自転車おやじのカリフォルニアゴールデン日記

ゴールデンレトリバーのジュリーのblogから、ロードバイクのブログへと衣替え。トライアスロンとサーフィンについても少し。

放課後の暗闇ライド

2017-11-29 08:09:30 | サイクリング
毎週火曜日の放課後ライドも、11月の初めにサマータイムが終了してから、真っ暗な中でのスタートとなっています。


さすがに人数も減って来ましたね。





この写真を撮った後、少し人数が増えてトータルで40人弱というところでしょうか。


この2~3カ月間、このライドを主催する私の友人が、毎回ゲストを招待しています。ゲストは、バイクショップのオーナーであったり、サイクリングサプリメントの会社の人だったり、バイクフィッターだったりします。


きのうのゲストは、サイクリング事故専門の弁護士事務所の人です。






ライドの前に、5分間程スピーチをしてもらい、事務所と業務内容の紹介、そしてサイクリング事故が起こった時にどうすれば良いか、などの説明を聞きます。彼のアドバイスとしては、


- 事故が起こったら、とにかく路肩に移動すること。ケガをしていても絶対に路上にいてはいけない。
- 目撃者が居たら、必ず名前と電話番号を聞くこと。
- バイクコンピュータのデータは必ず取っておくこと。事故発生時間等の詳しい情報が残っているから。
- ケガの程度が軽くても、絶対に自転車に乗って帰ってはいけない。脳震盪の可能性があるから。
- アメリカのドライバーの12%は保険に入っていない。Uninsured Mortalistの保険に入っておくことが必須。


といったことでした。特に最後の、保険未加入の割合12%というのは衝撃的でしたね。アメリカには、日本と違って車検制度がありません。だから、自動車の所有者に保険に強制可能させることが不可能なのです。もちろん、車を購入するためには、保険に加入することが必要なのですが、車を買ってさえしまえば、保険を解約することなんて、簡単ですからね。


本当に事故には気を付けなければ... 最近は昼間でも、ヘッドライト、テールライト点灯で頑張っています。


中間地点の丘の上で、再集合。





これから寒くなっても、この放課後ライドは休まず続けたいと思っています。



さて、うちのやんちゃ娘。ものすごく、いたずら好きで、我々を困らせることが多いですが、抱っこされるのは大好きみたいです。





この時だけは、ちょっと女の子らしく、しおらしくなります。


普段から、もうちょっと女の子らしくしてもらわないとな、Haru。


では。



生まれ育った街でのライドは最高

2017-11-23 14:56:16 | サイクリング
沖縄からのフライトの到着は、大阪伊丹空港です。伊丹空港から15分程度で、私が生まれ育った大阪府箕面市に到着です。箕面市は、大阪の中心部から北へ電車で45分くらいの場所に位置し、街の北側には山が広がっています。この山を越えて、車で30~40分走ると、京都府の亀岡市まで抜けれます。


私が育った頃は、箕面は相当な田舎でした。高校では、「お前、箕面からはるばる来てるんか。猿と一緒に住んでんのか?」とよくバカにされました。当時、箕面は野生の猿が生息する場所として有名だったからです。


その箕面市も、私が家を出た頃からどんどん開発が進み、今では芸能人が数多く住む、大阪では有数の高級住宅街となってしまったようです。私の実家があるあたりは、相変わらずの田舎ですが。


そしてこの箕面、自転車乗りの間ではヒルクライムの聖地とみなされているようで、山の麓にはいくつかの有名なバイクショップがあるようです。


というわけで、この箕面に滞在し、自転車もあるならば、このヒルクライムの聖地を攻めない理由はありません。沖縄でパッキングした自転車を再び組み立て、箕面の山を攻めることにしました。





自宅から出発し、阪急電鉄箕面駅を通り過ぎ、府道43号線を箕面の滝の方へ登って行きます。そして、最初の目的地の勝尾寺に到着。





私が小学生の頃に、よく遠足で来た場所です。少し小奇麗にはなっていましたが、あまり変わっておらず、ほっとしました。その後、少し山の奥まで行って、引き返します。この日のルートはこんな感じ。





箕面駅から、勝尾寺までの登りは、なかなかいい登りでしたが、ちょっと距離が短かったですね。トータルで7.2kmくらい。せめて15kmくらいは欲しかったですね。ちょっと「ヒルクライムの聖地」という感じではないかな、と思いました。


翌日は別のルートで箕面の山に登り、池田市の方へ抜けて帰って来ました。ちょうど紅葉シーズンだったので、お山がとても綺麗でした。





池田市の五月山から、池田、川西、伊丹方面を眺めます。





この道は何回か車で走りましたが、こうやって止まって景色を眺める機会はありませんでした。こんな風に、止まりたい所で止まって景色を眺めれるというのは、やはり自転車の醍醐味ですね。


2日間、子供の頃の事を思い出しながら、地元の山を自転車で走るというのは、すごく貴重な経験でした。また自転車を持って帰る機会があれば、是非とも箕面、池田の山をもう一度めぐりたいですね。


というわけで、今回の日本帰国は、沖縄でも箕面でも自転車に乗れて、かなり充実した帰国となりました。



アメリカは、今日はThanksgiving Dayの祝日です。11月の終わりも近いというのに、気温は30℃以上あります。Haruは暑い真昼間に長距離散歩をしたので、ちょっとバテ気味。





ターキーを食べる頃には、スヤスヤ眠りに付いていてくれるでしょうかね。その頃には、また元気が復活してそうですが。


では。





ツールド沖縄撃沈記3

2017-11-22 22:55:08 | サイクリング
レース後は、失意の中、自転車をパッキングし、レース会場でANAの特設バイク預かり所で自転車を預けます。ANAはオフィシャルスポンサーなので、この辺りはとても気の利いた対応をしてくれます。空港へはANAが自転車をまとめて運んでくれるので、レース参加者は自転車をえっちらおっちら運ぶ手間が省けます。


自転車を預けた後は、宿泊先の那覇に向かいます。当初は、ゴール地点に近いホテルを予約していたのですが、那覇に拠点を構えるGeorgeさんが、「うちに泊まって、那覇の宴会に乱入しよう」と言って下さったので、お言葉に甘えることにしました。


那覇では、私は全く知らないグループの人達の宴会に飛び入り参加させてもらったのですが、やっぱり自転車仲間ですね。すぐに意気投合し、仲間に入れて頂きました。





このような宴会を2件はしごしましたが、10時くらいには意識が朦朧として来ました。睡眠不足で4時半起き、そして過酷なレースの後にお酒を飲むとこういうことになることは、予想済み。飲み会でも完全撃沈でした。てなわけで、先に失礼し、タクシーでGeorgeさん宅に帰り、1人で爆睡してしまいました。210kmや女子国際ロードレースで上位に入った人達は、夜中2時過ぎまで飲んでいたといいますから、つくづく体力の違いを感じさせられました。


翌日のフライトは、伊丹への最終便。夕方まで時間があったので、少々沖縄観光を楽しむことにしました。まず行ったのが、沖縄が琉球王国であった頃のお城である首里城。説明を読むまで、沖縄が琉球王国という独立国家であったことさえ忘れていました。





歴史が好きな私には、色んな興味深い展示がされていて、じっくり時間をかけて見たかったのですが、そうは行きません。駆け足で首里城を見学し、次へ向かいます。次に訪れたのは、首里城と共に世界遺産に指定された「斎場御嶽(せいふぁうたき)」です。ここで、思いもかけず、この3日間ルームメートであった、Nさん、Uさんと再び遭遇。





もちろん、みんなで記念撮影。この日も再び出会うとは何か縁を感じます。ちなみに、Nさんは140kmレースを100位ちょっとで完走。Uさんも100kmを62位と言う素晴らしい成績で完走です。次回(があれば)は、お2人に負けないように私も頑張ろうと誓いました。


この後は、Georgeさんおススメの沖縄ソバの店を目指します。そして到着したのがココ。





南城市にある、「くなんとぅ」というお店です。ここは、「もずくそば」が超有名だそうです。ワクワクしながら待ち、出て来たのがコレです。





麺にもずくを練り込んだ特製沖縄そばです。はっきり言って、この「もずくそば」、無茶苦茶美味しかったです。間違いなく、沖縄で食べた食べ物の中で最高、ひょっとしたら、今回の日本帰国で食べた物の中で一番美味しかったのではないかと思います。もしも沖縄に行かれる方がおられましたら、是非試してみて下さい。麺、具のもずく、スープとも10点満点中10点でした。Georgeさん、この店をご紹介頂き、本当に有難うございました。


その後は、Georgeさんの部室に再び立ち寄り、空港まで送って頂きました。Georgeさん、今回は本当にお世話になりました。感謝、感謝です。


ということで、私の「ツールド沖縄撃沈記」はこれで終了です。次回があるかどうかは分かりませんが、気を取り直して、これからも精進に励みたいと思います。



Haruはと言うと、そろそろ避妊手術をする時期が近づいて来ました。





Tomの所にお願いするので、ちょちょいのちょいで終わると思います。何も知らないHaruは、今日もやんちゃにワンワン、ワンワン。トレーニングも本格的にドッグトレーナーについてしなければと考えている今日この頃です。


では。







ツールド沖縄撃沈記2

2017-11-21 21:13:24 | サイクリング
ツールド沖縄レースレポートVol.2です。


レース前日に「普久川ダムの登り」を試走した後は、レースのレジストレーションのために、ゴール地点となる大会のメイン会場に向かいます。ここでは、バイクメーカーやサイクリングサプリメントの会社等がブースを出していて、レース前にバイクのチェックをしてもらう人や、最後に補給食を確保しようとするう人でごった返していました。





私が立ち寄ったのは、日本が誇るホイールメーカーの"Gokiso"のブース。色々話を聞きましたが、やはりここのホイールは、本当に回転性能がすごいようですね。重量は少し重いみたいですが、周り始めた後の回転性能は断トツのようです。ちなみに、今年の210kmの優勝者も140kmの優勝者も、ホイールはGokisoだそうです。ただし、値段もびっくり。ホイールセットだけで、軽乗用車が帰る位の値段です。ちょっと手が出ないですね。


Gokisoの会長も自らブースでセールス。会長の説得力のあるセールストークで、ますますこのホイールが欲しくなってしまいました。





残念ながら、現在のところ、Gokisoホイールはアメリカでは手に入りません。アメリカでの販売が開始された暁には、ちょっと検討して見ますかね。もちろん、かあさんには内緒で。


一通り、ブースを見学した後は、レンタカーを名護漁港の駐車場に置き、レース参加者専用のバスで宿泊先に戻ります。レースのスタート地点とゴール地点が30kmも離れていると、このようにちょっと不便ですね。


ホテルに戻った後は、Nさん、Uさんと一緒に食事を取り、お風呂、サウナに入って、10時頃には就寝です。でも、時差ボケのある私は中々寝付けません。結局、4時間ほど寝たら、起床時間の4時半になり、目が覚めました。


朝食は食べ過ぎないようにしながらも、ある程度お腹一杯に食べました。そして、7時前にはホテルからスタート地点まで自走で向かいます。スタート地点に着くと、もう100台くらいの自転車が場所取りのために並べられていました。





いや~、どれもこれもすごい自転車ばかり。ざっと見た感じで100万円以上する自転車がゴロゴロしていました。さすが気合入っていますね。


ここから、レース開始までの待ちが長かった、2時間以上ありました。Nさんと雑談したり、軽量化をはかったりしているうちに、スタート地点に並んで下さいというアナウンス。400人のライダーが集まると、こんな感じです。ポジション的には、ちょうど真ん中くらいのスタート位置でしょうか。








210kmレース参加者を先に通過させて、9:20にレース開始。400人強のライダーが、2車線の道路を一杯に使って進みます。ペース的には相当速かったと思いますが、集団の中にいると、あまりそうは感じません。スピードが少し遅くなるたびに、みんな何かを叫びます。最初は、何と言っているのかよく分かりませんでした。何度か聞いているうちに、「ブレーキ!」と言っていることに気付きました。何せ、日本で集団走行するのは初めてなもんで。


10分ほど走った後、1回目の「普久川ダムの登り」に入ります。ここは、前日試走した箇所ですが、スピードが全然違います。Georgeさんに、「普久川ダムの登り」では必死で頑張って、何とか先頭集団に食いついて行った方がいいとアドバイスを受けていたのですが、そう簡単ではありません。多分、第3集団くらいで登っていたのではないでしょうか。ここで、早くも悪い兆候が表れて来ました。心拍数がすでに170bpmくらいになっていたのです。これは、私にとっては比較的高い数値です。レースの序盤でこのような心拍数になるのは、良くない兆候です。


20分少し走り、登りを終え、その後は比較的短い下りです。下り終わった後は、ひたすらアップ、ダウンの繰り返しです。そして、次の「奥の登り」を通過した後は、少しの間平坦な道が続きます。この時点では、比較的調子が良く、ローテーションで順番が来ると、ちゃんと先頭も引きました。今から考えると、この時点ではまだ第3グループにいたと思います。それほど苦しくもなく、順調に2回目の「普久川ダムの登り」に入ります。でも、後から考えると、この時点でかなり脚が疲れていたのではないかと思います。


そして登りの2/3くらいの箇所に差しかかった頃、私の脚に悪い兆候が表れます。あの「攣りそうな」感じです。この兆候が出てから、脚が攣るまではあっと言う間でした。そして、攣った方の脚をかばってペダリングしていると、反対側の脚が攣り始めました。もう、この時点で、完全に集団から脱落です。何とかだまし、だまし、2回目の「普久川ダムの登り」を終えます。


実は、脚攣り対策として、前日から脚攣り防止のサプリメントは2種類飲んでいたし、脚が攣りそうになった後は、脚攣り防止スプレーを口にシュッ、シュッとやります。でも、これらの対策は、ほとんど効果がありませんでした。もともと脚は攣りやすい体質ですが、こんなに早く脚が攣るとは全く予想していませんでした。


この登りの後も、休める箇所はなかなかありません。ほとんど、短いアップ、ダウンの繰り返しです。一度攣ってしまった脚は、このようなコースで回復しようがありません。登りにさしかかるたびに、脚が攣り、ひどい時は両足とも攣りました。そして、下りの途中でさえ、脚が攣ってしまい、ペダルが回せなくなります。


この頃から、「完走出来ないかも」ということが頭をよぎり始めました。この後も、アップダウンの繰り返し、後ろから来る列車に飛び乗って、一緒に行こうとしますが、少し頑張ると足が攣ってしまいます。この状態が1時間くらい続き、平均速度が17mph台の前半まで落ちてしまいました。この時点で、完走は無理だとということを悟りました。何故なら、例年、一番遅い完走者の平均速度は17mphの前半だということが分かっていたからです。


最後から3つ目のチェックポイントを通過して少しすると、道路の右側をサポート車両が通過して行きます。「周辺の皆様、ご協力有難うございました。これで車両規制は終了します。」とアナウンスしながら。この時の悔しい気持ちは、何とも言葉に言い表せられません。「これまでのトレーニングは何だったんだ」、「高いお金を払って、はるばるアメリカから来たのに」と色んな事が頭をよぎります。


「ちくしょう、せっかく来たんだから、とにかく最後までコースを走り切ろう」と心に決めます。最後から2つ目のチェックポイントで、大きな赤旗を振られ、止まるように促されます。係りの人に、「ゴールまで自走で帰っていいですか?」と聞くと、「タイミングチップとゼッケンを外したら、自走で帰ってもいいですよ」と言われたので、迷わず自走で帰ることにしました。自走で帰らなかったら、自転車はトラックに回収され、バスでラクラク帰れたのですが、あえて自走で帰ることにしました。


自走で帰る人が結構居るかと思っていましたが、実際にはほとんどいませんでした。結局、ゴールまでほぼ一人旅。この30kmの一人旅はものすごく長く感じました。


今回、何故ここまで散々な結果になったのかを色々考えました。直前の3週間は毎週、実際のレースと同じくらいの距離をレースペースで休みなしで走る練習をしました。ただし、獲得標高が2500mになるコースはこの辺りにはなかったので、その2/3の獲得標高でのトレーニングでしたが。この直前トレーニングでは、非常に調子が良く、ツールド沖縄での完走は大丈夫だろうと、かなり自信を持っていました。


でも、ペース的には、やはりこのレースのペースは速かった。この速いペースで、長い登りをこなし、その後も延々と続くアップダウンに対処出来るだけの脚力が無かったということでしょう。脚力が無いから、脚攣りが発生してしまうのだと思います。簡単に言えば、私に「底力」がなかったことが1番の原因だと思います。今思っているのは、トレーニング方法を根本的に変えないと、このような過酷なレースを完走することは難しいと思います。今後は、もっと速いペースでの長距離トレーニングを導入して、根本的な脚力を強化して行きたいと思います。


レース後の沖縄でのお楽しみは、次回に報告したいと思います。





Haruも、頑張って留守番していたのに、ご主人様が結果を残せなくて、さぞかしがっかりしていると思います、っていうわけはないか。


では。


ツールド沖縄撃沈記1

2017-11-20 21:29:35 | サイクリング
非常にご無沙汰しております。17日ぶりの投稿になります。


実は10日ほど日本に行っていました。今回帰国の第1の目的は、日本で最大の自転車ロードレース「ツールド沖縄」に参戦することでした。ブログには書いていませんでしたが、5カ月ほど前から始めていたスペシャルトレーニングは、実はツールド沖縄に出場するためでした。日本から持って来てもらったサプリメントも、全てツールド沖縄用でした。目標は、最低限完走、あわよくば100位以内に入ることでした。


結果は、完全な惨敗、惨敗、惨敗で、140kmのレースを完走すら出来ませんでした。約100km地点で時間制限にひっかかり、レース終了となりました。でも、意地でゴール地点まで自走で帰りましたが。


自分にとってはほぼ万全の準備をして、かなり自信を持ってレースに臨みました。でも、蓋を開けてみると、この結果。まだまだ修行が足りないのか、根本的な脚力が不足しているのか、時差ボケや睡眠不足が影響していたのかよく分かりませんが、とにかく自分の「底力」の無さを痛感してしまいました。



今日から2~3回に分けて、このレースの参戦記を書いて行きたいと思います。


今回私が出場したのは、数あるレースの中の「市民レース140km」という種目です。これは一般人が参加出来るレースの中で、210kmレースの次に過酷なレースです。レース参加者の総数は402人、完走者が221人なので、完走率は54%。なかなか厳しい数字ですね。このような規模のレースが、10種目以上開催されるので、レース参加者の総数は4000人以上にも登ります。その他のサイクリングイベント参加者、同伴者も含めると、多分1万人以上に登ると思います。この数字から、ツールド沖縄がどれだけ大規模なイベントかが分かると思います。


レースは11/12の日曜日。私は水曜日にアメリカを出発し、木曜日に羽田着。金曜日に沖縄入りです。


当初は、フレームが真っ二つに分かれる旅行用のRitchey Breakawayでの参戦も考えました。でも、このレースに何度も参加されている、フラミンゴサイクリングチーム総監督のGeorgeさんから、「みんな、完璧な装備でレースに臨むから、ちゃんとしてレースバイクで出た方がいい」というアドバイスを受け、Cannondale Supersixで参加することに決めました。


飛行機での輸送で、自転車が壊れたりしたら元も子もないので、バイクのパッキングには最新の注意を払いました。こんな感じで。





そして、キャリー用バッグは、Georgeさんからお借りした定番のオーストリッチです。このバッグ、中々の優れものでした。荷物はこの2つとバックパック。





羽田空港から宿泊先の品川のホテルまでは、少々運ぶのが大変でしたが、それ以外は特に問題なし。このオーストリッチ、中々の優れものです。那覇空港に着くと、Georgeさんが迎えに来て下さり、フラミンゴの沖縄部室で自転車の組み立てです。








今回、大阪での組み立てと分解も含めると、合計で3回の分解、組み立て、パッキングを行ったので、バイクのパッキングはもうプロ級になりました。


この後レンタカーを借り、宿泊先の「オクマビーチリゾート」に向かいます。レースゴール地点の名護市内で、Georgeさんおススメの沖縄ソバ屋で腹ごしらえ。








私は、ラーメンのようなうどんのような沖縄そばが大好きです。今回、カーボローディングの面では完璧だったのですがねぇ。そして、宿泊先のオクマビーチリゾートに到着。このレース期間中、レース会場近辺のホテルは、ほとんどのホテルで相部屋になります。私も、3人部屋に割り当てられました。


このホテルでラッキーだったのが、良いルームメートに恵まれたことです。大阪から参加のNさんと京都から参加のUさんです。2人は練習仲間で、私と同年代。2人とも既にツールド沖縄を経験済。分からないことを全部教えてもらい、レースの準備で戸惑うことがありませんでした。食事も練習も、仲間に入れて頂き、3日間ほとんど一緒に過ごさせてもらいました。お2人には本当に感謝、感謝です。


ホテルに到着した日は、試走に出かけようとも思いましたが、天気が少々怪しかったので、お風呂/サウナでリフレッシュし、リラックスして過ごしました。


翌日土曜日は、レース前の試走です。





Nさん、Uさんと一緒に、一番キーとなる「普久川ダムの登り」という部分を走りに行きました。この登り、むちゃくちゃ勾配が急というわけではないのですが、とにかく7.8kmと長い。試走した感想は、ほぼ予想通りでした。





この時は、レース当日、2回目の「普久川ダムの登り」で、私の大変な試練が始まるとは、夢にも思っていませんでした。少々長くなって来たので、悪戦苦闘したレース当日の模様は、次回にしたいと思います。



Haruは、私の留守中に少しはいい子になっているかなと思っていましたが、予想は大外れ。





でも、私の姿を見た瞬間、大喜びで尻尾ブンブン。ワンワンうるさく、いたずらしまくりの相変わらずのHaruでした。


では。












☆祝☆10,000マイル達成!

2017-11-03 22:21:03 | サイクリング
今年の始めに目標としていたのは、年間で10,000マイル(約16,100km)を自転車で走行し、車の走行距離を上回ることでした。


今日、11月3日に、この目標を達成することが出来ました。





頑張ってせっせと自転車通勤(ジテツウ)に励んだこともあり、今年の車の走行距離は7,000マイルくらいにしか達していません。これで少しは、環境悪化防止に貢献出来たかなと思っています。


10カ月で10,000マイルなので、月間の走行距離は平均1,000マイル(1,600km)。そりゃあ、家族も含めた周りの人間から、「本当に仕事してんの?」と言われても仕方ありませんね。自分の名誉のために言っておきますが、一応仕事しています。


でも、はっきり言って、仕事を辞めでもしなければ、これ以上の走行距離を重ねるのは難しいですね。今年もあと2カ月。年間走行距離は11,500マイル~12,000マイルあたりで落ち着きそうですね。まあ、ケガをしないように頑張りたいと思います。


さて、Haru子。Halloweenネタです。


今年は、犬のHalloweenの衣装が売れて少なくなる前に買おう、と心に決めていました。そこで、かあさんが数か月前に、Haruの衣装をゲットしました。かなり大きめにサイズを見積もりました。ところが、Haruの成長スピードは我々が考えている以上に速かったようです。





スカートなのに、お尻丸見え状態です。短期間でこんなに大きくなるとはねぇ。


でも、結果的には問題なしでした。何と、今年の我が家への訪問者は1組だけ。Haruが可愛い衣装を着て、子供たちに愛想を振りまく必要もありませんでした。それにしても、年々少なって来ているとは言っても、1組とはねぇ。今年は、かあさんと2人で鍋をつつく、寂しいHalloweenでした。来年は0組かも。


では。