、マレンゴと並べて骨格を展示・公表できるよう亡骸を発掘して欲しいと要請されるが、公爵は断った。」

・・・・・!!!
公爵がなぜ断ったのかは「どこに埋葬されたかわからない」などと嘘の言い訳までしていて明らかになっていませんが、もし実現していたら、国立陸軍博物館で、仲良く並んだ恋(馬)人同士の2頭の骨格が見られたんだ?!世紀の恋の成就じゃないですか?!

このくだりを知って、「Warhorses of Letters」の著者が、この物語を書きたくなった気持ちがとても良くわかる気がしたのです。マレンゴだけでもいい、次回ロンドンへ行ったら陸軍博物館へ会いに行くぞーー!

そして、ドラマのシリーズ2もCD出ないかなあ!
とりあえずこの本は買ってみたが・・・





*さらに余談

コペンハーゲンが戦争の名前なら、ロンドンの駅「ウォータールー」もそうなのか?と思って調べたら、やはりそうでした。でも駅名より先に、ワーテルローの戦いの勝利を記念して建設されたデムズ川に架かる橋「ウォータールー橋」が先にあり、その橋の最寄りに出来た駅に同じ名前がつけられたのです。

皮肉なことに、セント・パンクラス駅までユーロスターの線路が伸びるまで、ウォータールー駅は鉄道による大陸への発着駅でした。ですからフランスからユーロスターに乗ってイギリスに到着すると、フランス人にとっては屈辱の戦いの名前の駅に出迎えられたというわけですね。