鶴丸城の周辺の史跡です。
西郷隆盛が下野して、鹿児島に帰ってから開いた私学校跡です。
私学校の石垣に、西南戦争の弾痕が数多く残されています。
鶴丸城の隣にある薩摩義士の碑。
薩摩藩は、幕府から木曽川治水工事を命じられましたが、工事は困難を極め、84名の犠牲者と40万両を費やして完成させました。
総奉行の家老の平田靭負(ゆきえ)は、犠牲者と工事費の増大の責任をとって自刃しました。
城山に登っていく途中に、西南戦争で西郷隆盛が最後に立てこもった西郷洞窟があります。
洞窟のあまりの小ささに、観光客はたいてい驚くそうです。
西郷さんの像と、トンネルに西南戦争始末記三十六景展示場があります。
トンネル内に、西南戦争の絵図が展示されています。
さらに登ったところにある石仏十三体です。
谷山の慈眼寺など鹿児島のあちこちに、弘法大師の像88体がありますが、ここにはそのうちの13体があります。
石仏の一つです。