犬(愛称:犬山)が体調を崩したらしい。
帰ってきても、全然おかまいなしでゲージのなかでクタっとして横になっている。
親は、少し心配していた。
犬山を可愛がっていても、以前飼っていた犬(アム)を忘れることは一時たりとも無い。
アムは、俺が物心ついた頃、たしか3歳のときに母に拾われて、うちにやってきた。
ちょうど今の犬山くらいの大きさだったらしい。
まだ、このあたりの土地は空き地がたくさんあったから、捨て犬が今よりも多かったという。
アムは雑種で、外で飼われていた。
雨の日も、猛吹雪の日も、ただただ外の犬小屋に居た。
夕方、遊びから帰ってきたら、アムにエサをやって20分後くらいに散歩に連れて行った。
それが、俺の小学校時代からずっと続く日課だった。
エサと言ったって、前日の人間の食べ残し、残飯だ。
それが無造作にアム用のボウルに放り込まれていて、5時になったら与えるだけ。
残飯が少ないと思えるときは、適当に冷蔵庫からハムかソーセージを出して突っ込んだ。
そんな、適当な飼い方だった。
犬というのはそういうものだと思っていた。
雑種だからそれで良かったんだろうなぁ、と今、思う。
アムは、俺が中学・高校の頃になるとだんだん年寄りになってきて、雨の日の夜は、外でクンクン泣くようになった。
夏だから寒いわけじゃないだろうし、家の屋根の下だから雨に打たれるわけでもないだろうに、とにかく泣くようになった。
それで、雨の日だけ玄関に入れるようにした。
その後、1年くらいの間で、だんだん泣くのがエスカレートした。
それに、寝ている間に雨が降り出して、泣き始めると、いちいち起きていくのも面倒になって、結局、アムは玄関に住むようになった。
アムは、うちに拾われてきたときから、異常に臆病だった。
捨て犬時代に、怖い思いをしてきたのかも知れなかった。
そのことが奏功してか、庭で放して、目を離していても、勝手に敷地の外へは出て行かなかった。
とっても便利な犬。
その変わり、知らない人や犬に絶対に心を開かなかった。
家族と、近所の限られた人と、7軒先に居た 同じくらいの大きさの犬。
アムが愛想を振りまくのは、その限られた人達にだけ、だった。
俺が高校に入ってからは、部活で帰りも遅くなって、母が散歩に連れて行くことになっていった。
アムの健康と、母自身の健康のためか、3kmくらいの長距離の散歩をさせてもらえるようになった。
これは本当に嬉しいようだった。
これで、寿命がかなり延びたと思う。
それで、俺がたまに散歩させるときも、これに見合うくらい、ある程度長距離を歩かざるを得なくなった。
そんな風に、アムは年寄り犬になってからも、至って健康に過ごした。
俺が大学に入っても、全然元気だった。
もうそろそろ、いつ死んじゃっても仕方無い歳だ、って誰もが思うのに、
毎日元気に散歩をした。
しかも、「今日のわんこ」に出てくるヨボヨボのおじいさん犬みたくなくて、まったく元気に、人間を引っ張って歩くのだ。
2003年の12月27日。
俺は大学3年で、その時、東京や東北の大学に進んだヤツラが地元に帰ってきてる、というので、久しぶりに集まろう、ってことで、夕方から「つぼ八」で集まることに決めていた。
もう行かなきゃいけない時間がせまっていたのに、まだアムの散歩に行ってなかった。
いそいで行こうとしたとき、どうもアムの足取りがよくなかった。
動きは元気だけど、どうも行きたくなさそう、なのだ。
今でもハッキリ覚えている。
でも、そういうことはたまにあって、きっとお腹の調子でも悪いんだろう、程度に思った。
むしろそのことを良いことに、すぐ近くの空き地でウンチだけさせて、すぐに家に帰った。
そして、急いで つぼ八 に向かった。
アムはその日以降、結局 全然散歩に行きたがらなくなった。
同じようにすぐ近くの空き地までしか行けない。
それでも俺は、「風邪でも引いたんだろう、もう歳だもんな」くらいに思って、
「1週間くらいしたら治るかな」と、軽く考えていた。
2004年の1月1日の夜、アムは1日のほとんどを寝たまま過ごして、呼吸も苦しそうになった。
俺はその時点でさえも尚、「歳だから、風邪をこじらせてしまったか。病院につれてくか」などと考えていた。
でも、その次の日、アムは死んだ。
1月2日の朝、正月でもやってる動物病院は無いか、タウンページで探した。
町にひとつだけあったので、電話して、すぐに家族でアムを連れて行った。
知らない人に触られるのを異常に怖がるアムも、もうこのときは全く抵抗できずに、動物病院のベッドに置かれて、獣医さんに診られることになった。
「少し預かります」
と言われて、家族で家に帰ってきた。
大丈夫なんだろう、と思った。結構安心してしまった。
死に際の犬を預かってしまうわけがない、と思ったのだ。
希望的観測というより、客観的にもそう思えた。
帰ってきても、なんだか落ち着かないので、1人で近所のツルハドラッグに行って、動物用のオムツを買ってきた。
でも、昼過ぎに動物病院から電話がきて
「帰すから迎えにきて欲しい」と言われた。
迎えに行ったら、アムは居た。
辛うじて首を上げてこっちを見て、家族が来たのを知って、ほんの少しだけシッポを振った。
でも、それは「振った」というよりは震えた、という程度の動きにしかならなかった。
嬉しかったんだろうな。。。
帰ってきて、1時間もしないで、アムは死んだ。
結局、オムツは一枚も使わなかった。
死に際を見るのは辛い。
かわいそうだった。
苦しそうだった。
でも、本当に死ぬ1週間前まで元気に散歩に行っていた。
まったく予兆が無かった。
17歳だった。
すごい長生きだったと思う。
だから、良かったと思う。
犬は、犬それぞれ性格が全然違う。
アムは臆病で愛想が悪くて、足は犬の中でもめちゃくちゃ速くて、吼えなくて、クンクン鳴くばかりで、絶対敷地から勝手に出ないし、悪さもあまりしないし、たぶん臆病なだけだけど、
面白い犬だった。
動物病院にも感謝した。一限の客なのに、正月から診てくれた。
うちに子犬の犬山が来て、この犬も可愛いんだけど、何故か同時に、前の犬が懐かしくなって、今日はこんな日記を書いてしまった。
帰ってきても、全然おかまいなしでゲージのなかでクタっとして横になっている。
親は、少し心配していた。
犬山を可愛がっていても、以前飼っていた犬(アム)を忘れることは一時たりとも無い。
アムは、俺が物心ついた頃、たしか3歳のときに母に拾われて、うちにやってきた。
ちょうど今の犬山くらいの大きさだったらしい。
まだ、このあたりの土地は空き地がたくさんあったから、捨て犬が今よりも多かったという。
アムは雑種で、外で飼われていた。
雨の日も、猛吹雪の日も、ただただ外の犬小屋に居た。
夕方、遊びから帰ってきたら、アムにエサをやって20分後くらいに散歩に連れて行った。
それが、俺の小学校時代からずっと続く日課だった。
エサと言ったって、前日の人間の食べ残し、残飯だ。
それが無造作にアム用のボウルに放り込まれていて、5時になったら与えるだけ。
残飯が少ないと思えるときは、適当に冷蔵庫からハムかソーセージを出して突っ込んだ。
そんな、適当な飼い方だった。
犬というのはそういうものだと思っていた。
雑種だからそれで良かったんだろうなぁ、と今、思う。
アムは、俺が中学・高校の頃になるとだんだん年寄りになってきて、雨の日の夜は、外でクンクン泣くようになった。
夏だから寒いわけじゃないだろうし、家の屋根の下だから雨に打たれるわけでもないだろうに、とにかく泣くようになった。
それで、雨の日だけ玄関に入れるようにした。
その後、1年くらいの間で、だんだん泣くのがエスカレートした。
それに、寝ている間に雨が降り出して、泣き始めると、いちいち起きていくのも面倒になって、結局、アムは玄関に住むようになった。
アムは、うちに拾われてきたときから、異常に臆病だった。
捨て犬時代に、怖い思いをしてきたのかも知れなかった。
そのことが奏功してか、庭で放して、目を離していても、勝手に敷地の外へは出て行かなかった。
とっても便利な犬。
その変わり、知らない人や犬に絶対に心を開かなかった。
家族と、近所の限られた人と、7軒先に居た 同じくらいの大きさの犬。
アムが愛想を振りまくのは、その限られた人達にだけ、だった。
俺が高校に入ってからは、部活で帰りも遅くなって、母が散歩に連れて行くことになっていった。
アムの健康と、母自身の健康のためか、3kmくらいの長距離の散歩をさせてもらえるようになった。
これは本当に嬉しいようだった。
これで、寿命がかなり延びたと思う。
それで、俺がたまに散歩させるときも、これに見合うくらい、ある程度長距離を歩かざるを得なくなった。
そんな風に、アムは年寄り犬になってからも、至って健康に過ごした。
俺が大学に入っても、全然元気だった。
もうそろそろ、いつ死んじゃっても仕方無い歳だ、って誰もが思うのに、
毎日元気に散歩をした。
しかも、「今日のわんこ」に出てくるヨボヨボのおじいさん犬みたくなくて、まったく元気に、人間を引っ張って歩くのだ。
2003年の12月27日。
俺は大学3年で、その時、東京や東北の大学に進んだヤツラが地元に帰ってきてる、というので、久しぶりに集まろう、ってことで、夕方から「つぼ八」で集まることに決めていた。
もう行かなきゃいけない時間がせまっていたのに、まだアムの散歩に行ってなかった。
いそいで行こうとしたとき、どうもアムの足取りがよくなかった。
動きは元気だけど、どうも行きたくなさそう、なのだ。
今でもハッキリ覚えている。
でも、そういうことはたまにあって、きっとお腹の調子でも悪いんだろう、程度に思った。
むしろそのことを良いことに、すぐ近くの空き地でウンチだけさせて、すぐに家に帰った。
そして、急いで つぼ八 に向かった。
アムはその日以降、結局 全然散歩に行きたがらなくなった。
同じようにすぐ近くの空き地までしか行けない。
それでも俺は、「風邪でも引いたんだろう、もう歳だもんな」くらいに思って、
「1週間くらいしたら治るかな」と、軽く考えていた。
2004年の1月1日の夜、アムは1日のほとんどを寝たまま過ごして、呼吸も苦しそうになった。
俺はその時点でさえも尚、「歳だから、風邪をこじらせてしまったか。病院につれてくか」などと考えていた。
でも、その次の日、アムは死んだ。
1月2日の朝、正月でもやってる動物病院は無いか、タウンページで探した。
町にひとつだけあったので、電話して、すぐに家族でアムを連れて行った。
知らない人に触られるのを異常に怖がるアムも、もうこのときは全く抵抗できずに、動物病院のベッドに置かれて、獣医さんに診られることになった。
「少し預かります」
と言われて、家族で家に帰ってきた。
大丈夫なんだろう、と思った。結構安心してしまった。
死に際の犬を預かってしまうわけがない、と思ったのだ。
希望的観測というより、客観的にもそう思えた。
帰ってきても、なんだか落ち着かないので、1人で近所のツルハドラッグに行って、動物用のオムツを買ってきた。
でも、昼過ぎに動物病院から電話がきて
「帰すから迎えにきて欲しい」と言われた。
迎えに行ったら、アムは居た。
辛うじて首を上げてこっちを見て、家族が来たのを知って、ほんの少しだけシッポを振った。
でも、それは「振った」というよりは震えた、という程度の動きにしかならなかった。
嬉しかったんだろうな。。。
帰ってきて、1時間もしないで、アムは死んだ。
結局、オムツは一枚も使わなかった。
死に際を見るのは辛い。
かわいそうだった。
苦しそうだった。
でも、本当に死ぬ1週間前まで元気に散歩に行っていた。
まったく予兆が無かった。
17歳だった。
すごい長生きだったと思う。
だから、良かったと思う。
犬は、犬それぞれ性格が全然違う。
アムは臆病で愛想が悪くて、足は犬の中でもめちゃくちゃ速くて、吼えなくて、クンクン鳴くばかりで、絶対敷地から勝手に出ないし、悪さもあまりしないし、たぶん臆病なだけだけど、
面白い犬だった。
動物病院にも感謝した。一限の客なのに、正月から診てくれた。
うちに子犬の犬山が来て、この犬も可愛いんだけど、何故か同時に、前の犬が懐かしくなって、今日はこんな日記を書いてしまった。
“泣ける○○”なんかどうでもいいくらいに。
犬山君、大切にしてあげてね。
・・・しっかし犬山ってどうよ?www
大切にしなきゃねェw
犬山はやめようかw
犬養か。犬ぶs(以下略